大嵜 直人のブログ

別れによって傷ついたココロは、出会いで癒される。私が辿ったそんな物語を「書く」ことをライフワークにしています。

赤坂を歩く。 ~東京都・日枝神社/赤坂氷川神社 訪問記

以前から行ってみたかった、東京は赤坂にある神社を訪れた。

 

千代田区にある日枝神社と、港区にある赤坂氷川神社である。

 

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外堀通りの山王下交差点あたりから。相変わらず、ハードワーカーの朝は早い。

 

道行くビジネスパーソンに混じって、観光と思わしき外国の方をちらほら見かける。

 

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交差点を曲がると、すぐに立派な鳥居が。

 

今月の頭に、奥深い山中にあった玉置神社などの熊野路の神社をめぐったが、大自然の中の神社と大都市のど真ん中の神社のギャップを不思議に感じる。

 

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立派な石柱を見上げる。

 

日枝神社江戸三大祭の一つ「山王祭」が行われ、通称「山王さん」として親しまれている。古くは「江戸城の鎮守」として、明治以降は「皇城之鎮」と称されたそうだ。

 

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提灯の並ぶ石段を登って。

高島屋NTTドコモといった社名が並ぶ。

 

月曜日の早朝だったが、意外と石段を登っていく人を見かけた。

スーツ姿のビジネスパーソンのような方もいれば、外国の方も多くいらっしゃって、国際都市トーキョーだなぁ、と思う。

 

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京都の伏見稲荷大社の千本鳥居を思わせるような、赤鳥居をくぐる。

 

上った先には、都会の喧騒がまったく感じられない静かな境内が広がっていた。

 

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本殿の前に、末社にお参り。

左に山王稲荷神社、右に猿田彦神社

 

静かな空気の中、手を合わせる。

 

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本殿を参拝する。

 

御祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ)。

恥ずかしながら初めてお聞きする神さまの御名だったが、須佐之男神(すさのをのかみ)から連なる神さまだそうだ。

 

御祭神大山咋神は須佐之男神(すさのをのかみ)の御孫神で、またの御名を山末之大主神(やますゑのおほぬしのかみ)と申し上げる。山水を司り、萬物の生成發展を守護し給う神である。

日枝神社の歴史は鎌倉時代初期に秩父重繼が江戸貫主を名乗り、その居館に山王社を勧請したことに始まる。

文明年間には太田道灌江戸城築城にあたり川越山王社を再勧請し、更に徳川家康入府以降は場内鎮守の神、将軍家の産土神と崇められ、紅葉山から麹町を経て萬治二年に統治に移遷された。

 

日枝神社 境内掲示より

 

また相殿に国常立神(くにのとこたちのかみ)、伊弉冉神(いざなみのかみ)、足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)の三神をお祭りされている。

 

今月初めの熊野路で、玉置神社で国常立神(くにのとこたちのかみ)、花の窟神社で伊弉冉神(いざなみのかみ)に参拝してきたので、またお会いできたことになるようだ。

 

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本殿の両隣には、猿の神様の像が。

こちらは左側の子猿を抱いた像、右側はオスと思わしき像だった。

 

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ようやく太陽が昇ってきた東の入り口には、「皇城之鎮」の文字が。

朝の神社は、本当に気持ちがいい。

 

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7時台の時間だったが、一人、また一人と参拝する人の流れは絶えなかった。

 

これから出勤するであろうスーツ姿の男性や、朝の散歩のついでのような女性の方など、日々のルーティンに組み込まれているように、皆さん自然に参拝されてはお辞儀をして出ていく。

 

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東側の鳥居と石段。

 

このあたりでぼんやりとしていたら、何か所か蚊に刺されてしまった。ここのところの5月とも思えぬ暑さで、蚊も出てきてしまったようだ。蚊に愛される体質の私としては、辛い季節がまたやってきた。

 

蚊から逃げるため、参拝の御礼をして早々に引き上げる。

次の目的地、赤坂氷川神社へ向かって歩き出した。

 

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趣のある赤坂の道。

この日は米国大統領が来日中ということで、いたるところで警官の方を見かけた。ご苦労様であります。

 

歩いていると、ふとしたマンションの壁に「勝海舟邸跡の記」というパネルが埋め込まれていた。赤坂の地を愛した勝海舟の時代から、まだ200年も経っていない。

このいま当たり前のように目の前に広がる風景も、勝海舟の時代からとんでもない変遷を重ねてきたと思うと、感傷的になる。これから200年先には、どんな風景が広がっているのだろうか。

 

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吹き出る汗を拭いながら、赤坂氷川神社に着いた。

 

縁起は先ほどの日枝神社よりも古く、千年の昔に遡るらしい。

 

天暦5年(951年)武州豊島郡一ツ木村(人次ヶ原)に祀られ、1000年以上の歴史を有します。創祀から100年後の治暦2年、関東に大旱魃が発生、降雨を祈願するとそのしるしがあり、以来よく祭事が行われました。

江戸時代に入り、幕府の尊信は篤く、8代将軍 徳川吉宗公が享保元年(1716年)、将軍職を継ぐに至り、同14年(1729年)に老中岡崎城水野忠之に命じ、現在地(忠臣蔵浅野内匠頭の夫人、瑶泉院の実家・浅野土佐守邸跡)に現社殿を建立、翌15年(1730年)4月26日に遷座が行われ、28日に将軍直々のご参拝がありました。

以降、14代家茂公まで、歴代将軍の朱印状(港区文化財)が下附されました。

 

赤坂氷川神社ホームページより

 

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境内は、静かな時間が流れていた。

 

日枝神社と同じように、スーツ姿のビジネスパーソンから、朝の散歩で来たような方、そして外国の方…皆、心静かに参道を歩いておられた。

 

一休みしていたら、ここでも蚊に愛されてしまった。

 

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本殿に参拝する。

 

御祭神は素盞嗚尊(すさのおのみこと)、奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、大己貴命(おおなむぢのみこと別名…大国主命)の三神だそうだ。

 

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境内には、包丁塚という場所が。

ここ赤坂は古くから料亭などのお店が多いため、その料理人が使ってきた包丁や刃物に感謝をささげる碑だそうだ。美味しいもの好きな私も、心を込めて手を合わせておいた。

 

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赤坂氷川神社の後、目黒にある「自然教育園」に行きたかったのだが、経路を調べているうちに月曜日休みだということが発覚してしまった。行く前でよかったし、今回は「行かなくていい」ということなのだろう。

 

とりあえず最寄りの六本木一丁目駅まで歩いたのだが、5月と思えぬ暑さのため、休憩することに。

 

「ロッポンギのスタバでお茶」のシチュエーションでおのぼりさんを満喫していたら、気づけば1時間半もぼんやりとしていた。

 

先日の熊野路といい、旅先では「せっかく来たんだから」と超ハードワーカーになるのが私の旅の常だったが、図らずもこうしたゆっくりとした時間が持てることは驚きだった。

 

少し旅の楽しみ方も、変わってきたのかもしれない。 

 

そんなことを思いながら、熊野路とはまた違った、日本の近現代の歴史の中心となってきた赤坂路を楽しむことができた。

 

また、ここを訪れようと思った。

 

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