週末、家族は帰省して一人の夜。
久しぶりに、刈谷の「魚屋ごんべえ」さんを訪れようと思った。
断酒中に加えて車なのでお酒は飲めないが、美味しい魚の定食を食べよう。
車で54号線を走る。
ほどなくして、柔らかな灯りの看板が見えてきた。
幸いなことに、駐車場は空いていた。
お店の外に貼ってあるメニュー表をしばし眺める。
わらさ、やりいか、てっさ、皮はぎ・・・
晩秋を感じる献立の並びに、思わずうれしくなる。
現物の画像を見ていないのに、文字の羅列で感情が動くとは、考えてみれば不思議な話だ。
官能小説に並んだ文字列で興奮するのと、根は同じなのかもしれない。
などというどうでもよいよしなしごとを考えながら、暖簾をくぐると女将さんの笑顔が迎えてくれる。
幸い、カウンターが空いていた。
その奥に見える厨房では、大将が忙しそうに手を動かしている。
席について、背広を後ろ手にかける。
晩秋の朝のひんやりした空気に触れるのが好きな私は、まだ半袖のシャツなのだが、さすがにそろそろ肌寒くなってきた。
カウンターの上に丸めて挿されていたお品書きを、再度手に取りながら至高の時間を過ごす。
定番のサバの塩焼き定食もいいが、
この時期の刺し盛りもいいなぁ。
海老と野菜のてんぷらを捨てがたい、これを定食にしても・・・
揚げものなら牡蠣フライも美味しそうだ・・・
牡蠣なら土鍋炊きの牡蠣めしも目につく。
しかし、2合からか・・・少し食べて明日の朝ごはんにでも・・・
思うに、この時間が幸せなのだ。
人は迷っているときが一番幸せなのかもしれない。
よくも悪くも、想像し得る可能性を考えながら、どうしようかと迷う時間。
「決め」てしまったら、あとは「やる」だけなのだから。
そう考えるのは、やはり私の内面には女性的な部分が大きいのだろうか。
そういえばこの前友人と話していて気付いたのだが、私の思春期は父親が単身赴任で不在で、母親と姉二人の女系家族だった。
もしかしたら、そんなところも影響しているのかもしれない。
また今度内省してみよう。
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そんなどうでもよいことを考えながら、ノンアルコールビールとともに注文したのはこちらだった。
渡り蟹。
おかしい。お酒も飲まないし、定食を食べに来たのに。
それでもお品書きの「渡り蟹」の文字が、「いましか食べられない蟹を、あなただけのために」と書かれているような気がしたのだ。
「いましか」「あなただけの」という定型的なビジネストークを脳内で再生して、自分でそれに引っ掛かる。
まさにアホである。
しかし、甲羅を外し瞬間に、その選択は間違いではなかったと確信した。
この見事な内子。
甲羅の裏についた味噌と内子を箸ですくって、しばし光悦となる。
晩秋って、いいなぁ。
この大きなツメ。
これを割って、中のぷりぷりの身を例の器具で黙々とつついていた。
蟹を前にすると人は無言になるというが、そもそも一人なので無言である。
身がぎゅっと締まっていて、「甘い」。
蟹はやっぱり最高だ。
夢中になって、旬をつついていた。
さすがにこれだけではお腹がすくので、当初の目的の定食もオーダーする。
定番のサバの塩焼き定食。
この肉厚なサバ。
黄金色に輝いている。
小指の第一関節くらいまでありそうな厚さの身。
塩加減が絶妙でたまらない。
小鉢とあわせて、こんなに美味いおかずと一緒になると、ご飯は「飲みもの」のように流し込んでしまう。
美味い魚でご飯をかきこむ愉悦。
和食は最高だ。
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ちょうどこの日が断酒してから2週間になった。
断酒しても、美味しいものは楽しめる。
あらためて、そんなことを気づかされた「魚屋ごんべえ」さんでの時間だった。
ごちそうさまでした。
また伺います。