おそらく、人生に困難をもたらす大きな要因の一つは、「一貫性」にこだわることだと思っていて。
ご多聞に漏れず、私も
「初志貫徹」
「一念発起岩をも砕く」
「初心忘るべからず」
みたいな言葉は大好きで。
けれど、もしかしたらその真意は、思っていたところとは違うところにあるかもしれないな、と。
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そもそも自分も他人も、
人間だれしも二面性を持っている。
大勢で賑やかな場が好きな自分と、
おひとりさま時間が大好きな自分。
一途でピュアなわたしと、
八方美人で移り気なわたし。
ものすごい頑張り屋さんの一面と、
頼りなくて依存的な一面。
テキパキ仕事をこなす平日と、
ぐうたらで自堕落な休日。
時なり場所なり状況なり、なにかをきっかけに、
それは簡単に変わる。
どちらが本当の、ということもなくて、どちらも大切な一面。
「1」の目だけではすごろくは全然進まないし、
「6」のみではチンチロリンは全然面白くないように。
6つの面があってこそのサイコロ。
ほんとうのところ、「初志貫徹」すべきなのは、最初に立てた目標なりではなくて、それが「変化」していくことを捉え続けるという「志」なのではないかと思う。
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たいせつなのは、表面で起きていることではなくて。
どんな出来事が起きたか。
誰に何を言われたか、何をされたか。
は、表面で起きていること。
それは、
何もしなくても日々季節が移ろうように、
陽がいつしか西の山に傾くように、
刻々と移り変わっていく。
それよりもたいせつなのは、
その出来事に対して、その相手に対して、
自分が何を思って、何を感じたか。
その逆に、
その出来事に対して、自分に対して、
相手が何を思って、何を感じたか。
も同じことで。
起きた出来事
相手にされたこと
自分がしたこと
にどうしたって目が向くけれど、
ほんとうは私たちが相手と交換しているのは、
何を思って、
何を感じたか。
この部分に尽きる。
それは、同じことが起きても感じることは、その日によって違う。
けれども、それでいいんだ。
どれだけ化粧をして取り繕っても、
どうせ全部バレてるんだから。
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たいせつにするべき、こだわるべき「一貫性」は、
「感じたもの」そのもの一貫性ではなくて、「感じ続けること」という一貫性。
すなわち、「変化し続ける」という一貫性。
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自分が何を感じたかをたいせつにすること。
それは、ひとえに自分という存在の生を、信頼することに他ならなくて。
どんなものも、感じたものが
そのままでいることを許すことで。
それがどんな異形のものであっても、
何も心配する必要はなくて。
ただ、信頼することで。
まさに、そのようにして、
今日も陽は傾いていくんじゃないかな。