大嵜 直人のブログ

別れによって傷ついたココロは、出会いで癒される。私が辿ったそんな物語を「書く」ことをライフワークにしています。

ビル街の中の神社をお参りしたら、神さまにお会いした日。

市内の中心街で仕事だった。

 

昨日の夜から大雨だったが、自宅を出るときには小降りになっていた。

 

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普段通らない道を通ると、いつもと違う景色が目に入って楽しい。

 

雨に濡れるツツジ

 

もうそろそろ終わりがけのようだ。

 

ワーカホリックに張り詰めて仕事をしていた時代は、路傍の花など目に入らなかった。

 

むしろ、四季の移ろいも感じられず、むしろ気温の変化という必要に迫られて、着るものを半袖にしたり長袖にしたりするだけのものだった。

 

いまは、季節が移ろうのは生きる楽しみの一つである。

 

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午前中の2件のアポイントを終え、お昼にする。

 

大好きなお店の、蛍いかととうもろこしの天丼。

 

夏が来てくれてよかったと思うひととき。

 

このために、「いや、私の方が伺います!」とアポイントを入れている気がするが、おそらく気のせいなのだろう。

 

午後の一つ目の仕事が終わり、次のアポイントは地下鉄で乗り換えを含んだ3駅先だった。

 

暑いくらいの陽気だったが、時間があったので歩くことにした。

 

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ふと見ると、ビル街の中に神社が。

 

桜天神社という神社だそうだ。

 

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その雰囲気に惹かれて、鳥居をくぐる。

 

不思議といい風が吹いている。

 

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境内の掲示を見ると、祭神は菅原道真公だそうだ。

 

由緒には、織田信秀(信長の父)は菅原道真公を深く信仰しており、京都の北野天満宮より、道真公の木像を勧進して那古野城中に祀ったのを、1538年にこの地に遷座したそうだ。

 

この境内には桜の大樹があり、「櫻天満宮」と称していたが、明治の折に「菅原神社」と名を変え、「桜天神」と崇敬されている、と。

 

長いこと名古屋に住んでいながら、まだまだ知らない歴史がたくさんあるものだ。

 

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熊野の旅で見たような、自然の中の神社も素晴らしいが、ビルの中にある社もまた素晴らしい。

 

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凛とした空気の中、手を合わせる。

 

都会の喧騒を忘れる静けさに、しばらくぼんやりしていた。

 

そろそろと思い、目的地に向けてまた歩き出した。

 

しばらくして、地図を見ようとスマホをポケットから取り出したとき、いつもそこに入れているはずの定期入れがない。

 

慌てて路上で店屋を広げ、背広のポケットから鞄から探してみるが、ない。

 

名刺と定期とICカードが入っていたっけ…まいったなぁ…

 

午後イチで訪問した会社だろうか、いや、桜天神社か…?

 

とりあえず、恥ずかしながら先方の会社に電話するも、見当たらないとのこと。

 

もし見つかったら連絡しますね、と仰って頂く。

 

とりあえず桜天神社までの道を戻り始めた。

 

次のアポイントの時間に遅れそうだな…と思っていると、ふとすれ違うスマホで電話をかけていた男性の手元の茶色が目に入る。

 

あ、名刺入れ。

 

目線が合うと、男性は私の言いたいことを瞬時に理解したようだった。

 

電話を切った男性は、いま名刺の電話番号に電話してたとこなんです、と。

 

いや、あなたは神さまですか。

 

いましがた、神社にお参りしたんですけど、こんなところにいらっしゃったんですね、とは言わなかったが、ひたすら頭を下げた。

 

念のため、手帳に入れていた名刺の予備を見せて、名刺入れを返して頂いた。

 

よかったですね、それじゃ、と歩き出した男性に、せめてお名前を…と声をかけようと思ったが、聞くのは野暮だろうと思ってやめた。

 

頂いた恩を、そっくりそのままの形で、その人にお返しすることに、こだわらなくていい。

 

「次」の人に、恩を送ろうと思った。

 

= 

 

多くのスポーツにおいて、「肩の力を抜く」、「リラックスする」ということが大事、とよく言われる。

 

ガチガチに力が入った状態は、パフォーマンスを落とす。

 

心にも同じことが言えて、「しっかりしなきゃ」「自分で何とかしなきゃ」という想いが強すぎると、疲れてしまう。

 

適度に緩んでいた方がいい。

 

そして緩むと、今までできていた事ができなくなったり、今までにないミスが起こったりする事がある。

 

それでいいのだと思う。

 

その「できなくなったこと」は「誰かにさせてあげること」であり、「起こったミス」は「誰かにフォローさせてあげること」なのだから。

 

誰もミスしない社会よりも、誰かが起こしたミスをカバーできる社会の方が、きっと優しい。

 

そんなことを思った日だった。

 

拾って頂いた神さま、ありがとうございました。

 

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