大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

熊野古道をめぐる起源と再生の旅6 ~奈良県吉野郡・天河大辨財天社 訪問記

熊野古道をめぐる起源と再生の旅1 ~三重県熊野市・花の窟神社 訪問記

熊野古道をめぐる起源と再生の旅2 ~和歌山県新宮市・神倉神社 訪問記

熊野古道をめぐる起源と再生の旅3 ~和歌山県田辺市・熊野本宮大社/大斎原 訪問記

熊野古道をめぐる起源と再生の旅4 ~奈良県吉野郡・十津川村/玉置山 訪問記

熊野古道をめぐる起源と再生の旅5 ~奈良県吉野郡・玉置神社 訪問記

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無事に玉置神社を参拝することができた満足感に浸る間もなく、これまで登ってきたグネグネ道を下る。

「猫又の滝」で休憩した後、雨足は少し弱まったようだった。

そのまま十津川村を北上して、今日の宿にたどり着いた頃には、陽も傾きかけていた。

さすがに長距離、そして山道の運転、そしてたくさん歩いたおかげで、早々に床に就いた。

翌朝、この熊野古道をめぐる旅の最後の目的地を目指して、山道のドライブを再開する。

奈良県吉野郡は天川村に鎮座し、「日本三大弁財天」に数えられ「芸能の神様」として名高い天河大辨財天社

玉置神社を訪れるきっかけが、漫画「陰陽師」の中に出てくる安倍晴明の雨乞いの旅だと先に書いたが、天河大辨財天社のある天川村が、その旅の終着点だった。

山上ヶ岳、行者還岳、深山の三つの峰を水源とする三つの川が合流して「天の川」となるこの場所は、古くから水にかかわる信仰の聖地とされてきたそうだ。

その景色を見て、その空気を吸ってみたい。

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その想いで、夜明けからまたあの山道の運転をスタートさせた。

相変わらずのハードワークぶりである。

けれど、そのおかげで十津川村のこんな絶景を目にすることもできた。

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エメラルドグリーンをたたえる十津川、そして山々から見える朝靄が神々の息吹のようだった。

早起きも、悪くない。

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国道168号線をひたすら道なりに北上する。

2車線になったり、すぐに極端に狭くなったり、見通しの悪いカーブが続いたり、そこに対向車がやってきたりと、両手でハンドルを「ぎゅっ」っと握っての運転が続く。

やがてナビの指示に従い、168号線を折れて53号線の「高野天川線」に入ると、ほどなくして「土砂崩れ通行止め」の看板が出ていた。

天の川沿いの「すずかけの道」とやらが、崩落により通行止めらしい。

これは行くな、と言われているのかな、と思ったが、早朝から工事作業をされていた方が、相互通行になっている迂回路を案内してくれた。

この迂回路が昔の林道そのままで、傾斜、道幅、整備状況すべてにおいて、この旅一番の悪路で、冷や汗をかきながらゆっくり、ゆっくりと運転した。 

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そんなこんなで、天川村の集落を見かけたときには、ほっとした。

眼前に見える山々は、これまで通ってきた熊野古道の森とは、また雰囲気が違っていた。

峻烈で人を拒絶しそうな張り詰めた感のある雰囲気だったのが、この天川村の山々はどこか優しげで、懐かしい感じがした。

林道の悪路を通って、ようやくたどり着いたこともあるのだろうか。

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天の川に架けられた朱塗りのガードレールの橋を渡って、いよいよ天河大辨財天社へ。

それにしても、この空の色は、深い。

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橋を渡った先にある、歓迎の表示。

この赤い建築物に、私は既視感を覚えた。

どこか、遠い昔に私は見たことがあるような気がしたのだ。

この既視感は、天河大辨財天社を参拝しているあいだじゅう、私に張り付いていた。 

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ようやくたどり着いた。

朝日を背に、神々しい赤鳥居。

この鳥居をくぐる瞬間が、好きだ。

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その名を刻んだ、石柱。

後光が差して、こちらも神々しい。

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御神燈と、天川村の山々。

やはり、どこか懐かしい感がした。

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境内に着いたのは、ちょうど朝8時を回ったあたりだった。

まだ人けは少ないが、それでも続々と駐車場には車が入ってきていた。

朝早い時間の寺社仏閣は気持ちがいいものだが、この天河大辨財天社の空気の清浄さといったら。

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中鳥居をくぐり、本殿に参拝する。

本殿の中の舞台では、何かの行事の準備をされていた。

拝殿の鈴は、五十鈴(いすず)と呼ばれる神器だそうだ。

静かに手を合わせて、祈りを捧げた。

主祭神は、

・市杵島姫命(いちきしまひめのみこと、辨財天様)

・熊野坐大神

・吉野坐大神

・南朝四代天皇の御霊

・神代天之御中主神より百柱の神

という神々をお祭りされているそうだ。

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天河大辨財天社には、三つの「天石」が祀られていた。

天石の云われ

大峯弥山を源流とする清流は天の川にそそがれ坪内(壷中天)で蛇行し、その形は龍をしのばせる。鎮守の社、琵琶山の磐座に辨財天が鎮まり、古より多くの歴史を有す。

この地は「四石三水八ツの社」と言われ、

 四つの天から降った石

 三つの湧き出る清水

 八つの社

に囲まれし処とされ、神域をあらわす。その内三つの天石を境内に祀る。

(境内の掲示より)

その内の一つが、上の五社殿横に祀られた石。 

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そして二つ目が階段横に祀られたこの石。

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三つ目が裏参道ということで、神社の裏手に回る。

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裏参道からも、拝殿への道があった。

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「裏参道下の行者堂横」と掲示があったが、この石だろうか。

他の二つの石と異なり、囲まれていないため分からなかった。

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境内に戻り、しばしの休憩を。

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日陰になった境内で、少しの時間腰掛け、目を閉じていた。

それにしても、心地のいい場所だった。 

いつまでもこうしてぼんやりしていたかったが、この日は午後から大阪でクリスタルボウルの演奏を聴くことにしていたので、また気合を入れ直して長い距離の運転に入ることにした。

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行き道で渡った橋を、反対側から渡る。

この「お気をつけてお帰り下さい」の文字、そしてこの住宅が並ぶ風景と山並みの風景。

やはり、既視感があった。 

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309号線を通って、北上し大阪へ向かう。

この309号線が「近畿三大酷道」のうちの一つとして名高い「酷道」だと知ったのは、旅行から帰ってきてからの話だ。

なかなかにスリリングな狭路のある道だった。

けれども、この309号線のトンネルとその合間の風景は、いつか親の車の後部座席で眺めていた風景に似ていた。

後から姉にこの既視感の話を聞いてみたのだが、姉の記憶の限り、奈良県へ家族旅行をしたことはないと言っていた。

あの道を通ってから、もう2週間近くが経とうとしているが、いまだに腑に落ちないままだ。

それでも、姉と話す中で思い出したことができたことがある。

私が物心つく前に亡くなった父方の祖父は、奈良県の生まれだった。

どうも日常に追いかけられていると、そんなことも忘れてしまうらしい。

この奈良の山々と住宅が並ぶ風景に懐かしさを覚えるのは、ひょっとしたら私のルーツの一つが、ここにあるからなのかもしれない。

もしかしたらあの既視感は、辨財天の神様が、ふと祖母や父の記憶を見せてくれたのだろうか。

309号線の悪路を越えて、ようやく整備された道に出て、久しぶりに信号待ちになったところで、私はそんなよしなしごとを考えていた。

やっぱり、旅はいい。

また、旅に出ようと思った。