大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

溢れる水を受け取れなかった男の話

名古屋駅から四つ目だったか。

7年も住んだのに、そんな記憶も不確かだ。

中村公園駅の古びたホームは、いつも梅雨時期の湿った匂いがした。

あの日、2番出口を出ると土砂降りだった。

さすがに呑みすぎて、足元がおぼつかない。

同期との飲み会を終えて、ひどく泥酔したくなって適当に入ったチェーン店の居酒屋でひたすら冷酒をあおった。

無愛想な顔をピクリとも動かさず、黙々とお猪口をあおり冷酒を追加する特異な客は、自分より若そうな女性の店員の目にどう映ったのか定かでない。

終電の時間を覚えていたのは、辛うじて理性がまだ働いていたような気がする。

店を出るときに、すでに胃は気持ち悪さを覚え、吐き気がしていた。

その飲み会で、母の日のイベントの仕事の話から、花束を贈るかどうか、という話になった気がする。

贈る
贈らない
恥ずかしいから
母親と仲が悪いから

でもせっかくだから贈った方がいいよー
それがきっかけで話ができるかもしれないじゃん

流れで初任給で親に何を贈ったか、という話に変わったあたりで、ひたすら話を振られないように気配を消した。

愛想笑いを重ねながら、飲み放題の薄くて不味い焼酎ロックを何杯もあおった。

贈るべき人を突然亡くした傷と痛みにずっと蓋をしてきた俺にとっては、その会話は惚気にしか聞こえなかった。

うるせえ。馬鹿野郎ども、黙れ。

言えなかったその台詞は、安い焼酎と一緒に肚の底に溜まり、愛想笑いの口角を無理矢理上げただけだった。

善良すぎる人たち。

だから、俺は近づけない。

飲みすぎだよ、大丈夫?

お前らのその優しさが、鬱陶しい。

ある日突然枯れ果てた井戸の底から、素手で湿った土を掬い、その土を絞るようにして優しさを捻り出していた俺にとって、その朗らかな笑顔は天敵だった。

勝手に水が湧いて、組み上げ式のポンプのようにじゃぶじゃぶと周りに分け与えられるような井戸とは、違う。

誰に対しても笑顔で、優しさを振りまくお前らとは、もう違うんだ。

もう、そんな顔では、笑えない。

その与えられた優しさという名の水を、俺は何度も何度も拒否しては蹴飛ばしてぶちまけてきた。

無残にも飛び散ったその水を見ては、ひどい喉の渇きに後悔した。

その度に、お前らは笑ってまた水を汲んでいた。

それでも、また何度でもぶちまけるだけだ。

無償で配られる水などない。

返すべき水が枯れている俺には、受け取る術などない。

最上級の美しく冷たい水を受け取ったのに返すべき水がないという、最悪の罪悪感を味わうくらいなら、俺は喉の渇きを選ぶ。

コンビニは交差点の対角線の奥にあり、億劫になった俺はふらつく足で歩き始めた。

鳥居通りは片側2車線の大通りだが、日付も変わる頃には車もなくアスファルトを雨が叩く音しかしなかった。

雨に濡れた髪から流れる雫から、整髪料の人工的な香りが鼻についた。

塗れたアスファルトから立ちのぼる、むっとした生臭い匂いと相まって、ますます吐き気がした。

耐えきれなくなって、脇道の側溝に吐いた。

口の中の嘔吐臭に、さすがに安酒のアルコールに浸されて働いていない頭でも馬鹿なことをしていると後悔した。

見上げれば、マクドナルドの赤と黄色の看板から雫が落ちてくる。

その雫をすくって、口の中を洗った。

まるで俺の優しさのようだ。

しばらくその場でしゃがんでいた。

規則正しい雨音を聞いていた耳に、サイレンの音が響いた。

救急車が赤いランプを光らせながら、中村日赤の方向へ走って行った。

赤いサイレンは、もう聞くのも嫌だ。

不意に、身体の力が抜けた。

マクドナルドのシャッターに身体を預けると、がしゃんと音を立てた。

雨音はまだ続いている。

なんでだよ。
なんで俺なんだよ。

なんで俺には何もないんだよ。
なんで俺には誰もいないんだよ。

思い切りコンクリートの床を右手で殴った。

不意に涙がぼろぼろと溢れた。

頬を伝って落ちていく涙は生温かく、雨の冷たさを浮かび上がらせる。

久しぶりに泣いたことに気づく。

あの事件以来、悲しいはずなのに長い間涙を流していなかった。

声にならない嗚咽は、今まで溜め込んでいた痛みなのか。

慟哭は、真夜中の雨の音に飲まれて消えていった。

泥酔してドクドクと鳴る動悸にあわせて、右手の拳がじんじんと痛み始めた。

拳骨のあたりが擦り剥けて、赤い血が染み出してきていた。

誘われた沖縄旅行、断っておいてよかったんだ。

そう思いながら、やはり1番の馬鹿野郎は俺だと思った。

嗚咽は、まだ続いている。

明日の朝には、この右手の痛みはどれくらいになっているのだろうか、などと思った。

悲しい報せを聞くと滲み出てくる、20代の苦い記憶。

私の宿痾のようなものなのだろうか。