大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

自分が決めたことなのに、締め切りを守れない自分に驚いた件。

相済みません。

お詫びから入ります。

締め切り守れず、であります。

リスケさせていただきます。

週末に某メディア様への寄稿記事を仕上げようと思ったのですが、謎の発熱と腰痛を発症しまして。

何とか記事を起稿したのですが、どうにもこうにも頭が働かず筆が止まり、途中でギブアップ。

体調を整えて書き直します。

いや、これには、結構自分で驚きまして。

自分から「やる」と宣言したことなのに、自分の設定した締め切りを守れないとは。

締め切りといっても誰かとお約束をしたわけでもなく、自分で勝手に設定しているだけなのですが、それでも守れないことに罪悪感とやるせなさをしこたま覚えました。

私はこれまで、仕事の上なんかでは、締め切りや約束というものに関しては、結構厳密に守る方でした。

それなのに、自分自身の大事なことには、それが守れない。

そんな自分を大いに責めたくもなりましたが、「書けないものは書けないから、しゃーないやん」と思うことにしました。

おそらく、書けないこと、間に合わないという事象面は大した問題ではなく、そこで私の中に湧き上がる感情にこそ、大切なものがあるのでしょう。

その上で思うのは、「自分がタブーだと思うことをやってみる」というのは、人生を劇的に変える法則の一つですが、「締め切りを破る」というタブーを犯してみることが、私に必要だったのかもしれません。

「締め切りを絶対に守る私」を、ずっと続けてきた。

→それは、相手に迷惑をかけたくないから。

→それは、相手に誠実な人、信頼される人だと思われたいから。

→それは裏を返せば、不誠実な私は愛されないという前提。

→それは、ダメな私、約束を破る私は愛されないという怖れ。

→それは、ほんとうなの?

 ダメな私は、ほんとうに愛されないの?

とまあ、どこまで行っても、行き着く先は「どんな自分でも愛すること」に他なりません。

すべては、「なんだ、大丈夫じゃん」と気付くための自作自演のコント、とも言えます。

少し思うのは、「無理して身体に鞭打って締め切りを守る私」と、「正直に『間に合いません』と言える私」と、どちらが誠実なのか、一概には言えないよな、ということです。

誠実さとは、他者に対しての誠実さなのか、それとも自分に対して誠実さなのか…

ということで、いろんな想いが駆け巡りますが、とりあえず寄稿記事の執筆を進めたいと思います。

そんなこんなですが、応援よろしくお願いいたします。