大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

大切な人を傷つけないために、あなたの尊厳を守るために、「ありがとう」と言おう。

いや、そんなことないです。
滅相もないです。
気を遣わせてしまって、すいません。
自分には過分なお言葉です。
それは、逆に申し訳ないです。

そんな言葉を、よく使っていた。

謙遜とは美徳ではなくて、自らの無価値観からくる怯えと誤謬だと気づいたのは、ごく最近のように思う。

それらの言葉の代わりに、

ありがとう。

その言葉を言えるようにしたいと思う。

それは、世界でたった一人の自分という大切な人間の尊厳を守るために。
そして、大切な人を傷つけないために。

自分の仕事なのか、性格なのか、才能なのか、容姿なのか、能力なのか、言葉なのか、それらを褒められたとき。

認められたとき。

あなたでよかったと言われたとき。

お世辞ですよね?
ほんとに思ってます?

そんなことはないです。
全然、自分なんかよりもすごい人いっぱいいます。

まだまだ、自分は足りないんです。

そんな言葉とともに、福岡ソフトバンクホークスの「ギータ」こと柳田選手のフルスイングよろしく、強烈に首を振ってしまっていた。

受け取り下手。
愛を、受け取れない男。

それは、ある意味では仕方がないのかもしれない。

心の奥底にずっと蓋をして閉まっていた、過去の傷、痛み。

感じることが恐ろしくて、無意識のうちにヒューズを飛ばすようにして感じないようにして、心の奥深くのとてもやわらかい場所にひっそりと置かれる。

その抱えている傷や痛みがあると、そのやわらかい場所に収まるはずのやさしい何かは、受け入れることができなくなる。

意識するにせよ、無意識的にせよ、この傷を抱えてまだ見えない血を流し続けている私は、ゾンビのような存在なのだ。

そんな私は、大切な人の愛を受け取ってはいけない。

大切な人の愛が、穢れてしまう。

大切な人を、汚してしまう。

だから、受け取れない。

大切な人ほど、受け取れない。

自分は、受け取るに値しない。

それと同時に、この抱えた傷や痛みを引き起こした他人が、たまらなく怖い。

どれだけ笑顔で、どれだけ真心を込めて、どれだけ優しそうに見えても、その差し出された水には、毒が入っているのかもしれない。

そう、あのときのように。

だから、差し出されたコップになみなみと注がれた冷たい水を、腐りゆくまでじっと眺めているしかない。

何度も何度も、乾いた喉を鳴らしながら。

とても美味そうに、それを鯨飲する人たちを横目で見ながら。

差し出した優しい人の、悲しい目を見ないようにしながら。 

その悲しい物語を終わらせるのは、たった五文字の言葉だ。

ありがとう。

どんな問題も葛藤も困難も、最後は感謝で終わる。

どんな経路を辿ろうとも、人生という旅路の終着点は感謝だ。

どうせ人生の最後にはその終着駅に解脱するのなら、最初からその五文字を言っておけばいい。

ありがとう。

その五文字とともに、どこまでも限りなく広がる意識の中で、
早まる動悸と、
掌に滲む汗と、
全身がむずがゆい感じと、
心の奥底にほのかに宿るあたたかな炎を、
楽しめばいい。

人は、自分の中にあるものしか、 世界を見ることができない。

だとするなら、大切な人たちからの言葉たちは、あなたに向けられた言葉と同時に、大切な人たちを現す言葉でもある。

その言葉を受け取らないということは、
その大切な人たちの素晴らしい存在をも否定してしまう。

これ以上、世界に悲しみと傷を増やさないために。

あなたの大切な人を、傷つけないために。

あなたの大切な人を、大切にするために。

そして、
世界でたった一人の、あなたという存在の尊厳を守るために。

ありがとう。

と言おう。

その五文字を、伝えよう。

今日も、ありがとう。