前田裕二さん著「人生の勝算」を読了したので、今日はその書評を書いてみたい。
1.本書を読むまでの葛藤と杞憂
今日現在の日本においてもっとも著名な起業家の一人で、SHOWROOM株式会社の代表取締役を務めておられる、前田裕二さんの初の著書。
本書はずいぶんと前から認知をしていたし、何人かの友人から「すごーーーーくよかった!」という感想も聞いていたのだが、なかなか手を出せなかった。
書いていて恥ずかしいのだが、両親との突然の別離から悲しさ、寂しさ、虚無感といったものを抱えて、寄る辺なく漂っていた私にとって、本書の「人生の勝算」というタイトルに気後れしていた。
正直に言えば、前田さんは傍から見ていると眩しすぎたのだ。
それが、ようやく本書を拝読してみよう、と思い立ち一気に読んだ。
新年で何か新しいことを挑戦しようという機運になっていたのもあるし、「前田さんの考え方にきちんと触れてみたい」と思えるまで、私自身が前を向けるようになったということも、もちろんあるだろう。
一気に読了したあと、読む前の私の葛藤は浅薄な思い込みに過ぎなかったと分かった。
その勝算、熱量、情熱、優しさ、ビジョン、努力・・・
そのどれもが、眩しすぎるくらい、眩しかった。
けれど、ほんとうに眩しい人に出会ったとき、人は気後れではなくて希望を受け取るのだと分かったのだ。
ほんとうに眩しい人は、真夏の太陽のような灼熱のエネルギーを発しながら、乾いた冬の空に浮かぶ月のように、優しい光を放つのだと感じた。
もっと早くに読んでおけばよかったと後悔したが、ものごとにはタイミングがある。
おそらくは、私にとってはいまがそのタイミングだったなのだろう。
2.本書の構成と2019年の現在から見るその先見性
さて、本書の構成は6つの章からなり、
前田さんの起業の原点となるストリートでの語り弾き時代を通して得たファンビジネスの本質について(第1章)、
その上で現代のエンターテインメント業界において、SHOWROOMが起こそうとしている変革を詳細に語り(第2章)、
前田さんが新卒で入社された外資系投資銀行の時代の学びや(第3章)、
その後のニューヨークの投資銀行に移ったあとの価値観の変遷(第4章)、
SHOWROOMを実際に立ち上げるまでの紆余曲折(第5章)、
そして最後にSHOWROOMが目指す未来について語られている(第6章)。
本書の初版が2017年6月。
このエントリーを書いているのが2019年1月だから、1年半以上前に書かれたことになるが、ファンビジネス、エンターテインメントに対する視点の先見性は、1年半を経てなおさら説得力を持つよう感じた。
少し、その要点について前田さんの言葉を引用したい。
・人は絆にお金を払う
最初は0だったお客さんと自分の間にある絆が、時間をかけて、じっくりと育っていく。当初は誰も興味を示さなかったオリジナル曲に、いわば「絆」という名の魔法をかけて、まったく別の価値ある曲に昇華する。こうして、いくつものストーリーを共有するうちに、お客さんは、決して裏切ることのない常連さんになっていきます。
この魔法によって生み出されるのが、「コミュニティ」と呼ばれる、絆の集合体です。コミュニティ形成は、これから、どんな種類のビジネスにおいても、外せない鍵になると思っています。
「人生の勝算」 p.33
小学生(!)で「食うために」ストリートで語り弾きをはじめたという著者が、いかにして道行く人の足を止め、曲を聴いてもらい、ギターケースにおひねりを入れてもらうかまでの思考と実践。
人の感動は絆の深さに起因し、それに喜んでお金を払う。
2019年の現在においては、当たり前のように聞こえるが、それを20年以上も前に気付いていたという前田さんの先見性に驚かされる。
・スナック=モノ消費ではなくヒト消費=AKBが強い理由
ここで重要なのが、お客さんは、これら表層的な何かを求めてスナックを訪れているわけではない、ということです。つまり、目的が明確な「モノ消費」ではない。
同上 p.39.40
このスナックの本質を体現しているのが、AKBグループです。AKBグループほどコミュニティがうまく機能しているアーティストはなかなかいません。AKBグループにはスナックと同じように「余白」と「常連客」というコミュニティに必須である二大要素がしっかりと存在します。
AKBのメンバーは、多様な余白の宝庫です。余白とは、不完全性であり、つい埋めたくなってしまう要素です。
同上 p.46.47
そしてそのストリートでの答えは、「モノがあふれて欲しいものがない時代に、人は何にお金を使うのか」という問いへの答えでもある。
どうして特別なめずらしいお酒や、絶品の料理を提供しているわけではない「スナック」が、廃れゆく商店街で生き残ることができるのか。
それは、そこにあるコミュニティが、何ものにも代えがたいものだから。
そこでは「美人で話がうまくて接客上手なママ」が求められているわけではない。
むしろ「客より先に酔い潰れるくらいのママ」が余白という部分をつくりだし、コミュニティの絆を強めている。
その余白(=応援したくなる部分)を上手く体現しているのが、AKBグループであるという。
・「クオリティ」の定義の変遷、それにともなう求められる課金形態
歌のうまさや芸術性が価値になるのではない。コンテンツ供給側と受け取る側が心で繋がって、そこに絆が生まれる。コミュニティが生まれる。感動が生まれる。それがビジネスに転換されていく仕組みが、SHOWROOMです。
同上 p.75
今の時代に沿ったコンテンツ課金のモデルは、払うかどうかの判断をあえてユーザーに委ねる、前向きな課金だと思っています。SHOWROOMのギフティングも前向きな課金だと言えます。無料で視聴も参加できるため、有料でギフティングをするかどうかは、視聴者の自由です。
同上 p.80
そうすると、これからのエンターテインメントに求められるクオリティとは、技術の上手さや芸術性だけではない(もちろんそれが求められる領域や場面もある)。
コンテンツを供給する側と楽しむ側の垣根がなくなり、そこに芽生えた絆こそが、これからのエンターテインメントの大きな価値となると前田さんは仰っている。
キングコングの西野亮廣さんが、このあたりの価値を「バーベキューする」と例えられていたが、まさに「焼く人(提供する側、役者)」と「食べる人(楽しむ側、観客)」がイコールになるようなエンターテインメントが、これから伸びていくのだろう。
スマホとSNSの普及により「一億総クリエイター時代」といわれる現代において、ますますその傾向は強くなっていくように思われる。
と、いくつかの主要な論点をなぞってみたが、2019年の現在において、もはやそれは当然のこととして捉えられているように見える。
前田さんの時代を俯瞰する大局観、先見性がよく見える箇所であるように思う。
3.前田さんの「聖人性」について
不思議なのだが、私は前田さんに「聖人性」を感じる。
なぜ、前田さんのように生き馬の目をぬくようなビジネスの先端を駆けている方に、それを感じるのか、不思議だったのだ。
マスメディアで拝見する前田さんの言葉にもそれを感じるし、Twitter上でも、一つ一つのリプライや感想に対して、恐ろしく丁寧にリツイート、いいね、リプライを返しておられる。
そこに嫌らしさというか、営業色というか、無理している感がまったくないのだ。
あぁ、心の底から喜んでコメントしているんだろうな、と感じるのだ。
誰とでも目線を合わせ、時間を取り、1対1でのコミュニケーションを取ろうとするその姿勢は、キリスト教の説く「隣人愛」のようにも見える。
どうしたら、そんなふうになれるのだろう、と不思議に思っていたが、その答えのヒントが第3章からの前田さんを形づくった外資系投資銀行の時代の経験や学びに書かれていた。
その「隣人愛」を支えているのは、前田さんご自身の明確な目標と、それを燃料にした消えることのないモチベーションだった。
だから、嘘偽りや嫌らしさを感じないのだ。
少しいろんな箇所から、前田さんご本人の言葉を拾いたい。
宇田川さんは人に好かれる天才ですが、それ以前に、「人を好きになる天才」でした。他人と接して、その人のいいところや、感謝できるポイントを自然に見つけて、まず自分から本当に好きになってしまう。
好きになられたら誰だって、悪い気はしません。人間関係は鏡であり、人は好意を受けたら好意を返そうとする生き物です。
(中略)
宇田川さんと出会って以来、僕はとにかく、無条件で相手を好きになることを心がけています。プライベートでもビジネスでも関係なく、全力の愛情を持って接したいと思います。
同上 p.101.102
「宇田川さん」とは、前田さんが外資系投資銀行に勤められていた時代の部署のヘッドの方で、大きな影響を受けたことが書かれている。
前田さんのビジネスの原初体験が、「人を好きになる天才」と書かれている宇田川さんという方を通じてなのだろうと思う。
おそらくそれは、「美点凝視」「愛を受け取る」「魅力や長所を見つける」・・・いろんなコミュニケーションや心理学の分野で何度も耳にする言葉を、そのままに実践しているだけなのだろう。
そうしたことを学ばせてくれる出会いも幸運なのだろうが、それをあますことなく実践するのは、ほんとうに難しいものだ。
けれども、前田さんは実践されている。
そこには、明確な目標とモチベーションがあるから。
モチベーションが高まらない人の多くは、見極めが甘い。自分という大きな航海に出ているのに、方角を示すコンパスを持っていない。自分の進むべき道を定めていないから、途中でどこに向かっているのかわからなくなり、広い海の上で途方にくれます。そうなったら、一旦陸に戻ってでも、自分自身のコンパスを得るのが、結局遠回りに見えてベストだと思います。
自分の進む道は、現時点では少なくともこれで間違いないと言える、信じ切れる、というところまで見極め作業を徹底すれば、モチベーションは身体から湧いてきます。
同上 p.144
結局、ここなのだ。
自分自身。
自分が、どんなコンパスを持っているか。
そのコンパスが汚れていて、針が指し示す先が見えなければ、努力も頑張りも辛くしんどくなる。
逆に、そのコンパスに従ってさえいえれば、どれだけでも自然に頑張ることができる。
それを周りが「圧倒的な努力」と呼ぶのかもしれないが、本人にとっては息をするくらい当たり前のことなのかもしれない。
そのコンパスは、完全でなくていい。
「いま」間違いないと言い切れるところまで、自分が納得していればいいのだ。
自分がまったく何も持っていなかったときには、早く金を稼ぎたい、誰が見ても成功していると思うキャリアを歩みたいと思っていました。
逆境に屈することなく、どこまで高みに上れるのかを自分の人生を通じて証明したい。そのために夜も眠らず一心不乱に駆け抜けてきました。
しかし、身内の死をきっかけにして、急にその思いを冷静に見つめ始めました。
いつ死ぬかわからないのだから、生きているうちに新しい価値を創出したい。僕が死んだ後も、世界の人たちに幸せや付加価値を提供し続けられる、影響を与え続けられる何かを生みだすことに、エネルギーを投じたい。
同上 p.137.138
前田さんにしても、以前は「金を稼いで」「成功するキャリア」を志向していたと語っておられる。
けれども、身内の死を契機に「世界に与える」ことへと舵を切った、と。
自分のコンパスの指し示す針は、その時々で変わる。
だからこそ、常に自分に問い続けることが必要なのだと感じさせられる。
自分の目標は何か。
人生を、エネルギーを何に懸けたいのか。
それを、なぜやりたいのか。
僕はSHOWROOMに文字通り、命を懸けています。SHOWROOMが作る未来を、誰よりも信じています。
なぜ、そこまでできるのかと言えば、端的に言うと、そこにパッションがあるから。人生を懸けても良いと思える、モチベーションが設計できているから。これに尽きます。
同上 p.139
それを問い続けた結果、前田さんはいま現在、「SHOWROOMに命を懸けています」と言い切ることができるのだろう。
私の感じた前田さんの「聖人性」とは、決して神秘的なものでもなく、その積み重ねられた人生の経験と、いまのベクトルが合致していることへの「自己同一性」から生まれるもののように、本書を読んで感じる。
前田さんご自身が大切に抱えてきた人生と、いま表現したいもののズレ、あるいは嘘偽りの無さと言い換えてもいいのかもしれない。
前田さんの「聖人性」は、ある種の特別な人にだけ備わるものではない。
誰しもがほんとうに自分というもの、そして自分の人生について問い続ければ、得られるものではないのだろうか。
本書を読み終えて、私はそのように感じている。
4.逆境や問題こそ人生のコンパスを指し示してくれる
最後に、前田さんの「コンパス」がどのようなご経験から導かれたものなのか、参考になる箇所を引用させて頂きたい。
冒頭で少し触れましたが、小学2年生のときに、両親が亡くなった後、親戚の家に引き取られました。
新しい環境にうまく馴染めなくて、色々とやんちゃ行為をして、周りには大いに迷惑をかけました。ですが、自分には年の離れた兄がいて、彼の包み込むような愛情によって、もともと持っていた負のエネルギーを転換することができました。
そのころから、自らコントロールできない外部の問題によって、挑戦が阻害されたり、個人の能力に差が出ることが悔しい、と強く思うようになりました。
同上 p.90
人は、そのような境遇に生まれるか、自分では選べません。だからこそ、先天的な環境によって、人生が決まってしまってはいけないと思っています。
同上 p.226
逆境は、必ずバネになる。
努力と情熱次第では、人はどんな高みにだって行ける。
同上 p.229
私は二十歳過ぎに両親を突然亡くしてたことで、いろんな経験と、心理的な面での問題を抱えてきた。
けれども、前田さんはそれをわずか8歳で経験され、「負のエネルギーを転換することができた」、と仰っておられる。
そしてなにより、「逆境はバネになる」という力強い宣言。
人生に起こる問題は、その人の才能を指し示してくれるギフト。
そんな言葉を、体現しているかのような前田さんの言葉は力強く、さまざまな境遇にいる人を照らすようだ。
そして、ビジネスを通じて前田さんが実現したい「所与の境遇ではなく、自分の努力で成果が出せる」世界を実現していかれるのだろう。
その世界を、私も楽しみにしていたい。
そんなことを感じさせて頂ける一冊だった。
前田さん、ありがとうございました。