大嵜 直人のブログ

別れによって傷ついたココロは、出会いで癒される。私が辿ったそんな物語を「書く」ことをライフワークにしています。

北の星空に響く美しきあの音色を想うこと。

ameblo.jp

 

その写真を見たときに、私の中で何かが壊れた気がした。

 

涙が流れる。

 

人に見られない場所に隠れてひとしきり泣いたあとに、私はその音色に想いを寄せた。

 

名古屋と比べるには、あまりにも涼しい7月の北の大地。

 

その空の下のピラミッドで聴いた、あの神々しい音色。

 

広がる波紋、心臓のビート、海の底、寂しそうな母親の背中。

 

地上の光、見上げればそれは満天の星のようにピラミッドの天井に映っていた。

 

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あの薄いグリーンのボウルの音は、どんな音だったのだろう。

 

私の背骨に響いていたあの音だろうか。

 

お腹の下のほうで鳴っていたあの音だろうか。

 

それとも、頭の上のあたりで鳴っていたあの音だろうか。

 

私はそれを思い出せずにいた。

 

けれど、どれも合っているような気もする。

 

ボウルに割って溶いた複数の卵が、

もう不可分になってしまっているかのように、

 

あまりにも完璧なハーモニーから、

一つの音だけを取り出すのが困難なように、

 

あの星空の下で聴いたどの音も、あの美しいグリーンのボウルの音なのだろう。

 

たぶん、あのクリスタルボウルの美しい音色は、たしかに「わたし」という三文字の中の一部になってしまっていたのだと思う。

 

その身体の一部がなくなったかのような、喪失感と悲しさ、そして痛み。

 

 

いつも私は、何かを失うことを怖れ、何かが無くなることに痛みを感じる。

 

両親との突然の別離からなのか、それともずっと前から抱える痛みなのか。

 

いずれにせよ、別れる、壊れる、なくなる、変わる、失う、捨てられる・・・は、いつだって私にとって恐ろしいものだ。

 

もう言葉を交わすことのできなくなった父と母。

時間とともにバラバラになってしまったコミュニティ。

どこかで失くしてしまったキーホルダー。

大きく変わってしまった故郷の風景。

まちがって捨ててしまった本やアルバム。

 

どれも、私の心の中の最も痛い部分を刺激する。

 

何かを失う、という痛み。

 

その失われた空間に、あたらしくすばらしい何かが入ってくるという喜びよりも、その痛みに私は怯え、おののく。

 

それを思い出す痛みは、まるで病や呪いや災いのように感じ、得体の知れない焦燥感に胸が焼けただれてしまう。

 

分離などあり得ずに人と人は深い部分でつながっているとか、

起きていることは全て正しくてプロセスは完璧とか、

ものごとをただありのままに見るとか、

出来事は起きた、ただそれだけ、とか、

人生最大の悲劇は、人生最高の喜劇に変えらえるとか、

 

ほんとのところは、そっちが真実なのだとは思う。

 

けれど、そうだとしたら、

 

この頬を伝う涙は、何なのだろう。

この熱くなった目頭は、何なのだろう。

喉を鳴らすくぐもった音は、何なのだろう。

俄かに覚える吐き気は、何なのだろう。

 

そんなとき、私はいつも「ふう」と大きなため息を吐いて、伏し目がちに顔を上げる。

 

そうして、下唇を噛んで、できるだけ遠くを見る。

 

そこに何もないのを分かっていながら。

 

 

けれど、Rikaさんは

 

起こる出来事はニュートラルで、どのようにでも意味をつける事が出来る

 

おそらく世界の真実のひとつと思われる、そんな言葉を引用されていた。

 

起こった事は全て、さらによくなる為の出来事

 

そんなご自身の言葉とともに。

 

しなやかで、強く、美しい言葉だな、と思う。

 

失くしたものや、別れた人、過ぎ去った時間に、いつも執着してすぐにロスになる、至極めんどくさい男の私には、まだその境地は遠い。

 

 

至極めんどくさい男の私は、至極めんどくさいことを考える。

 

いったい、私の世界から消えてしまったものたちは、私のことを考えることがあるのだろうか、と。

 

今生の別れをした母親は、どこかから幼いころ私が好きだったコーラアップのパッケージが新しくなったのを見て、ぎゅっと胸が詰まるような想いをすることがあるのだろうか。

 

あの失われたコミュニティで使っていた譜面台は、私ではない誰かの楽譜を乗せてセンチメンタルに私を思い出すことがあるだろうか。

 

あのキーホルダーは、もともと付けられていたカバンを探すことがあるのだろうか。

 

いまもどこかで、あの失われた故郷の風景に秋風が吹くことがあるのだろうか。

 

あの捨ててしまったアルバムの写真は、いまもセピア色を強めていることなどあるのだろうか。 

 

ある。

 

根拠はないが、「ある」と思った。

 

いや。

 

いまも「わたし」のなかに息づく、あの北の星空に響く美しき音色が、きっと根拠なのだろうと思う。

 

それは、「わたし」だけでない。

 

そして、あの星空の下で一緒に音色に聞き惚れた人たちだけでもない。

 

それを聴いた人が誰かに触れるたび、その音色は水面に隆起する波紋のように共鳴し広がっていく。

 

その誰かは、また別の誰かとその音叉を共鳴させていく。

 

いまも、あの美しい緑色のクリスタルボウルの音色はこの世界に豊かに響いている。

 

そして、これからも。 

 

ずっと。

 

ずっと。

 

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心から、ありがとう。

 

その美しき音色を、CDで聴くことを心より楽しみにしています。

 

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