「世界がどうあるか」が問題なのではなくて、実は「自分が世界をどう見るか」が全てのカギを握っていると思うのです。そしてそれは自らの意志でいかようにも変えることができます。
週末につき、お馬さんを愛でながらそんなことを考えた言の葉を。
2004年、NHKマイルカップを制した、キングカメハメハ。
安藤勝巳騎手の手綱により、返す刀でダービーまで連勝。
Winner takes all.
勝負の法則。
優勝劣敗の結果とはいえ、一部の生産牧場、馬主、エージェント、外国・地方出身騎手による市場の寡占は、この頃から加速度を増していった気がする。
ハイセイコー、オグリキャップ、コスモバルクらが紡いできたロマンの消失。
人によっては、そう見えるかもしれない。
けれどその意味づけをするもの、また人。
サラブレッドはただ走る。
2017.5.7
競馬ブームを巻き起こし、社会現象にまでなったハイセイコーやオグリキャップ。
血統もよくない地方出身の雑草たちが、並みいる中央の華麗な一流血統のエリートたちを打ち負かす・・・多くのファンがそんな物語を投影して、レースで懸命に走る彼らの中に内なる自分を見つけ、感情を揺さぶられたのでしょう。
最近はそんな物語が少なくなったように見えます。
しかし、それもまた一つの見方に過ぎません。
全てのものごとに正誤善悪もなく、「ただそこに在る」だけです。そこにさまざまな色を付けるのが私たち人です。
お化け屋敷でもジェットコースターでもメリーゴーランドでも、どんな世界でもいいのです。
美しい世界を見るのか、汚い世界を見るのか。
不安で油断できない世界を見るのか、安心できる世界を見るのか。
目に留まる世界の切れ端から、自分が何をどう見るか。
それが全てのように思います。
もちろん、辛い、醜い、汚いものの見方をしてもいい。
新月の闇を知ったからこそ、曙光の明るさが染みるから。
そうして初めて、一日として統合できるから。
月の満ち欠けとしてのサイクルが始まるから。
大切なのは、誰しもがその見方を選べる、ということ。
その眼鏡は、必ず選ぶことができる。自らの意志で。
さて、また今日から冷え込むようですね。
暖かくして、どうぞごゆっくりお過ごしください。