大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

ランニング再開に思う、バランスの大切さ

先日ご報告した足の怪我がだいぶ癒えましたので、昨日の夜久しぶりにランニングを再開してみました。

かなり気温は低く、指先や耳が痛かったのですが、やはり身体を動かすと気持ちがいいですね。

ということで、今日はランニングに寄せたテーマを。


 

熱帯夜ランにて。

たっぷりと湿気を含んだ空気は、身体にまとわりつく。

口の中は乾き、ねばつい唾が不快だ。

通気性がいいはずのウエアは、すでに全身水を浴びたようにずしりと重い。

少しサボっていたせいか、息は上がり足は鉛のように重く感じる。

けれど、それもこれも全てあの赤い炭酸水の喉ごしと、シャワーを浴びた瞬間のカタルシスで解放される。

陽の本体が陰のように。

ハレの根源がケのように。

不快は快の母親であり、苦は喜びの父親のようだ。

2500年ほど前、お釈迦さまは「一切皆苦」と仰ったと伝えられる。

生きることは全て苦しみだとするなら、それはまた全て喜びとも見える。

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2017.7.14


 

以前から折に触れてお話しさせて頂いているネガティブな感情とも通じると思うのですが、何でもバランスが崩れると、人は息苦しくなったり、時に病気になったり、生きづらくなるようです。

私たちの身の回りを眺めてみれば、陰陽の両極が必ず見つかります。

昼と夜。

男性と女性。行く末と来し方。

悲しさと愛しさ。夏至と冬至。満潮と干潮。空と地。

摂取と排泄。理想と現実。新月と満月。若さと老い。善と悪。

片方だけを受け入れるのではなく、両極を受け入れることができると、統合されて豊かに生きることができると思うのです。

 

昨日の記事も、それに近いことなのかもしれません。

口下手な自分や、運動神経がよくない自分や、カッコ悪い自分や、未練たらたらの自分や、女々しい自分や・・・そんな自分も受け入れ愛してあげるほどに、日々は豊かになるのでしょう。

適度な運動が身体にいいのはもちろんですが、ランニングにしても筋トレにしてもスポーツにしても、身体に負荷がかかることなのに気持ちがいいのは、それをすることで「動かないこと」と「動くこと」のバランスを図っているでしょうね。

厳しい寒さの中で走れるのも、この時期だけの楽しみと思って、また身体を動かすのを楽しんでいきたいと思います。

どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。