大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

自分が欲しかったものは、誰かがあなたに与えて欲しかったものだったのかもしれない

いらっしゃいませ、ようこそお越しくださいました。

今日はタイトルの通り、「自分が欲しかったもの」とは、実は「誰かが本当にあなたから貰いたかったもの」だったのかもしれない、というパラドックスを。

 

本当に欲しいものって、何でしょうか。

たとえば、暖かい家庭。
あるいは、社会的な成功や地位。
やっぱり、愛するパートナー。
そして、心の内を話すことのできる友人。

人それぞれに、いろんな欲しいものがありますよね。

けれどそれらを並べていくと感じるのですが、結局のところ私たちは「感情」を味わいたいのかもしれません。

暖かい家庭での「ほっとくつろげる」という感情。
社会的な成功による「達成感」や「優越感」という感情。
愛するパートナーを「愛している」「愛されている」という感情。
心の内を話すことができる友人と「出会えて嬉しい」という感情。

これは、「お金」についても似たことが言えます。

人はよく「お金が欲しい」と言いますが、それを掘り下げてみると、欲しいのは「お金があることや、それを使うことで味わえる感情」が欲しいものです。

だから、夢や願望達成のメソッドでは「お金や夢が叶ったときの感情を想像して味わうとよい」ということがよく言われます。

「宝くじを当てること」や「年収3,000万円になること」が目標ではなくて、「その自分になったら味わえるであろう感情を味わう」ことが目標だからです。

だから、その感情を想像して意識的に味わうようにしていると、勝手にその感情を味わえる自分になれる、というわけです。

 

月並みな話ですが、お金があっても幸せを感じられない人も世の中にはいます。

私が出会った中でも、年収4,000万円でも「毎日苦しい、できれば早く死にたい」と仰っていた方もおられました。

決して、その方の生き方が良いか悪いか、という判断を私はしたいわけではありません。
どんな人生であれ、苦労も成功も挫折も栄光も、全て等しく価値のある人生だと思っているからです。

さて、そう考えてみると、じゃあ「自分が本当に欲しい感情が与えられる私って、どんな私だろう?」という疑問が芽生えます。

本当に欲しい感情が味わえる私。

たとえば、いつでも暖かい家庭のような「ほっとくつろげる」感情を味わえる自分。

それを想像することは、「これもあれも足りない、欲しいものが手に入らない」という渇望感を緩めてくれます。

望んでいた感情を味わえている自分。
それは、どんな自分なのでしょう。

きっと、満ち足りた気分ではないでしょうか。

そして、「満ち足りる」と、「溢れる」のが自然の摂理です。

自分が十分に満たされたとき、

寂しくてつながりが欲しかったあなたは、
きっと周りに連帯感と安心感をと与えている。

社会的な成功が欲しかったあなたは、
きっとたくさんの人の才能を認めてあげている。

パートナーからの愛情が欲しかったあなたは、
きっとパートナーに無償の愛を与えられている。

心の内を話せる友人が欲しかったあなたは、
きっと大切な友人が傷ついたときに朝まで話を聞いて一緒にいられる。

きっとそのとき、ずっと「欲しかった感情」を周りにも与えられる自分に、なっているのではないでしょうか。

 

もしそうだとしたら、

「いま」

それをしてみたら、その自分になれると思うのです。

心の世界では原因と結果は曖昧です。
理性で考える原因と結果とは、反対のことが真実であることがあります。

「満たされているから、与えられる」のではなく、「与えられるから、満たされる」。

それも一つの真実のように思えます。

自分が本当に欲しかったもの。

それはもしかしたら、誰かが本当にあなたから貰いたかったもの、なのかもしれません。

 

そんな今日のお話にぴったりの歌を、お口直しに。

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今日もお越し頂きまして、ありがとうございました。

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