人のご縁シリーズ、先日は働き始めたときの先輩についてでしたので、今回は後輩についてです。
なんだかんだ言いながらも、後から生まれた方が何でも優秀だな、と思うのです。
他人に何か話せないことを持つと、人は周りと分離し孤独を覚える。
大丈夫だと自分に言い聞かせて、作り笑いをして無理した分だけ、マリアナ海溝に心は沈み、デッドゾーンは近くなり、タナトスは引き寄せられる。
誰かに相談した方がいい。
助けを求めた方がいい。
一人で抱え込まない方がいい。
誰しもがそんなことは分かっている。分かっているけど、「しない」のではなくて「できない」と言った方が正しいのかもしれない。
けれど、時にそのブロックを破ってくれる人がいる。それは優しい声がけとかではなく、その人自身の生きることへの関わり方が呼応して、ブロックを打ち破ってくれるのだと思う。
その人はそんな存在。
日付変更前後に安い居酒屋に辿り着き、短針が水平になる頃にはぐだぐだになっていた。それでも翌朝には一緒に荷捌き馬で4tトラックと戯れ、警備員と口論しながら駐車するスペースを探していた。
ぽつりぽつりと自分の痛みを話しても、何も言わずに聞いてくれた。きっとそれはどんな助言やアドバイスをもらうより、救われることだったように今となっては思う。
その人も、きっとどこかでどうしようもなく深い悲しみや痛みを、喜びと優しさに変換したのだと思う。
照れ屋さんのその人に話したら、ただ眠かっただけですと言われそうだけど。
2017.5.16
私、年上の人の方が割と接しやすいのですね。反対に年下の人や後輩との関係はあまり得意ではありませんでした。
人に頼むことも教えることも苦手な、典型的な自立をこじらせて鞭打って仕事をしてきましたので、後輩の前ではすべての仕事ができないといけないし、カッコつけないといけないし、ミスしたらいけないし、頼ったりお願いしたりすることができないし、それはそれは大変でした。
柄じゃないんですよね。
もともとは末っ子長男の気質ですし。
後輩に教えるとか指導とか、ガチで苦手でした。だって自分に自信がない分、「ほんとにおれが教えていいの?だってあなたの方が優秀だよ?」という卑屈な感情と、そうはいっても自分の存在価値を認めてもらうために頑張ってたわけだから「劣っている・負ける=生きる価値ナシ、打ち首獄門の刑!!!」と信じてたから、ずっと虚勢を張ってないといけない。その狭間は苦しかったのです。
まあそんな心の痛みからくる孤独と怖れを抱えてた私でしたが、ありがたいことに後輩に恵まれました。
その人を見ていると、何でも若い方が優秀だな、と思えるのです。仕事の面にしても、何にしても。
ぽつりぽつりと痛みを話しても、受け容れる度量の大きさ。
そして助けを求めたとき、
「最後に頼れるのは自分ですね(笑)自分も自分が救うってことかもしれないですね」
とサラっとメールできる器量。
自分を救い幸せにできるのは、やはり自分しかいない
私が37年目にしてようやくたどり着いた一粒の真実を、私よりも若い人がすでに当たり前のように分かっている。最近の若いヤツは、ほんとにけしからん。なんでそんなに優秀なんだ!
もうね、みんなをびっくりさせようと土曜日に遠くの街で売ってる早売りのジャンプを必死にチャリこいで買いに行って「ドラゴンボール」を読んで、月曜の朝一に「実はさー、今週クリリンがさー」ってしたり顔で話しかけた友達が実は鳥山明だった、みたいな。そんな感じ。あ、すいません、よくわからないですか・・・
まあ、そんな後輩に以前は先輩風吹かせて奢ったり、いいこと言ったりしないといけないと思い込んで変なプレッシャーがありました。
けれど今となっては一緒に飲むとゲラゲラ笑って呑みすぎて記憶飛ばして、気づいたら翌朝自宅で、「ごめーん、支払いってどうなったっけ?」と聞くポンコツっぷりを発揮できるくらいまでになりました。嬉しい限りです。
それでも。
地下鉄の駅を降りて、降りて大鳥居の五叉路を西に。
日付が変わっても灯りの落ちないチェーンの居酒屋で安いツマミと生で延々。
明日もヤマトは遅れるかねーとか言いながら。
旧きよき時代の思い出です。
今思うと、幸せな時間でした。
そんな時間を過ごせたことに、感謝しています。