大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

無理はいつしか慣れてしまうもの。それに気づかせてくれるのは、「痛み」。

気付かない間に、無理は慣れてしまうもの。

そして慣れてしまうと、当たり前になってしまうもの。

それを気付かせてくれるのは、「痛み」。

ここしばらく、どうにもこうにも首、肩、腰が痛くて、自宅の近くのマッサージ店に駆け込んだ。

長い時間の座り仕事、パソコン、スマホの使用…などなど、思い当たるフシはいくらでもあり、姿勢が悪いんだろうな、とは思っていた。

普段はマッサージにはあまり行かないが、この日はそうも言っていられないまでに痛く、少しでも楽になれば、と思い電話して伺った。

マッサージ店に入って受付を済ませると、出てこられたのは私よりも少し年上らしい男性の方だった。

どこか「アキバのオタク」を思わせる風貌とは裏腹に、眼鏡の奥の目線が鋭かった。

一瞬、その風貌と裏腹の眼光にビビりつつも、藁をもすがる思いでベッドにうつ伏せになると、その方の指が背中に触れてきた。

これが、びっくりするくらいゴッドハンドをお持ちの方だった。

1時間終わるころには、驚くほど首と肩が楽になっていた。

終わりがけに、少し私の身体のこわばりから、姿勢の癖、そしてその対策について教えて頂いた。

どうも、私は視線を下に向けてうつむく姿勢を取ることが多く、その影響で首の筋肉が張り、さらに猫背になり、あげくの果てに呼吸が浅くなっている、とのこと。

日々、瞑想するなど深い呼吸を、と心がけていたのに、その対極のような姿勢でいるようでは元も子もない。

何でも担当頂いたその方は元エンジニアだったそうで、長時間パソコンを触っていたことで肩や腰の痛みとずっと付き合ってきたそうで、パソコンのディスプレイの高さ、キーボードの位置、座り方について、丁寧にアドバイスを頂いて、そのマッサージ店を出た。

お店の外に出ると、身体が入れ替わったような感覚があり、プロはやっぱりすごいなと思った。

身体に無理を強いる姿勢をしていたとしても、それを繰り返していくうちに、いつしか慣れてしまうものだ。

そして、それに気づかせてくれるのは、「痛み」なのだろう。

そう思うと、「痛み」というのは人にとって大切な機能なのだな、と改めて気づかされる。

これは、何も身体だけの話ではないように思う。

無意識のうちに頑張ってしまったり、あるいは無理をしてしまったり、自分を犠牲にしてしまったり。

そんなことをしてしまうことも、時にはある。

けれど、度が過ぎたときは「痛み」が教えてくれるから、それでいいのだ。

身体の場合は、直接的にどこかが「痛い」という症状として出るのだろうが、精神的に無理をしていたりするときは、おそらくネガティブな感情という「心の痛み」として出てくるのだろう。

そう考えると、「痛み」と同様に「ネガティブな感情」というのは、一概に悪いものでもないのだろう。

悲しい、辛い、しんどい、寂しい…などの感情を覚えるときは、何かを無理してきてしまったのかもしれない。

そういった意味でも、自分の感じていることに正直になることは大切なのだろう。

そのゴッドハンドの施術者なのだが、帰りがけに、ボソッと

こういう姿勢の歪み方をされてる方って、何かと背負ってしまう方が多いんですよね。

やっぱり自分では気づかないんでしょうね…

と言われた。

犠牲とハードワーク好きの私には、刺さり過ぎる金言だった。ぐえ。

自分ではそう思っていなくても、まだまだ無理して何でも背負おうとしてしまっているのかもしれない。

そんなに自分で何でもかんでも背負わなくて、大丈夫。

自分以外の荷物まで背負わなくても、大丈夫。

むしろ、時には自分の荷物さえも、誰かに手を借りて助けてもらった方がいい。

「アキバのオタク」風の施術者の方は、いろんなことを教えてくれた。

教えて頂いた姿勢に注意しようと思うが、また背負いすぎたりして痛みが出たら、その方にお世話になろうと思う。