大嵜 直人のブログ

別れによって傷ついたココロは、出会いで癒される。私が辿ったそんな物語を「書く」ことをライフワークにしています。

ワクワクのない、長期休暇。

世間はお盆期間に入ったようだ。

 

例年通り、高速道路の渋滞や、新幹線の混雑ぶり、休暇を海外で過ごすために空港を訪れた家族へのインタビューなどといったニュースが見られる時期になった。

 

この時期の風物詩と言える。

 

私も御多分にもれず、お盆休みの期間に入っている。

 

けれど、いつもと変わらないテンションで日々が過ぎて行っている。

 

今までなら、「休み期間にこれをしよう」、「積読になってる本のうち、これを読もう」、「あれをやりたい」ということを長期休暇の前に考えるのだが(そしてそれは往々にして実現されない)、それがあまり、というか全くと言っていいほどないのだ。

 

淡々としている、というのだろうか。

 

自分でも、不思議なのだが。

 

 

休みの日の前にワクワクしないというのは、どういうことなんだろう。

 

金曜日の夜の解放感を何倍にもしたような、長期休暇前の高揚。

 

それが、ない。

 

どこか、おかしいのだろうか。

 

楽しいと思う感覚や、ワクワクすることが、鈍っているのだろうか。

 

無感動、無関心になっているのだろうか。

 

ふと、そんなことを考えたりした。

 

そうかもしれないし、そうでないかもしれない。

 

自分のことは、よく分からない。

 

だから、人は言葉をつくって他人と話すようになったのだろう。

 

それはさておき、無感動になったわけではない理由を考えてみる。

 

一つ思い浮かんだのは、「休みさえあれば、時間さえあれば」という考えが、薄れてきたのかもしれない。

 

たとえるなら、魔法の杖や、青い鳥は存在しない、ということだろうか。

 

 

これさえあれば、あれさえあれば、と人はよく考える。

 

お金さえあれば。

才能さえあれば。

時間があれば。

パートナーさえいたら。

 

されど、その「〇〇さえあれば」の「〇〇の不在」は、その人の抱えている問題や悩みとは、残念ながら一切関係がないことが多い。

 

お金さえあれば、という思考は、

たとえそのお金が入ったとしても「まだ足りない」と言う。

 

才能さえあれば、という思考は、

すでに在る自分の唯一無二の才能を覆い隠す。

 

時間があれば、と言う人は、

たとえ時間があってもやらない。

 

パートナーさえいたら、という考えは、

未来のパートナーを遠ざける。

 

どこかに落ちている魔法の杖を振るうとみじめな人生が変わるわけではない。

何度生まれ変わってもこの人生がいいと受け入れた瞬間に、神さまなのか仏さまなのか分からないが、大いなるものが魔法の杖を振るうのだ。

 

ここではない遠いどこかに幸せの青い鳥がいるわけではない。

いまここにいる自分自身こそが、青い鳥なのだ。

 

人はいつだって、変わろうと思えば変わることができる。

 

やりたいと思ったことは、いまからできる何かがある。

 

休みだろうが、平日だろうが、何だって関係ないのだ。

 

いつだって、大切なことは、いま、ここに全てある。

 

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〇大嵜直人の書斎:2019/8/11

1.某メディア様への寄稿記事

→ 次回記事「名人」(仮)構想中、寄稿目標8/25

2.ものがたり

→ 執筆中、タイトル未定

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【大嵜直人の執筆記録】

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