大嵜 直人のブログ

別れによって傷ついたココロは、出会いで癒される。私が辿ったそんな物語を「書く」ことをライフワークにしています。

書かなければ、空だって飛べたのに。

いつも書くときには一文字目に逡巡する。

だいぶ慣れてはきたのだが。

 

書かなければ、私にはどんな可能性もあるように思えるから。

 

開いた真っ白なページには、

人の心を癒し、感動させたはずの素晴らしい文章も、

どんな歴史上の文豪にも劣らない文章も、

どんな文章も書く可能性が、あった。

 

実際にやらなければ、想像の世界だったら、

人間、空だって飛べる。

 

実際にやらなければ、想像の中で、

 

サッカーの才能があったかもしれないし、

誰もが驚くような歌の才があったかもしれないし、

ベストセラー作家になったかもしれないし、

イベントは満員御礼になったかもしれないし、

意中の女性は私に惚れていたかもしれない。

 

実際に行動するということは、

そうした可能性を一つずつ潰していくことでもある。

 

動かなければ、その柵の外からだったら、

ライオンもキリンもゾウもフラミンゴも、

外から指差して見て、その首の長さや鼻の長さ、

その牙や羽根についてなんだかんだ言うことができた。

 

けれど、一文字でも書き始めたら、そうはいかない。

 

誰もがうらやむ才能や、称賛にあふれた素晴らしい文章は、一文字一文字と書いていくに従い、夢想したものと違う形になっていく。

 

柵が括っていたのは、ライオンでもキリンでもなくて、実は自分自身だったことに気づく。

 

夢想は確たる形の現実となり、

自惚れは絶望にとって代わられる。

 

書き始めたときにあったはずの素晴らしい材料は、いつしかばらばらになって私の前に無残な姿を晒している。

 

過ぎ去った時間と、現れた文字の数を見比べて、頭を掻く。

 

書かなければ、この材料で空だって飛べたのに。

 

書くこととは、まるで夢想の中にあった私の可能性を、一文字一文字と塗りつぶしていくようだ。

 

 

それでも、また今日も私は逡巡して一文字目を書く。

 

空を飛ぶ蝶にはなれない。

 

けれど、

地を這う芋虫にはなれるかもしれない。

 

地を這ってでも、

たどり着きたい場所が、ある。

 

空を飛ぶ可能性を潰しても、

伝えたい言葉が、ある。

 

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