大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

自分をじっと静かに見つめている、自分。

自分を愛するということの中で、最もたいせつな第一歩は「自分を否定している自分」を愛する、ということだ。

そのために必要なのは、自分を見つめる自分を認識する、ということ。

これがなかなかに難しい。

けれど、どんなに自己否定の嵐が吹き荒れ、その荒波に翻弄されようとも、その自分をじっと静かに見つめている自分が、確かにいる。

私が自分自身を扱っているように、周りの社会や他人から扱われる、とはよく言われる。

自分が自分をどう扱っているか。

セルフイメージとも呼ばれる、その扱い、考え方が、世界を見る色眼鏡になる。

赤い色眼鏡をかければ、世界は真っ赤で落ち着かない苛立つものになるだろうし、

灰色の色眼鏡ならば、暗く夜明けのない世界にいつまでも居続けるのだろうし、

青い色眼鏡にすれば、水底に沈む陰鬱な世界から抜け出すことは難しい。

その眼鏡から見た世界の見え方で、行動が決まる。

そして、その行動によって周りからの扱いが変わってくる。

すべては、私が自分自身をどう扱っているか。

その一点に尽きる。

誰しもが厄介な色の色眼鏡はイヤだと思い、その色眼鏡を外したいと思う。

世界には愛が満ちていて、優しさにあふれていて、それでいて懐は限りなく深くて…そんな世界で生きたいと願う。

そうして、自分自身に対するイメージを変えようと試みるかもしれない。

いままでの自分のイメージ、

誰にも愛されない。

普通のことができない。

何の価値もない。

どうしようもない。

何をやってもダメなやつ。

…そんなイメージを持っていたと気づくところから、旅は始まる。

誰もがそんなネガティブなイメージを嫌い、

世界中から愛される。

何でもできる。

ものすごく価値がある。

素晴らしい。

何をやらせてもデキるやつ。

…そんなポジティブに書き換えようとする。

それはまるで、不安や怖れ、怒りや無価値観、嫉妬、悲しみや寂しさといったネガティブな荒波を運んでくるホースの先を塞ぐように。

けれど、それは簡単には塞がらない。

ホースの先っぽを摘まんでも、流れてくる水が、まるで大きな卵を飲み込んだ蛇のようにホースをふくらませ…

そしていつの日にか、ふくらんだホースは大きく破裂してしまう。

そのときのセルフイメージの下がり様といったら…

履かせていた下駄が外れた分、激しい自己否定に陥ることもあるかもしれない。

やっぱり、変わらないのだ、と。

その暗闇の底で、人はあるときにふと気づく。

どんなに激しく自分を否定しても、

どんなに自分を傷つけようとしても、

どんなに罵詈雑言を自分に投げつけても、

どんなに絶望の海に沈もうとも、

それをじっと静かに見ている視線がある。

注意深くその視線を投げかけている者を見ると、それは私自身の視線なのだ。

笑うでもなく嘆くでもなく、私をじっと静かに見つめている私。

上映されるフィルムに一喜一憂している私ではなく、映写室にいる私。

どこまで絶望していても、どこかであっけらかんと笑う私。

相手と向かい合って将棋を指す私を、解説する私。

ふとしたときに感じるそれは、いつしか確信となっていく。

確実に、そうした私が、「いる」。

そのじっと見つめる私は、苦しむ私を見て、何も言わない。

ただ、そこに「いる」。

その私は、どんな私も否定しない。

ただ、そこに「いる」。

結局のところ、自分を愛するとは、自分を傷つけ否定する自分すらも愛する、という事に他ならない。

否定しようとしたイメージ、

誰にも愛されない。

普通のことができない。

何の価値もない。

どうしようもない。

何をやってもダメなやつ…

それでも、 大丈夫なのだ、是である、と肯定することに他ならない。

なぜなら、そのイメージはあなたの本質とは何の関係もないからだ。 

どんなに厚い雲が空を覆っても、

青空というものの存在が失われることのないように。

たとえ表面が汚れくすんだとしても、

ダイヤモンドの輝きの本質とは何の関係もないように。

汚泥の中だろうと誰も知らない山の中だろうと、

咲いた花の美しさは変わらないように、

あなたの本質の素晴らしさは失われない。

どこへも、いかない。

ただ、ここにいる。

じっと静かに、あなたを見つめている。

どんなあなたでも、見守っている。

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