大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

現実を変えるには、マインドを整えることから

目に映る現実を変えるのは行動です。

そして、行動を支えるのは感情やマインドと呼ばれる部分です。

もしも、そのベースとなるマインドが傷ついているときは、それが癒えるまで行動しないことも現実を変える一歩目だと思うのです。

今日は文化比較も絡めた、そんなお話を。


 

文化比較で、日本人はその人の「発言内容」と「人格」を同一に見てしまう、という話がある。だから日本でディスカッションする文化が育たない、という文脈でよく語られる。

その人の「人格」を尊重することと、その人の「発言内容」を賛成することは全く別の次元の話であり、「人格」を尊重しているからこそ「発言内容」に反対したり批判することは大いにありうることである。なかなか自省しても難しいことではある。

翻って、これが難しいことの理由を考えると、

言の葉に八百万の神さまが宿るとする日本の言霊信仰も影響しているかもしれないし、

陸続きで国境が曖昧な国々において自己防衛のために発達した個人主義との比較もできるかもしれない。

いっぽうで、心理的な側面から見ると、この分離が難しいのは、自分の「行動」と「存在」を同一していると難しい、という見方もできそうだ。

自らの「行動」を善い/悪いと判断した瞬間に、

自らの「存在」も善い/悪いくっつけて判断してしまう。

善い/悪いと判断されるどんな「行動」も、その人の「存在」を否定する事には、ならない。「行動」と「存在」は全く別のものなのだ。

発注でミスをしようとも、

会話がうまくつなげなくても、

仕事がうまく回らなくても、

呑みすぎて潰れて二日酔いになっても、

車の運転が下手でも、

その人が存在することの価値には何一つ影響はない。

・・・誰のこと?という質問は不粋であります。

 

そして、その存在の価値が信じられないときには、手負いの獣が巣穴で傷を舐めてじっとしているように、自分をいたわることが必要だ。

無理に自分に鞭打たなくていい。

そのうち、傷付いた羽根が癒えてくると、空を飛び回りたくなる。

まずはじめに存在を肯定してあげること。

行動が変わるのは、たぶんそこからなんだ。

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2017.10.21


 

私たちが何か現実を変えたい!と思ったとき、そこには今現在の現実に対しての何がしかの不満や不快さがあります。そして現実を変えるための唯一の方法は、行動することです。

ところが、往々にしてその不満や不快さによって、私たちの心の奥底のマインドは傷ついてしまっています。そこから行動を起こそうとすると、傷付いた翼のまま空を飛ぼうとする雛のように、無理が生じます。

そして行動できなかったり、有効でない行動で現実が変わらなかったりすると、さらに自らのマインド=翼を傷つけるスパイラルに陥ります。

 

・・・ええ、私もそんなことをしておりました。

行動するのは辛い、でも現状のままはもっと辛い。

身体の怪我や病気は目に見えるので、足を骨折している人が、「すぐにマラソンを走れるようになりたいんです!だから今からトレーニングが必要なんです!」と言っても、「まずは足を治すこと、話はそれからだ」になってしまいますし、

胃腸風邪で朝からトイレと深い友情を築いている人が「どうしても今から予約したレストランに行きたいんです!」と言っても、「んなこと言ってる間にキャンセルの電話しろ!」となります。

 

ところがこれが心の話になると、目に見えるわけではないので、血がドクドクと流れている状態でも鞭打って尻叩いて自分を奮い立たせて、行動しようとするわけです。

まずは、その血を止めましょう。

消毒しましょう。

ばんそうこう、貼りましょう。

傷付いた動物は傷を舐めてじっとしているように、何もしないでいいんです。

そうしていると、不思議と傷が癒える出来事や出会いが訪れます。

そうすると、嫌でも走り回ったり空を飛びたくなるものです。

現実を変えようとするのは、そこからでも十分なのだと思うのです。

まず、マインドを整えるところから。

 

今週もまた例年以上に冷え込むようです。

どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。