大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

書評:立花岳志さん著『「好き」と「ネット」を接続すると、あなたに「お金」が降ってくる』に寄せて

今日は久しぶりに書評を。

プロフェッショナルブロガー、作家の立花岳志さんの新著『「好き」と「ネット」を接続すると、あなたに「お金」が降ってくる』(サンマーク出版・発行)に寄せて。

f:id:kappou_oosaki:20180409180709j:plain

立花さんとは直接お会いしたことはありませんが、そのブログ「No Second Life」は以前から拝読させて頂いておりました。

立花さんは今から約10年前、会社勤めをしていた38歳のときにブログを書き始め、Apple社の製品のレビューや、読まれたほんの書評、105キロの身体からランニングをはじめとしたダイエットに挑戦する軌跡をブログに綴ってこられたところ人気を博し、41歳で独立してプロブロガーとなり7冊の本を出版し、自ら会社を設立してセミナーや講座、カウンセラーやコンサルタントといった多方面に活躍されています。

さて、その立花さんの近著『「好き」と「ネット」を接続すると、あなたに「お金」が降ってくる』ですが、そのタイトルとは裏腹にビジネス書であり、自己啓発書であり、啓蒙書であり、そして立花さんのこれまでのマジックのような軌跡の種明かしを惜しげもなくされている一冊となっています。

立花さんが使われたマジックのタネとは、自分の「好きなこと」の「情報発信」を続けていると、それがその人の「パーソナルブランディング」になり、ある地点を越えるとマネタイズすることが可能になる、ということ。

そしてその肝となる「情報発信」を可能にしたのは、「ブログ」や「SNS」といったインターネットのツールであり、これは情報の発信元がマスメディアから個人に移ったのが情報革命である、と述べられています。

さらに本書の中では「好きなこと」の発信を習慣化・継続するコツや、「ブログ」や「SNS」それぞれの強み・弱みを活かした情報発信の方法、「パーソナルブランディング」の段階まで説明されており、さらに最終章では「お金」に対する心理的な分析とその価値観を変える方法までを述べられており、まさに圧巻です。

各項目についてはご本人のブログでも書かれてはおられましたが、断片的に書かれていたそれを体系的に一冊にまとめられており、ブログを読んだことのない方でも理解しやすい内容となっています。

 

と、ここまでが本書の概略になりますが、ここからは本書を読んでの私見を綴っていきたいと思います。

立花さんのマジックのようなこれまでの軌跡のタネ明かしを体系的にされている本書ですが、私が改めて感銘を受けたのは、冒頭の「情報革命」の段でした。

私のインターネット初体験は1998年ごろ、高校生のときに自宅でパソコンのインターネットとEメールに触れたときです。

遠く離れた複数の友人と「チャット」というツールでオンタイムにコミュニケーションが取れたり、マイナーな競技だったスキージャンプのワールドカップの結果をいち早く知ったり、時間に関係なく文章が送受信できる「Eメール」などに初めて触れられたことに、いたく感動したのを覚えています。

さてそこからインターネットの技術とツールは日進月歩の進化を遂げていきますが、以前に少し書きました通り肉親との突然の別れから心を閉ざしていった当時の私にとって、自分の考えを発信することや様々な人と交流するのは怖く、SNSやブログといったツールは縁遠いものでした。

長らく、私にとってのインターネットの恩恵とは、

 ・メールで瞬時に遠方の人と連絡が取れて便利

 ・新聞がなくてもニュースが見られる

 ・辞典代わりに分からないことを検索できる

 ・掲示板サイトなどで時間が潰せる

 ・実際の店舗に行かなくても通販サイトで物が買える

くらいのものでした。

それでも以前と比べて飛躍的に便利になったとは思いますが、「革命」と呼べるまでのものではありませんでした。

ところが、インターネットが引き起こした「情報革命」は、そんな単純なものではありませんでした。

インターネット以前と以後では、それが引き起こした「情報革命」により二つのエポックメイキングな事態が起きたと思われます。

一つは「情報の不可逆性が破壊された」こと。

インターネット以前は情報の流れが「マスメディア→個人」に固定されて一方通行だったのが、インターネット以後は「個人発信」という逆の流れを可能にしました。

twitterやブログ、Facebookやインスタグラムといったツールは、「マスメディア」ではない「個人」が情報発信をすることを可能にしました。

これにより、どんなニッチな情報も全世界に向けて発信することができるようになりました。

マスメディアで取り上げられない限り、多くの人に情報発信をすることはなかなか難しかったのですが、マスメディアが発信する情報はその名の通り「マス」=多数の人間に必要とされる情報のみでした。

ところがインターネットの普及により、個人の持つニッチな情報を発信すること、そして受け取ることができるようになりました。

それは、

ものすごくレアな趣味の世界の情報だったり、

あまり症例のない病気に罹った患者の方の闘病記だったり、

あるレストランに行ったことのある人のレビューだったり、

あるいは立花さんのようにどんなツールと意識でダイエットを成功させたのか、という試行錯誤の経緯であったり・・・

マスメディアが取り上げることのできない情報を、発信することができるようになったのです。

そしてそれを求めていた人との間に需要と供給が生まれ、経済圏や商圏といったものが生まれるのです。

 

「好きなことをしてお金を稼ぐこと」は、インターネットとスマートフォンが普及するまで、ある特定の分野で特別な才能と機会を得た人たちだけの特権でした。

たとえば「プロ野球選手」や「オペラ歌手」のように、すでにマーケットが確立している分野で圧倒的な才能を活かす機会に恵まれた人の特権、と言い換えてもいいかもしれません。

その特権を特権でなくしてしまったのが、前述のように「情報の不可逆性が破壊された」という革命なのだと思うのです。

だから、立花さんの言うように「好きなことをしてお金を稼ぐ」ことは、今後もっともっとハードルが低くなっていくように思います。

おそらく立花さんは、その継続的な情報発信の中で、いち早くそれに気づいて実践されて来られたように本書を読んで思うのです。

 

さて、インターネットの引き起こした「情報革命」のもう一つの大きな事態。

それは「お金の稼ぎ方が情報から時間へと変わった」ということだと思うのです。

古来より人間社会においては、「情報」を持つ者に「お金」が集まってきました。

「情報」とは、

「お金」に関するものであったり、

「医学」や「経済学」といった学問から、

「暦」「地図」「歴史」「産業技術」「近隣諸国の情勢」といったものまで、さまざまです。

こうした情報は、為政者や貴族、あるいは宗教者といった特権階級の者だけが囲い込むことで、「お金」「経済」といったものをコントロールしてきました。

長い歴史の中では、こうした特権階級の「情報の独占」に意を唱えた偉人たちもいます。

少し思いつくところだけでも、

収賄のために乱用される免罪符に異を唱えたマルティン=ルター、

キリスト教の説く奴隷道徳を批判したフリードリッヒ・ニーチェ、

既存の団体の既得権益を楽市楽座で破壊した織田信長・・・

スタンスの違いこそあれど、いろいろありますね。

インターネットはこうした「情報の独占」をも破壊しました。

以前ならそれを得るのに膨大なコストと労力がかかった情報についても、実にたくさんの情報がネット上に「無料」で見ることができます。

こうなってくると、もはや「情報」で稼ぐことはできなくなってきます。

そうしたときに考えられるのが、「時間」で稼ぐ、という考え方です。

つまり、

その人がどんな出来事や感情を経験して、

どんなことを書いてきて、

どんなことを発信してきたか、

どんな「時間」を重ねてきたのかという、

本書で言われているところの「パーソナルブランディング」でしか、究極的には稼げなくなるのではないかと思うのです。

これは少しAI(人工知能)に関わる話にもなってくるのですが、そう遠くない将来に人間の仕事のほとんどはAIがする仕事に置き換わると言われています。

そうしたときに、ビジネスコンサルタントの本田晃一さんもブログで書いておられるとおり、将来的にベーシックインカムが導入されると思うのですね。

それにより、最低限の生活は保証される。

けれど、豊かな生活を求めるならAIにできない仕事で稼ぐしかない。

AIにできない仕事、それはその人なりの「時間」を重ねた「パーソナルブランディング」でしかできないと思われるのです。

それが10年先なのか50年先なのか100年先になるのかは想像ができませんが、そんな社会が来ると思うのですが、お客さまはどう思われますでしょうか。

そんなことまで、本書を読んでいると考えさせられました。

 

いかがでしたでしょうか。

この「好きなこと」と「お金」と「仕事」については、まだまだ私も勉強中ですので、今日はまとまりのない部分もあったかと思います。

けれど、私にとっても大切なテーマですので、本書を参考にこれからも考え続けていきたいと思っています。

そのためにも、自分が本当に好きなことは何か?という内観を続けていく必要があるとも思うのです。

さて、今日もお越し頂きましてありがとうございました。

どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。