大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

故人を想う、ということについて。

徹夜明けは眠りの質が浅い。

学生時代に麻雀牌に遊んでもらったときから、そうだった。

歳を重ねてもそれは変わらないようで、何日かの仮眠を経て久しぶりに自宅の床で横になれたが、真っ暗な中で目が覚める。

午前4時。目の慣れぬ暗闇。眠っていない感覚。

少し、夢を見たような気がする。

起き抜けで霧のかかったような額のあたりを抱えて、それが大切な人たちが亡くなった夢だったことを思い出す。

どうして、生きている間にしてあげなかったの?という問いが、霧の中で響いている。

ほどなくして、それが夢はなくて現実だったことを理解する。

もう今生では会えないあの人たちがいるという事実は、今日も私の心の底に澱となっている。

少しでも寝なくては、と思いながらも、私は少し霧の晴れた頭で、故人を想うということについて思いをめぐらせる。

世の多くの人と同じように、私も自分の親というものに対して葛藤を抱えている。

それが過干渉や毒親という形であらわれることもあれば、私のように喪失というかたちであらわれることもある。

下宿するために家を出てから、私が学校を卒業する前に、その二つの別離は突然やってきた。

その喪失の大きさや痛ましいまでの寂しさ、凍り付くような孤独感を自覚するまでに、私は長い年月といくつかの人生の岐路のような問題と、そして奇跡のような人たちとのめぐり逢い、そして多くの優しい人たちからの助けを必要とした。

その喪失した穴の大きさに気づいたとき、あふれた滂沱たる涙は、まるで15年の歳月が積み重なって層になった根雪が溶けて流れ出した大河のようだった。

痛烈な寂しさと、孤独感。

けれども、それを感じるたびに、その反対のつながりと安心感を、ひとつずつ取り戻していった。

そうして時間とともに封印された函の表層にあった寂しさと孤独感が流れ出すと、二層目、三層目とさまざまな感情が顔を見せてくる。

ただ、どれもそこにあっただけの「愛」という、完全なるものがかたちを変えただけに過ぎないのだが。

そういえば、一度、封印していた時分に感情のダムが溢れたことがあった。

短くなった冬の日は、ときに人の心を蝕むことがある。

顧客からのクレームやら上司への資料や、部下の面談や、そんな数々の言い訳での休日出勤が叶わず、ただ何もすることがなくて部屋にいた。

何もする気になれず、ただベッドで息をしていた。

見ればクリーニングに出したスーツがビニールに包まれたまま、買ってはみたものの開いてすらいない雑誌と一緒に床に散乱していた。

ビニールを被ってそのままにしていれば、窒息して楽になれるのかもしれない。

果たして恐ろしく緩慢な自死は成功することなく、生暖かい呼気が頬を包んだだけだった。

その瞬間にダムが溢れて、涙が流れた。

冬の夕暮れは早く、あたりはどっぷりと夕闇につつまれていた。

オレンジ色の室内は、いつしか街灯の光がわずかに差し込む暗い虚空が広がっていた。

嗚咽がしばらく部屋を覆っていた。

虚しいその空間がいたたまれなくなって、私は翌日の仕事のために床に散乱したスーツを拾ってクローゼットにかけた瞬間に、「ぷちん」と何かが切れて床に落ちたような気がした。

床には何も見当たらなかったが、それはとてもたいせつなものだったような気がした。

不思議と空腹を覚えて、財布を持って家のすぐ横のコンビニに出ようとした。

薄暗い玄関でへたった靴を履きながら、ふと言葉が口をついて出てきた。

もう一度、会いたい。 

返ってくる答えは、なかった。

お酒に弱い父だった。

よく赤ら顔をして深夜に帰ってきたのは、飲めぬ酒に付き合っていたのだろうか。

翌朝には何もなかったかのように、折り目のついたスーツを着るその姿を思い出す。

元旦から動いている現場の方たちに、手土産を持って出かけて行った。

社畜だろうと何だろうと、そこには矜持があったように思う。

仕事の愚痴は、ほとんど聞いた記憶がない。

ただ、単身赴任が辛いとこぼしていたと母から聞いた。

お酒の好きな母だった。

いつでも食べることはついて回る、そう言いながら苦手な台所に立っていた。

できることならもう一度、ほうれん草に包まれた目玉焼きを食べたいと思う。

行けなくてもいいから、チケットは買うんだよ、行くことのできる権利を買ったと思えばいいから。

好きなことにお金を使うことを、教えてくれていたのだろうか。

父が単身赴任になってから、父親の役割も担ってくれていたのだろうか。

父が亡くなったあと、あの家で独り夜を過ごしていたであろう母を想うと、胸を掻きむしりたくなる。

もっと帰省すればよかった。

そもそも、下宿なんかせずに家にいればよかった。

いろんな話をしておけばよかった。

もっと一緒に旅行にでも行っておけばよかった。

もっと、

もっとありがとうと伝えておけばよかった。

もっと、できたことがあったんじゃないか?

そんないくつもの問いが、私の胸を締め付ける。

「僕が息子で、父と母は幸せだったんだろうか。」

そんな問いが、何度も何度も湧いてくる。

暗闇に慣れてきた目は冴えて、それと相反するように疲れきった身体は節々が痛い。

「僕が息子でよかったですか?」

「何にも孝行らしいことはできなかったけれど、それでも許してくれますか」

「いつか、そちらで会えるときまで、待っていてくれますか」

その問いは、明け方の冷え切った部屋の虚空に吸い込まれる。

返ってくる答えは、ない。

けれども、私がこう言うことはできるのかもしれない。

「僕は、お父さんとお母さんの息子で産まれてきて、よかったと思う。とても幸運だった。もし来世があるのなら、何度でもお父さんとお母さんの息子として生まれたい。」

痴情のもつれた男女の間において、我欲やエゴも怖れも吹き飛ばす質問がある。

「そんなにも苦しいのなら、彼女(彼)と出会わない方がよかったですか」

答えは、いつだって分かり切っている。

なぜこんなにも苦しい別れがあるのか、なぜ出会ってしまったのだろうか、なぜあんなにもあの女(男)のことを考えてしまうのか、

それくらい苦しくて、悲しくて、やるせなくて、惨めで、情けなくて、悔しくて、どうしようもないけれど、

それでも、その一緒にいられた時間が答えで。

どれだけ堕ちても昇っても、帰ってくるところはただ一つの言葉。

「私と出会ってくれて、ありがとう。」

我欲もエゴも怖れも、何度も何度も襲ってくるけれど。

それでも、やっぱりそこに落ち着く。

それは私の心なのか、深層意識なのか、魂なのかが、同じことを体験したがっている。

何度離れても、結局そこを体験したがっている。

すなわち、

「私を生んでくれて、ありがとう。」、と。

すべてはその一言を伝えるために。

おおよそ死というものは、誰にとっても避けがたく抗えない。

それは予想している、していないにかかわらず、ある一点から大切なものを奪い去っていく。

たまたま私の両親には突然訪れたが、それが病のように薄ら半分「その日」が分かっていたとして、精一杯尽くそうとしたところで、喪失の悲しみは消えることはない。

その悲しみは壊れた水道管のように次々と湧いてきて、涙は止まらない。

もっとああしておけばよかったという後悔と、それでもいったいあのときに何ができたのかという自問は、尽きることがない。

誕生から死への不可逆な旅路を歩く生きとし生けるものは、その悲しみと後悔の旅路なのだろうか。

もしそうだとしても、私にできることは、結局のところ、起こっていることをそのままに「ただ、在る」こととして受け入れ、ただ祈ることだけなのかもしれない。

その悲しみと後悔の旅路が、新しい祝福に変わるまで。

どれだけ深い悲しみも、寂しさも、それに寄り添い伴走しながら、祈り続けることしかできない。

寿命とは、いのちのことぶき、と書くように、

あなたが全うした生は、祝福に満ちた生でした、と。

これからわたしが全うする生が、寿ぎに満ちた生でありますよう、と。

無機質で無慈悲で凍てつくような「死」からすら、人は「愛」に変えていくことができる。

「愛」とは、好き、嫌い、寂しさ、憎しみ、楽しさ、愛しさ、悲しさ、嬉しさといったものとはまったく異なったものだ。

「愛」とは、ただそこにあるものであり、温かいものであり、無限であり、永遠であり、普遍であり、不変であり、人の生きる糧であり、希望であり、凍てつく大地にすら命を芽吹かせる魔法だ。

ただ、その魔法が効くには時間がかかる。

すぐにできなくても大丈夫なのだ。

人は過ぎ去った時間、どんな経験からも愛を取り出すことができる。

時間を追って、彼らが生きたという証と、ばらばらになってしまっていたその愛の欠片とを、いろんなところで見つけ、抱きしめながら、人の旅は続いていく。

その旅のことを、祈りと呼んでも、生と呼んでも同じことなのだろう。

ほんとうに、愛してくれて、ありがとう。

僕を生んでくれて、ありがとう。

一緒にいてくれて、ありがとう。

真夏の蝉時雨に、ふと母の声を感じることがあるんだ。

遥か彼方のアスファルトに映る逃げ水を見ながら、遠くのプールに一緒に自転車を漕いでくれたあのときの声を。

真冬の鍋の煮える音に、ふと父の茫洋とした雰囲気を感じることがあるんだ。

週末に祖父を迎えに行き、揃って煮える鍋を眺めていた父の温かさを。

その瞬間に、とても心が安らぐ。

僕を生んでくれて、ありがとう。

愛を教えてくれて、ありがとう。

どこまでも深い悲しみは、どこまでも優しく頬を撫でる指になる。

そんな風にこの世界を慈しむように、これからも祈っていこうと思う。

起きなくてはならない時間まで、あと1時間もない。

もう一度横になったら、再び起きるのが辛そうではある。

そう思いながらも身体を横にすると、すぐに眠気がやってきた。

三十数年も前に家族で訪れた、あの海水浴場の夢でも見ないだろうか。

うっすらと白み始めたカーテンの外を眺めながら、遠のく意識の中でそんなことを思った。

楽しかったな、あのいつかの海水浴。

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