大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

風邪をよく引くようになった。弱くなった。いいことだ。

昨日のエントリーで、風邪を引いていることを書いたら、お気遣いのコメントやメッセージを頂いた。

お心遣い痛み入ります。

ありがとうございます。

昨日は底冷えのする倉庫から帰ってきたら熱が上がってきたりもしたが、おかげさまで今朝はだいぶよくなって、少しすっきりしている。

一昨日病院で処方して頂いた薬が、効いてきたのかもしれない。

そういえば、この冬に風邪を引いたのは2回目だった。

どちらもインフルエンザではないのだが、今年はよく風邪を引く。

以前に比べると、よく「普通の」風邪を引くようになったと思う。

以前よりも、弱くなったのかもしれない。

いいことだと思う。

考えてみれば、ワーカホリックにひどくはまっていた時代は、風邪を全然引かなかったように思う。

いや、罹っていたのだが、気づかないようにして無理していたのだろうか。

全部自分でやらないといけない。

人に任せることはできないし、

説明したり教えている時間がもったいない。

だから仕事は休めないし、無理してでも頑張らないといけない。

無理しても、睡眠を削っても大丈夫な身体でないといけない。

風邪を引いては、いけない。

頑張らないといけないという状況は、

さらに頑張らないといけない状況を生む。

周りが「あの人は好きで頑張っている人」と見るからだ。

もちろん、ある限られた期間、寝食を忘れて頑張ることは、誰にでもある。

ただ、それをずっと続けることはできない。

どこかでオーバーホールなり、ピットインなり、「抜く」時間が要る。

夜があって昼があるように、夏があって冬があるように、陰陽のバランスはいつも半々だ。

病気も痛みもあっての健康な身体なのに、ずっと頑張り続けることなど、この生身の身体の人間には、できはしない。

いや、機械だって定期メンテナンスなりしないと、いつか潰れてしまう。

風邪を引くのも、自然なこと。

弱くあって、いいと思う。

弱い、ということは、誰かに助けてもらえる、ということ。

誰かに助けてもらえる、ということは、誰かに助けさせてあげる、ということ。

弱さとは、

受動のように見えて、実は能動なのかもしれない。

そういえば、極度に忙しかった時分に、親知らずを抜いたことがあった。

ストレスなりで噛みしめ過ぎた奥歯が、悲鳴を上げたのかもしれない。

どうにもこうにも時間が取れず、さりとて親知らずの激しい痛みに夜もうなされるようになり、どうにかこうにか土曜日の午後に時間をつくって、近所の歯医者に飛び込んだ。

ああ、斜めに生えかけたまま埋没した親知らずが炎症を起こしてるね。

おそらく、麻酔していったん歯を割って、それから抜く手術が必要になるよ。

ウチではその手術は無理だから、紹介状を書くので大学病院の口腔外科にお願いしてね。

それを聞いた私は、「は?何言ってるかよくわかんないです」のサンドイッチマン状態だった。

え?大学病院?

忙しくて平日に休みなんて取れるわけないから、いまここに来てるのに。

手術ができないって、どういうこと?

どうにも納得できず、とりあえずの痛み止めだけを処方してもらって、不満やるかたなくその歯医者を出た。

歯医者などなかった昔の時代の人は、いったいこういうときどうしていたのだろう?

無理矢理に歯を抜く方法があったのだろうか?

休みなんて取れないし、いっそのこと、その方法で抜きたいくらいだ・・・ググってみるか・・・

そんな馬鹿なことも考えていた。

まあそんなことできるはずもなく、さりとて熱を持って痛む親知らずをどうにもできず。

ひょっとしたら、ほかの歯医者さんなら抜いてくれるかもしれない。

そう思って、近所の歯医者を検索して梯子酒ならぬ梯子歯医者をした。

が、二軒目もダメ。

一軒目と同じように、口腔外科じゃないと厳しいよ、と。

がっくりと落とした肩に、夕陽がぽんと手を叩いたような夕暮れだった。

それでもあきらめきれず、もう一杯だけ、を繰り返す酔客のように、あともう一軒だけ、とばかりに「親知らずが痛くて痛くて・・・助けてください」と電話して、少し離れた歯医者に滑り込んだ。

閉院時間もギリギリに訪れた珍客に、その若い先生は嫌な顔ひとつせずに診察してくれた。

ああ、これは痛そうですね。

ここまで放っておいたら、そりゃ痛いですよ。

じゃ、今から抜きましょう。

それを聞いた私は、本日二度目の「は?何言ってるかよくわかんないです」のサンドイッチマン状態だった。

え?イマカラ?

いや、あの、心の準備ってやつが・・・

有無を言わせる暇もなく麻酔を打たれて、あっという間に親知らずを抜かれた。

その時間、わずかに10分程度。

まさにゴッドハンドだと思った。

抜いたのが下の親知らずだったため、口がまともに閉まらず、口の中は血だらけで、歪んだ表情で深々とその先生にお礼を述べて、帰路についた。

麻酔が切れる前にロキソニンを飲まないといけないという教えを忘れてしまい、冷や汗が出て動けなくなるような激痛を味わうことになったのだが、のたうち回りながらもあのゴッドハンドの先生に感謝した。

その世話になったその先生のもとに、今でも私は定期健診で通っている。

そんなこんなで、風邪の話から全く脈絡のない親知らずの話になってしまった。

結局のところ、強くあろうと頑張っても、どこかで限界がくるものだ。

そのときに出会えたものは、ずっと財産になる。

それは、無理をしてみないと分からないものだ。

そして、無理をしていると、もう無理が効かなかったり、自力ではどうしようもない状況が訪れる。

そのときに、素直に頭を下げて「助けてください」と言えるようになりたいものだ。

それは、「弱さ」というよりは「強さ」であるかもしれないのだから。 

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