大嵜 直人のブログ

別れによって傷ついたココロは、出会いで癒される。私が辿ったそんな物語を「書く」ことをライフワークにしています。

永遠に、未完。

夜明けも早々からの元気な蝉の声で、目が覚めた。

 

夏の朝は早い。

 

長引いた梅雨もどこへやら、朝から湿気を含んだ熱気が漂っている。

 

その暑さで二度寝する眠気も失せたため、コーヒーを淹れながらぼんやりしていた。

 

ふと、ベランダで育てている朝顔に目が行った。

 

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もう少し、あと少し。

 

早起きの恩恵。

 

そんな朝の奇跡を見ていると、未完こそが美しいのかもしれないと思う。

 

どうしても満開の花や、咲き誇った花に目が行くけれども。

 

ほんとうのところ、美しいのは開きかけであり、未完であり、咲き始めなのかもしれない。

 

 

食べものにも、その食材が出回り始める「走り」、流通量が増えシーズン真っ盛りの「旬」、そしてその食材のシーズンの終わりがけの「名残」がある。

 

もちろん美味しいのは、脂が乗ったり十分に熟れてくる「旬」のものだが、やはり心躍るのは「走り」の食材だ。

 

あぁ、この食材が食べられる季節がもうやってきたのか、と。

 

だからこそ、料理をする人は誰しもが季節を追いかける。

 

常に未完であり、移ろいゆく季節の中で、「いま」を楽しんでもらうために。

 

 

人はいつも完成形や願望実現に目が行くけれども。

 

ほんとうのところ、

 

尊いのは、そこに至るまでの道のりであり、

楽しいのは、途上であり、

人生の果実は、そのプロセスにあり、

美しさは、その蕾に既に内包されている。

 

願いや望みが叶わない方がいい、というわけではない。

 

それらは、つねにアップデートされる自分自身の「名残」でしかない。

 

ただその道のりを歩く愉悦に身を委ね始めたとき、すべては自分の「思い通り」にはならないことを知る。

 

なぜなら、自分の小さな想像や予想を超えたことが起こり始めるから。

 

その願いや望みを越えた出来事が、常に起こり続けるから。

 

それは、過去に抱いた「名残」のような願いや望みよりも、自我やエゴの描いたちっぽけな願望よりも、はるかに超えた大きな愛を見せてくれる。

 

安心して、そのヴィジョンに身を任せればいい。

 

 

永遠に、未完。

 

ほんとうのところ、美しいのは開きかけであり、未完であり、咲き始め。

 

いまこの瞬間に、奇跡は起き続けている。 

 

人生の果実は、いつもこの瞬間に、たわわに実っている。

 

そう、

 

いま、ここ、あるがまま。

 

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〇大嵜直人の書斎:2019/7/31

  1.某メディア様への次回寄稿記事

→「導火線」で執筆中、寄稿完了目標:7/31

2.ものがたり

→ 処女作プロット作成中、起稿目標:8/1

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【大嵜直人の執筆記録】

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