大嵜 直人のブログ

別れによって傷ついたココロは、出会いで癒される。私が辿ったそんな物語を「書く」ことをライフワークにしています。

「自分が自分を扱うように、他人に自分を扱われる」ということについて

私が自分自身に対してどう接しているか。それによって、私の周りの社会や他人からどう扱われるのかが決まる。

 

…ということはよく言われることで、私も一つの真実だと思います。当店でも、以前にこちらで綴らせて頂きました。

 

今日は少しそのお話をほりほりしてみようと思います。


それはきっと周りの世界を変える魔法ではなく、世界の見方を変えるだけだと思うのです。

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帰り道の運転中。

 

いつもは音楽をかけないのだが、ふとオーディオのスイッチを入れた。車中に流れたのは、「パッヘルベルのカノン」。久しぶりに聴いて、流れ出した涙は嗚咽に変わった。

 

超メジャーなこの曲は、去年の春に内海の海から帰る下道で同じように車中で流れていた。

 

疲れて後部座席で眠りこける子どもたちを背に、おそらく三十年近く前にも通った道を、再び通った。そのときは私も同じように、後部座席で眠りこけていたのだろうか。それを想うと、今日と同じように嗚咽が止まらなかった。


愛された、道。
ずっと愛されていた。
寂しくても、大丈夫だよ。
きっとすぐそばに、いる。


音楽とそれを聴いたときの感情は結びついている。

 

あのときはずっと切っていた感情に戸惑っていたけれど、今は大丈夫。ただ感じ尽せば、大丈夫。

 

あの道を通ったのは、葉山から帰ってきて、一ヶ月ほど経ったころだった。

 

それからまた一年近く経って、今日。
それにしても冷酒とリトリートは後から効く。

 

そんなつれづれを思いながらの、二日月ラン。

 

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2018.1.18
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「自分が自分を扱うように、他人に自分を扱われる」

 

同じような内容は、探せばいろんな表現がありますよね。
「Heaven helps those who help themselves.(天は自らを助くる者を助く)」
「与えたものだけ、受け取れる」
「天に向かって唾を吐く」
「放てば満てり」

 

自分を自分で認めて優しく接している人は、世界からも認められ優しく扱われます。そして最も自分に対して認めることの中で、私が有効だと思うのが、自分の感情に寄り添うことです。

 

それは楽しいや嬉しいといったポジティブなものだけでなくて、悲しい・寂しい・怒りなどのネガティブな感じたくない自分のイヤな面が出てきたとしても、否定せずに一緒に伴走してあげる。

 

そうだよね。
頑張ってきたよね。
悲しかったでしょう。
よく我慢したよね。
大丈夫だよ。

 

そうして自分の感情に寄り添ってあげることが、最も自分を大切に扱う方法の一つだと思うのです。


さて、今日の言の葉で綴らせて頂いた「車中での号泣」事件。寂しい、悲しいと感じた感情に寄り添い、流れるままに大切にすることができました。そうすると、やはり不思議なことにその後で世界から大切にされることが少なくとも三つは起きたのです。


一つ目は、その翌日に私がとても尊敬し、いつもブログを拝見している方からありがたいメッセージを頂いたのです。
朝からとても嬉しく、何度も読み返し幸せな気分になりました。自分を大切にした分、周りの世界からも大切にされる。これはとてもわかりやすいですよね。

 

二つ目は、冬のわずかな陽射しの暖かさをゆっくり感じることができました。
その日は、子どもたちと家で留守番の日でした。しかし、朝から息子と娘はお腹が痛いと朝食もそこそこに布団で二度寝してしいました。掃除、洗濯を済ませると、リビングに冬のほのかに暖かな陽射しが差し込んでいて、思わずそこで昼前まで、横になってぼーっとしていました。冬の陽射しの暖かさを静かに感じる豊かな時間を、世界は与えてくれました。

 

三つ目は、雪が降ってお昼がうなぎになりました。
月曜日に関東地方で大雪が降りました。交通機関にも大きな影響が出て、翌日に予定した関東方面の取引先との商談がキャンセルとなりました。まあそんなこともあるよね、と思っていたら、空いた時間に別の顧客の対応が入って、お昼をご一緒してうなぎを頂くことができました。


一つ目のメッセージは分かりやすいけれど、二つ目と三つ目って自分を大切にすると世界から大切に扱われるってことと何か関係があるの?と思われるかもしれません。

 

けれど、自分をぞんざいにしてかちこちになった余裕のない心でいたら、恐らく冬の暖かい陽射しの幸せに気付くことはできなかったと思うのです。もちろん、子どもたちの体調も心配は心配です。ただ子どもたちの体調不良と、私が豊かな時間を過ごすこととは、言ってみれば何の関係もありません。私にできることは、暖かい寝床を用意して、消化のいいごはんを用意して、もっと体調が悪くなれば病院に連れていくこと。そこから先は、彼らの範疇です。

 

そして雪が降って予定が狂って、余裕がなくなって別の顧客の対応もうなぎも一緒に断っていたかもしれません。


要は自分の感情に寄り添っていると、周りの世界をどう見るか、という見方が変わっていくのです。心に余裕ができる、と言い換えることができるかもしれません。

 

そうすると同じ事象が起きても、周りから大切に扱われている、と感じられるようになります。


たとえ同じようなぞんざいな扱いを受けたとしても、「ああ、私を信頼してるからこそ、そんな言動なのね」と、相手の心の奥底に眠る信頼や愛を感じられるようになります。一種の変態さんですね。

 

それが「自分が自分を扱うように、他人に自分を扱われる」ということの中身なのだと、私は思うのです。


今日の言の葉に出てきました「リトリート」は、以前ご紹介した根本裕幸さんの主催するセミナー。

 

私がSNSを始めて、こうして言の葉を綴るようになったのも、以前葉山で開催されたリトリートが契機でした。非日常の時間と空間に身を置くと、その後の日常が劇的に変わるんだなーと、私も参加してから一年ほど経ってから実感しています。

 

何より、仲間ができることの恩恵は大きいですね。

 

私見ではありますが、これから人のコミュニティの最小単位が、血縁や地縁、会社といった「強固なもの」と並んで、好きなものを媒介とした「緩やかなご縁のつながり」が主になっていくと思うのです。そうした流れは、相対的に地縁や血縁のかけがえのない大切さを際立たせるとも思います。


さて一年で最も寒いこの季節、暖かい料理で寒さを楽しみましょう。
どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。