大嵜 直人のブログ

別れによって傷ついたココロは、出会いで癒される。私が辿ったそんな物語を「書く」ことをライフワークにしています。

断酒日記 【126日目】

さて、断酒をして4ヶ月が経過した。

 

もう習慣としての飲酒の癖は全くなくなって、「飲んでない」という意識もあまりなくなった。

 

今日は久しぶりに馴染みの割烹に一人いそいそと足を運んで、ノンアルコールビールで浄化されながらこのブログを書いている。

 

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それにしても、イカのワタが沁みる。

 

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いかのわたの炭焼き

 

飲まないと、なかなか一人で割烹なり居酒屋に入るのはハードルが高いので、それをどうするかが今後の課題だ。

 

外でちょっと飲むなら解禁するのか、それとも初見のお店は飲む人と一緒に行くようにするか・・・まあなるようになるだろう。

 

 

先日、飲んでいたときと比べて体調は変わりました?と聞かれて、はてさて、どうだったかな・・・?と考えてみたのだが、4ヶ月前の体調を鮮明に覚えているわけでもないので、明確な答えが出なかった。

 

強いて言うなら、二日酔いがなくなった分、朝起きるのは爽快だ。苦じゃないどころか、夏休みに入って3日目くらいの小学生感のある寝起きの日もある。

 

断酒について話していて、そうした寝起きに加えて、明確に変わったと思える変化に二つ気づいた。

 

その変化は、禁煙の作用と似ている。

 

食欲と性欲である。

 

これはけっこう恥ずかしいのだが、コアな話だし、断酒の経験を語る上では外せない話だと感じるので、思い切って書いてみようと思う。

 

恥ずかしさを紛らわせるため、飯テロをかませながら。

 

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まだい、ぶり、かつお、ほんまぐろ、ひらめ、さわら、あかむつ

 

まず食欲は分かりやすい。

 

お酒をやめた分の刺激を何か別のもので得ようとするのだろうか、甘いものと炭水化物を欲するようになる。特に夜。

 

やめて2ヶ月くらいの頃がその影響がよく出ていたような気がする。

 

夜に仕事をしながらコンビニで売ってるアーモンドチョコレートをバクバクと一箱食べてしまったり、

夕飯で炭水化物を欲するようになり、成長期の子どものようによく食べてしまう。

 

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大将が生涯一かもと言っていた平目の縁側

 

おかげで体重も増加傾向にある。

 

食べた分は消費しないといけないが、なかなかそのバランスを取るのが難しい。

 

最近はだいぶ落ち着いてきたが、それでも甘い物を欲してしまうことと、ご飯ものをたくさん欲してしまうことは、断酒の変化のように思う。

 

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その平目の生肝

 

それは以前に禁煙したときと同じだ。

 

煙草を吸っていたときより、食欲が戻って、口が寂しくなって甘いものを欲する。

 

これは禁煙した経験のある人なら、誰しもが通る道のような気がする。

 

そしてもう一つ、性欲。

 

こっぱずかしい話しであるが、今年の年明けくらいから「もう、中学生かよっ!」というくらい、無性に性欲が湧いた時期があった。

 

喫煙と飲酒がEDの原因であることはよく知られているが、逆にそれらを摂取しなくなると、性欲が増大することがあるのだろうか?

 

私は専門家でもないし、知識が豊富であるわけでもないが、それはあるような気がする。

 

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わけぎとあおやぎのぬたあえ

 

というか、そう考えると実体験としての私の経験が説明しやすいように思う。

 

性欲と書くといけないことのように感じてしまうが、性へのエネルギーとは、すなわち生命力、セクシャリティ、その人本来の持つ魅力に他ならない。

 

「英雄、色を好む」

ではないが、英雄のように何事かを成し遂げるような人は、セクシャリティの魅力に溢れていることが多い。

 

ここでいうセクシャリティとは、単に分かりやすいお色気があるとか、筋肉が発達している、という話ではなくて、その人の固有の魅力が開花している、ということを指す。

 

さて、飲酒時の勃起不全は男性なら誰しもがご理解いただけると思うのだが、お酒や煙草には性欲、というか生命の持つエネルギーを抑制する効果があるのだろうか。

 

もしそうだとしたら、なぜ人は煙草を吸ったり、お酒を飲んだりするのだろうか。

 

もし人の持つ生命力や生命エネルギーを減退させたり抑圧したりするという自傷行為に近いものがあるとしたら、なぜ人間の長い歴史の中で残ってきたのだろうか。

 

これは結構、興味深い話しだ。

 

人は自らの生命エネルギーやセクシャリティといったものを解放することを、潜在的に怖れているのだろうか?

 

だとしたら、なぜ?

 

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わかさぎ、あなご、こごみ、うるい、ぎょうじゃにんにく、ふきのとう、れんこん

 

男性性のシンボルだからだろうか?

 

筋力、決断力、エネルギー、知恵、意思、忍耐、行動力…人はそうした男性性のエネルギー(男性固有のものではなく、男性も女性も持っている資質)を使うことを怖れ、それを使うことに罪悪感を覚える。

 

力を振るうことで、相手を傷つけてしまうかもしれない、と潜在的に怖れるからだ。

 

けれど、セクシャリティとは単に男性性に限った話ではない。

もちろ、女性性としてのセクシャリティもある。

 

人がその歴史の中で、文化となるまで残してきた「喫煙」と「飲酒」という習慣。

 

それが、セクシャリティや生命力を抑圧するという意味があるとしたら、なぜわざわざそれを文化として残してきたのだろう。

 

考えれば考えるほど、不思議である。

 

これもまた昨日の「怖れ」と同じように、もう少し時間をかけて考えてみる必要がありそうだ。

 

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かきのてりやきごはん

 

 

さて、それはともかく、一時期は中学生のようだったそれも、最近はそれもおさまってきたようで、あまり気にならなくなった。

 

というか、その状態に「慣れた」という表現の方が正しいのかもしれない。

 

性へのエネルギーとは、すなわち生きるエネルギー、生命としてのエネルギーだ。

 

それは、そのままセックスへのエネルギーとして向けることもできるし、さきほどの「英雄」ではないが何かを成し遂げる原動力になったり、あるいは人を惹きつける魅力やカリスマ性になったり、はたまた芸術表現の核になったりもする。

 

願わくば、私にも断酒で解放された?セクシャリティやエネルギーがあるなら、そうしたポジティブな方向に向かいますよう。

 

ということで、中学生やらこっぱずかしい話だったが、確実に断酒の作用としてあると思われる変化について書いてみた。

 

セクシャリティや性へのエネルギーの抑圧については、また少し時間をかけて考えてみたいと思う。

 

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