なにかを失った、だとか、
過ぎ去った時間になにがあったか、とか、
これからの行く末になにがあるか、とか、
まして、いまがどうだ、とか、
そんなことは、まったく関係ない。
わたしは、
あなたのなかに、確かに灯っている光を、
いつも見ている。
=
外と内は、突き詰めていくとひっくり返って同じことになる。
裏の裏は表であり、メビウスの輪には始まりと終わりがない。
誰かのためにやっていたことは、めぐりめぐって自分のために還ってくる。
自分だけのためにやっていたことは、結局自分の周りの大切な人に大きな恩恵を与える。
誰か好きなことを描くのがデザインで、自分の好きなことを描くのがアート。
けれど、
優れたデザイナーほど自分の好きなことや嗜好に殉じていたり、一流のアーティストほど自分語りをしているように見えて、実は皆が言語化できなかったことを集合的な無意識から掬い上げて代弁する。
初期に傾倒したシュルレアリスムの活動から離れたジャコメッティは、次第に大きく作風を変えていった。
人間の本質に迫ろうと、余分なものをすべて削ぎ落としていったその彫刻たち。
針金のような細さまで削ぎ落とされた彫刻はしかし、見る者を圧倒し、その場の空間を支配するかのような存在感を放つようになる。
大きな会場のコンサートで、多くの感動を与えるアーティストたち。
彼らはまずたった一人の観客とコンタクトを取り、その観客と魂の糸をつなぐ。
その一人の観客の波長はやがて波紋のように広がり、すべての観客と糸をつないでいく。
その空間における人が、アーティストを介してすべての人がつながる。
あるいは、1,000人を超える聴衆の講演会でのスピーカーも同じだ。
ある、たった一人の聴衆に向けて、魂を振り絞ってスピーチをする。
それが、結果として多くの人の心を動かす。
ブログだって同じだ。
自分の内面という深淵なる海を掘り下げた底には、
多くの人を惹きつける言葉が眠っている。
突き詰めていくと、集中はある臨界点で拡散する。
マーケティングの本質は、人が何を求めているのか?を見極めることだ。
イベントでもビジネスでも、自分のやりたいことだけしか考えていなかったら、集客できるはずもない。
じゃあ「人が何を求めているのか?」を知るとは、どういうことか?といえば、
結局とどのつまり、「自分が何を求めているのか?」を知ることに尽きる。
誰しもが抱える孤独という痛みは幻想であり、
意識の奥底では誰しもがつながっている。
それは「袖振り合うも他生の縁」といわれるように、いまのみならず他の時間軸においても同じなのだろう。
裏の裏は、表。
内と外は突き詰めてみれば同じで、メビウスの輪のように同じ地点に戻る。
離れているように見える世界は、突き詰めていけば同じ場所にたどりつく。
あなたはわたし。
わたしはあなた。
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あなたはわたし。
わたしはあなた。
あなたの喜びは、わたしの喜び。
あなたの痛みは、わたしの痛み。
そうであるならば、その痛みにただ揺れていよう。
そうであるならば、奥歯が欠けるまで噛み締めよう。
そうであるならば、痛みが魂の光を深く輝かせる導きとなるように祈りをささげよう。
そうであるならば、心配よりも信頼を贈ろう。
どうやっても、あなたの光は、必ず誰かに希望の光を灯すから。
その光を、わたしはずっと見ている。