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今日は「量か質か」、というお話しを。
量か質かって話がよくあるのだが、やっぱり量が質を生むと思うのだ。
よく多作の鬼・ゴッホとの対比で、寡作の天才・フェルメールの名前とか出るけど、あれは世に出回っている作品がそれだけなのであって、フェルメールが三十数点しか描かなかったわけじゃない。
たとえば私の大好きな、
チャゲ&飛鳥がダブルミリオンを獲得した「SAY YES」にたどり着くまでに、いくつの曲を書いて書き直したのだろう。
マリナーズの終身アドバイザーになったイチローさんはMLBで三千本を超えるヒットを積み重ねるまでに、何回バットを振って何回凡退したのだろう。
予約の取れないカウンセラーやコンサルタントがクライアントの心揺さぶるセッションをするまでに、いったいどれだけのセッションを重ねたのだろう。
ベストセラー作家が書店に平積みにされるまでに、いったいどれだけの文字と向き合ってきたのだろう。
努力が尊いとか報われるとかどうこうの話をしたいわけではない。
ただ、私の目に映る才能の煌めきの火花は、その何十倍、何百倍、何千何万倍のアウトプットの中から出てきた砂金の一部なのだと思うのだ。
初手からダブルミリオンを獲得したわけでも、三千本を超えるヒットを打てたわけでも、クライアントを感動させたわけでも、ベストセラーを世に送り出したわけでもない。
誰にでも最初の一歩があり、二歩目、三歩目がある。
それを「もっと最高に仕上げてから」「もう少し勉強してから」「周りにどう評価されるか」を気にしないでできるかどうか。
そりゃ、私も毎日書いてて、いいねやアクセス数といった周りの評価は気になるし、こんなこと書いても・・・と躊躇することも多々ある。
それでも。
もう一度、思い出そうと思う。
チャゲアスにも初めてオリジナルの曲を歌ったステージがあったし、
イチローさんにも初めて試合に出た日があったし、
売れっ子コンサルにも初めのセッションがあったし、
ベストセラー作家にも初めて人に見せた作品があっただろう。
それは、間違いない。
そこから、どう評価されようが2回目のステージや試合やセッションや作品に向かったんだ。
そして、きっと同じように3回目にも。
ただ、それだけなんだ。
量は質を産む。
その逆では、きっとない。
不完全なままでいい。
中途半端なままでいい。
出来損ないでいい。
それを恥じなくていい。
今のそのままでいい。
今に没頭できることがあるのなら、結果も未来も批評も、何も要らないじゃないか。
だから、好きなこと、没頭できること、夢中になれることを、重ねよう。