大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

変革を求めるのは、内側なんだ ~1994年朝日杯3歳ステークスに寄せて

江戸時代末期に来航した黒船に代表されるように、我が国の変革は外からの刺激によってもたらされることが多い、とはよく言われます。

しかし実はその外からの刺激も、実は内面が求めたものかもしれません。

時代の転換点となったレースに寄せて。


 

1994年、朝日杯3歳ステークス。

この年の夏の新馬戦から、新種牡馬・サンデーサイレンスの旋風が吹き荒れていた。

日本競馬の中枢ともいえる「社台グループ」の創始者である故・吉田善哉氏が惚れ込みアメリカから導入したといわれる、このケンタッキーダービー馬の産駒はとにかく走った。

毎年デビューする新種牡馬の中には、ときにこうした「ブーム」となる馬もいる。だが、このサンデーサイレンスの「ブーム」はすぐに「時代」へと変換される。

1994年の朝日杯はそんなレースになった。

 

2連勝で臨んだフジキセキは、青鹿毛の雄大な馬体を躍動させ、肩ムチ一発でのちにケンタッキーダービーにも参戦したスキーキャプテンを軽々と競り落とした。

口を割ったり、荒削りなままでの3歳王者。

どこまで強くなるのか。そんな夢想をしたくなるほどの底知れぬ強さ。

翌年春の弥生賞を圧勝した後、屈腱炎を発症し無念のリタイヤ。ナリタブライアンから2年連続での3冠馬誕生は、幻となった。

しかし、サンデーサイレンスは翌年も日本中を席巻。

輸出した北米が後悔しただろうと思われるくらいの快進撃で、わずか2世代でリーディングサイヤーを獲得し、その後13年間その座を守った。

サンデー以前と以後といわれるほどの日本競馬の革命。その端を開いた、フジキセキ。

 

黒船はいつも外からやってくる。

しかし、変革を求めているのは内面なんだ。

第69回、朝日杯フューチュリティステークス。

時代を拓く走りを、みせてくれ。

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2017.12.17


 

アメリカにおいて最も主要なレースの一つケンタッキーダービーと、3冠レースの一つプリークネスステークスを制し、1989年の2冠馬となったサンデーサイレンス。 

生まれつき後ろ脚が内側に曲がっており、見栄えのしない馬体で買い手がつかず、さらには幼少期に自身を乗せた馬運車が横転する交通事故に遭い、サンデー以外の競走馬は全て亡くなったものの、サンデー自身は重い怪我を負いながらも生き延びたという数奇な運命をたどったと伝えられます。

しかしひとたびレースに出ると、類まれな闘争心と爆発的な瞬発力で快進撃を続け、ついには「もっとも偉大な2分間」と呼ばれる最高峰のレース、ケンタッキーダービーに出走します。そこで大本命と目されていた1番人気の良血馬・イージーゴアに競り勝ち、ついに戴冠します。

引退してからも、母系が異流血統だったこともあり、ライバルだったイージーゴアの方が評価が高かったこともあり、日本へ種牡馬としてやってくることとなったようです。

 

日本に来てからのサンデーサイレンスの活躍は、まさに「時代」という表現がふさわしいほど、活躍する産駒を多数輩出しました。2002年に病気で鬼籍に入るまで、毎年トップクラスの産駒を世に送り出してきました。今をときめく種牡馬、ディープインパクトの父もまた、このサンデーサイレンスです。

故・吉田善哉氏は生前、「サンデーサイレンスをもってくることが、人生最後の大仕事」と語っていたと伝えられます。

舶来の黒船が起こした日本競馬の大変革は、その内側にいた故・吉田善哉氏がその生涯をかけて磨いた慧眼がもたらしたものとも言えると思うのです。

 

私たちの身の回りでも、いろんな変革を求められるときがあります。

何か環境が変わったときや、あるいは人間関係での出来事、仕事の変化。

黒船がそうであったように、起きた時点ではショックな出来事もあるのかもしれませんが、必ずそれは私たちの変化を促します。

外界の変化は、もう古い自分よりも新しい自分に変革することを、内面が求めたからなのかもしれません。