大嵜 直人のブログ

別れによって傷ついたココロは、出会いで癒される。私が辿ったそんな物語を「書く」ことをライフワークにしています。

「自己確信」という果実は、「葛藤」を肥料にして

多くの場合、葛藤というものは、

 

自分の中の価値観と新しい価値観がぶつかるときに起きる。

 

今まで後生大事に抱えていた価値観が揺さぶれらる大問題が起きることもあれば、

 

なんとなく違和感を覚えるようになることもある。

 

「AかBか」という選択の葛藤のように見えて、

 

問われているのは、突き詰めていくとAでもBでもなくて、

 

「①という価値観を大事にしてきたけど、それをくつがえす②という価値観があることがわかった。さあ、どうしよう」

 

という葛藤の場合がほとんどだ。

 

「この男性と付き合っていくのか、それとも別れるのか」

「この会社で働き続けるのか、それとも辞めるのか」

 

という問いに対して、

 

どちらを選ぶか

 

ということは、さして重要ではない。

 

答えが合っているかどうかが気になって、自分の外に答えを探してしまうけれど、

 

誰かが言っていた、こうするとうまくいくよ、

 

ということを聞いて、同じようにうまくいくわけがない。

 

自分の中にある答えしか、私たちは受け入れることができない。

 

その答えと合わなければ、合う答えを言っている人をまた探すだけだ。


自分の中にしか、答えはない。

 

その原則を忘れると、どこまでうまくいったように見えても、依存して不安な心が顔を出す。


自分の中にしか、答えは、ない。

 

その答えを探し出せた人だけが、掴める果実がある。


 

それは数文字で書くほどに簡単ではなく、

 

自分の中の堂々巡りと周りの誘惑に、長い長い時間を要することもある。

 

または、今まで溜め込んでしまった怒り、恨み、寂しさ、心の傷や痛みが、

 

その答えを厚く覆ってしまっていることもある。

 

自分ではない誰かが「これが答えだ」と、要らぬ偽物を押し付けてくることもある。

 

それに葛藤する時間は、同じ場所を何回も通る迷路のようで、果てしなく苦しい。

 

前と何も変わっていない、と自分が虚しくなることもある。

 

早く楽になりたい。答えを見つけたい。

 

そう願って見つけた珠が、翌朝にはさらさらと砂塵になってしまったりもする。

 


それでも。

諦めずに葛藤するその時間こそが、肥料になる。

 

そこには、必ず「自己確信」とよぶべき果実が生る。

 

どれだけ時間がかかろうとも、それはその人にとって必要な時間なのだ。

 

その果実は、嵐に吹かれようとも、日照りに遭おうとも、揺れることはない。

 


いつか、その果実を眺めながら、

 

これまでの道が最善の選択によって育てられた果実だと、

 

信じられる瞬間が必ず訪れる。

 


揺るぎない「自己確信」という果実は、「葛藤」を肥料にして。


悩んで、葛藤して、不安がって、足掻いて、絶望して、諦めろ。

 

そうすること自体も、完全で不完全な生の一部なのだから。

 


必ず、あなたの果実は、生る。