大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

そのようにして、今日も陽は傾いていくんじゃないかな。

おそらく、人生に困難をもたらす大きな要因の一つは、「一貫性」にこだわることだと思っていて。

ご多聞に漏れず、私も

「初志貫徹」
「一念発起岩をも砕く」
「初心忘るべからず」

みたいな言葉は大好きで。

けれど、もしかしたらその真意は、思っていたところとは違うところにあるかもしれないな、と。

そもそも自分も他人も、
人間だれしも二面性を持っている。

大勢で賑やかな場が好きな自分と、
おひとりさま時間が大好きな自分。

一途でピュアなわたしと、
八方美人で移り気なわたし。

ものすごい頑張り屋さんの一面と、
頼りなくて依存的な一面。

テキパキ仕事をこなす平日と、
ぐうたらで自堕落な休日。

時なり場所なり状況なり、なにかをきっかけに、
それは簡単に変わる。

どちらが本当の、ということもなくて、どちらも大切な一面。

「1」の目だけではすごろくは全然進まないし、
「6」のみではチンチロリンは全然面白くないように。

6つの面があってこそのサイコロ。

ほんとうのところ、「初志貫徹」すべきなのは、最初に立てた目標なりではなくて、それが「変化」していくことを捉え続けるという「志」なのではないかと思う。

たいせつなのは、表面で起きていることではなくて。

どんな出来事が起きたか。

誰に何を言われたか、何をされたか。

は、表面で起きていること。

それは、

何もしなくても日々季節が移ろうように、
陽がいつしか西の山に傾くように、
刻々と移り変わっていく。

それよりもたいせつなのは、

その出来事に対して、その相手に対して、
自分が何を思って、何を感じたか。

その逆に、

その出来事に対して、自分に対して、
相手が何を思って、何を感じたか。

も同じことで。

起きた出来事
相手にされたこと
自分がしたこと

にどうしたって目が向くけれど、

ほんとうは私たちが相手と交換しているのは、

何を思って、
何を感じたか。

この部分に尽きる。

それは、同じことが起きても感じることは、その日によって違う。

けれども、それでいいんだ。

どれだけ化粧をして取り繕っても、

どうせ全部バレてるんだから。

たいせつにするべき、こだわるべき「一貫性」は、

「感じたもの」そのもの一貫性ではなくて、「感じ続けること」という一貫性。

すなわち、「変化し続ける」という一貫性。

自分が何を感じたかをたいせつにすること。

それは、ひとえに自分という存在の生を、信頼することに他ならなくて。

どんなものも、感じたものが
そのままでいることを許すことで。

それがどんな異形のものであっても、
何も心配する必要はなくて。

ただ、信頼することで。

まさに、そのようにして、

今日も陽は傾いていくんじゃないかな。

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