大嵜 直人のブログ

別れによって傷ついたココロは、出会いで癒される。私が辿ったそんな物語を「書く」ことをライフワークにしています。

目的や目標が「ない」方が、続けられる。

何かを続けるとき、目的や目標を決めた方がいいとよく言われる。

 

けれど、往々にして真実は一見そう見えることの逆側にある。

 

実は、目的や目標が「ない」方が、続けられることもあるのではないかと思うのだ。

 

私の、このブログのように。

 

そして、時にそうした目標が「ない」習慣や継続は、人がまったく想像だにしなかった奇跡を起こしてくれるようなのだ。

 

 

気付けば、ここで書いてきた記事600記事を超えていた。

 

SNSでちょこちょこと投稿していたところ、ありがたいことに「ブログを書いたらどうですか?」ということを仰って頂いたりして、2017年8月から毎日書き続けてきた。

 

続ける、というものは不思議なものだ。

 

毎日毎日当たり前のようにやっていることが、ある日突然、奇跡を起こすことがある。

 

私がここで書き続けた中でも、想像だにしなかったことが起こった。

 

初対面の方が遠方からわざわざ私の話を聞きにお越しになられたことがあったり、

 

お馬さんの話を書いていたらフリーペーパーから寄稿依頼を頂いて貴重な経験をさせて頂いたり、

 

私の文章が好きなので執筆のご依頼を頂いたり

 

とてもありがたい感想を頂いて、大して夢などなかったはずの私が、実は大きな夢が叶っていることに気づいたり。

 

それこそ、ここで毎日書いていなければ、起こり得ない奇跡だった。

 

そんなことを目的にして始めたわけでもなかったし、具体的な目標を持っていたわけでもなかった。

 

もちろん書き始めた頃は、「書いたことで褒められたい」という承認欲求がもちろんあったし、ブログを書くことで、すごいお金を稼ぐ人たちが世の中にいることを知って、それを目標にしようかと思ったこともあった。

 

お金への怖れが幸いしたのか、結局そうした方向には行かなかった。

 

おかげで、アドセンスアフィリエイトもしていない、無料ブログのままだ。

 

いまは、少しでもアクセスがあって、このサービスを運営されている「はてな」さんに恩が返せればいいな、とは思っている。

 

私にとっては、目的や目標がない方が、続けることにつながっているようなのだ。

 

 

もちろん、確固たる意志をもって、目的や目標へのモチベーションを保ち続けられる人が世の中にはいる。

 

そうした気質の人は、傍から見ていても憧れる。

 

けれど、私は「痩せる」「カッコよくなる」という目標で始めた「ランニング」や「筋トレ」、あるいは「資格を取る」ために始めた「勉強」は、続けることができなかった。

 

気が向いたら走る、くらいのところに落ち着いてしまった。

 

また、テストや発表会、イベント、何かを納品する、といった「期限」があるものについては、目的や目標を持って続けられる。

 

けれど、その頑張りを無期限に続けられるだろうか。

 

今生の最後の日が訪れても、間違いなくそれを続けているだろうか。

 

そう考えると、「期限」というモチベーションはドーピングのようであり、なかなか長続きしない。

 

あるいは、自分にとって本当に大切な「目的」や「目標」だったら、どうだろうか。

 

そうした「目的」や「目標」も、時間が経つごとに必ず「期待」というものが混じりはじめるというのが、人の心情というものである。

 

「そうなったらいいな」が「そうじゃないとダメ」、「はやくそうなってくれないかな」になり、よく言われる格言の「期待は裏切られる」の通りになる。

 

最初から、「目的」も「目標」もいらないんじゃないか、と思うのだ。

 

私が毎日ここで書いてるのも、ただ書きたいから、書く時間が好きだから。

 

その先の結果なんて、考えても仕方がない。

 

だって、未来は予測できるわけもないのだから。

 

どんな素晴らしい「目的」も「目標」を考えたとしても、それ以上のものを世界は用意してくれるかもしれない。

 

「目的」も「目標」も、なくてもいい。

 

むしろその方が、続けるという視点からすると、大切なことなのかもしれない。

 

ただ、その習慣や行為自体を楽しむこと。

 

その先に何があるのかは、すべてお任せでいい。

 

 

西洋哲学の歴史を紐解けば、2,000年以上も前から「生きる目的は何か?」という問いについて人は頭を悩ませてきた。

 

これからもその問いは続いていくのだろうが、もしかしたら生きることに何の「目的」も「目標」もないのかもしれない。

 

こう書くと、諦めやニヒリズムのように聞こえるかもしれないが、究極的にはそうなんじゃないかと、思ったりする。

 

私がこの世に生まれて来た使命、あるいはお役目、そうしたものに憧れもするのだが。

 

「目標」や「目的」がないおかげで、「生きることを続けられている」のかもしれないのだから。

 

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