1999年、デビュー6年目の渡辺薫彦騎手は一頭のパートナーとともにクラシック戦線に挑んだ年だった。
ナリタトップロード。
父は1980年代の名マイラー、サッカーボーイ。佐々木牧場に産まれ、沖厩舎所属。
「鍛えて馬をつくる」故・戸山為夫調教師のもとで修業した沖調教師は、戸山師が自厩舎の馬に小島貞騎手・小谷内騎手を乗せ続けたのと同じように、自らの厩舎に所属する騎手を乗せていた。
それは前年12月にデビューした厩舎期待のトップロードも同じで、所属する渡辺騎手が初戦から手綱を託していた。
2戦目で勝ち上がったトップロードは、4戦目に500万下の身ながら格上のGⅢ・きさらぎ賞に挑戦し見事に勝利を収めていた。
そして迎えた皐月賞トライアル、GⅡ・弥生賞。
ファンは単勝1.5倍の圧倒的1番人気にアドマイヤベガを推した。
父は日本競馬史を塗り替えるほど活躍する産駒を毎年送り出し続けていた、偉大なるサンデーサイレンス。
母は1993年の2冠馬、ベガ。
最大手の生産牧場・ノーザンファームに産まれ、所属厩舎は多くのG1馬を手掛けた橋田満調教師。
そして鞍上は母の手綱も取った、武豊騎手。
これ以上ないというくらいにエリートの要素を詰め込んだアドマイヤベガに対して、トップロードは少し離れた2番人気であった。
しかしレースでは早めにロングスパートを仕掛けたトップロードが、アドマイヤベガの猛追を1馬身振り切って先頭でゴール。
GⅢ、GⅡと着実なステップを踏んだトップロードは、一躍春のクラシック戦線を主役として迎えることとなる。
それは傍から見れば小さな小さな一歩かもしれないし、周りが気づかないほど小さなステップかもしれない。
しかし、どんな目に眩いばかりの偉業も名作も、必ずそれにつながるファーストステップがある。
ディープインパクトもキタサンブラックも新馬戦からスタートしたし、
イチロー選手にも初めてバットを振った日があったし、
ピカソにも初めて描いた油絵の1枚があっただろうし、
ビートルズにも初めて歌った曲があっただろう。
すべては、そのほんの小さなスモールステップ、ベビーステップ、ファーストステップから始まる。
一歩踏み出せたら、次はもう少し大きな一歩を踏み出せる。
その繰り返しが、のちのビッグステップ、ジャイアントステップ、モンスターステップにつながっている。
初戦からGⅠレースに勝利する馬はいないし、
初めからメジャーリーグでヒットが打てるわけではないし、
最初に描いた絵が高く評価されて売れる人はいないし、
初めて歌う曲がCDになって世界で売れる人はいない。
全ては小さな小さなファーストステップから。
そのステップが、どこまでも遠くへ飛ぶための一歩目なんだ。
だからどんなに小さなことでも、そのファーストステップを踏み出せたことに乾杯しよう。
さて、弥生賞を勝ったその後のナリタトップロードと渡辺騎手。
GⅢ→GⅡとステップを踏んで挑んだ春のクラシック戦線だったが、GⅠ・皐月賞ではテイエムオペラオーの大外強襲に屈し3着、日本ダービーではそのオペラオーに競り勝ったものの、ゴール前測ったように飛んできた武豊騎手のアドマイヤベガに差し切られて悔しい2着と惜敗を重ねた。
渡辺騎手の騎乗に疑問を投げかける外野の声もある中、沖調教師は馬主に嘆願してまでも渡辺騎手をトップロードの背から降ろそうとしなかったと伝えられる。
そして同年の秋、クラシック最後の1冠・菊花賞で4コーナー先頭という早めの積極策で戴冠。
沖調教師と歩んだ渡辺騎手への信頼のステップが、大輪の菊の花を咲かせた瞬間だった。
如月、弥生の季節から綴られた、何度見ても味わい深いステップ。