大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

「感謝」はスゴインデス。

「感謝」とは、そこに在る愛を余すことなく受け取れる言の葉であり、人生を好転させるくらいパワフルなツールであり、癒しの到達点であり、自己肯定の最強のメソッドの一つです。

そして、「感謝」って何か特別なことがあったから特定の誰かに感謝することをイメージしがちですが、そうではない感謝もあります。特定の誰かに向けた感謝は特定の誰かとの循環ですが、不特定の人やものに向けた感謝はもっと大きな循環を生むような気がするのです。

一昨日、昨日の記事とのつながりをお楽しみいただけると幸いです。


牡蠣を炊き炊き。

牡蠣は煮過ぎると小さく固まってしまうので、少し煮たら牡蠣を取り出して煮汁を煮詰め、また牡蠣を戻して煮て、また取り出して煮詰め・・・という工程を何度か踏むと、ふっくら美味しい牡蠣のしぐれ煮ができる。

知ってしまえばコロンブスの卵なんだけど、最初に聞いたときは感動した。

きっと普段何気なく食べている食事にしても、私が知らないだけで先人たちの知恵がたっくさん詰まっているんだろう。ありがたや。

・・・という私は、やはり運命思考第1位。

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2018.1.28


「すいません」より「ありがとう」という言の葉を使うといい、とよく言われます。

「(そんな、私ごときにそんなことして頂いて)すいません」という言の葉は、周りから「私ごとき」として扱われるような世界をつくりだすようです。その逆に、「(もーそんな嬉しいことしてくれて、ホントに超絶幸せでたまらないよー)ありがとう」という言の葉は、超絶嬉しくて幸せでたまらないような世界をつくりだすようです。

周りの人の心理からすると、次に同じことをするにしても「すいません・・・」って申し訳なさそうに頭を垂れている人よりも、「超絶嬉しくて幸せ!」ってアホみたいに喜んでもらえる人にしてあげたいって思いますよね。その積み重ねって、時間を重ねると複利計算の雪だるまのように大きく違いを生むのだと思うのです。

これを少し別の面から同じお話をすると、にわかには信じがたいのですが、私たちの内面と現実の世界の間には「原因と結果」の明確な線引きができないようなのです。

私たちは近代科学の影響が強すぎるのか、よくそうした思考回路を取ります。「重力という力があるから、リンゴが落ちる」というように。ところがよくよく私たちの生きている世界と、私たちの内面の関係を見てみると、必ずしもそうも言えないことが往々にしてあります。どちらが原因で、どちらが結果か分からない、というように。

 

たとえば、

心に余裕がないから、部屋が散らかっている。
笑顔が可愛いから、男性にモテる。
休みがなかなか取れないから、好きな旅行に行けてない。
職場の同僚に恵まれているから、仕事が充実していると思う。

どこでもよく聞くような話ですが、この原因と結果をひっくり返してみましょう。

部屋が散らかっているから、心に余裕がない。
男性にモテるから、笑顔が可愛くなる。
好きな旅行に行かないから、なかなか休みが取れてない。
仕事が充実しているから、職場の同僚に恵まれていると思う。

どれもこれも「ニワトリとタマゴがどちらが先か」のように、入れ替えても意味が通じるようです。

・・・ということは、「ありがたい事象が起きるから、感謝する」は、「感謝するから、ありがたい事象が起きる」と入れ替えることも可能ですよね。だから、感謝はスゴインデス。

そんなスゴイ「感謝」ですが、冒頭で申しあげた「今を楽しむ」ことや「日常の細部を見つめる」と自然にできるようになるように思います。

 

冬の朝の澄んだ空気を楽しんでみたり、
車に乗るときはエンジンの発明に想いを馳せてみたり、
そのご飯粒がどうやってここまで来たのか想像してみたり、
温かい温泉に心ゆくまで浸かってみたり、
今日の言の葉のように牡蠣の調理法に先人たちの恩恵を見つけたり・・・

すこし目を凝らすと、世界はきっと感謝の思いが感じられるものや人が見つかります。そして不思議なことに一つ何かに感謝できると、ぱたぱたぱたっとドミノ倒しのようにいろんなことに感謝できるようになっていきます。

そうすると、どんどん感謝できるレンジが増えていき、以前はイヤ!嫌い!と思っていたことや人の中にも、「何よ・・・いいところもあるんじゃないの(ポッ)」と思えるようになっていくのでしょう。
そこまでアホになれたときの効果といったら・・・スゴインデス。


今日は日常の細部を見つめて感謝のタネを発見してはいかがでしょうか。
どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。