自分が欠点だと思っている点。できないと思っている点。
できることなら隠しておきたいものです。
けれど思い切ってそれを晒し出してみると、意外と周りから愛されてしまいます。それどころか、その欠点にはもしかすると自分の天才的な才能が隠れているのかもしれません。
まずはこちらのテーマをご覧ください。
今日のだし巻き。
もっと美しく黄金色に巻くには?
最近気づいたのは焦げるのを怖れて焼き器の温度が低いと、逆に張り付いてしまうこと。ある程度高い温度で、手早くがいいもよう。
焼き器の温度、砂糖、だしの量、一回に流し入れる量、白身は濾すのかどうか、
悩みは尽きない。
2017.7.5
・・・ええ、焦げもついて形も不揃いで、あまり上手なだし巻きには見えませんね。こに画像をアップするのも恥ずかしいのが正直なところです。
・・・まあまあ、修行中の時代もあったということで。
さて、あまり上手に巻けていないこのだし巻きと言の葉、私はそのままSNSにアップしたのですね。今日の自分の記録として。「インスタ映え」などなんのその、です。
するとどうでしょう。
だし巻きのプロフェッショナルの方から、ありがたいアドバイスのコメントを頂いたのですね。この不細工な、お恥ずかしいだし巻きに寄せて。
アドバイスを頂いたのちに巻いただし巻きが、こちらです。
「油をたっぷりと。」
「半熟で巻く。卵流して、ぷくぷく膨らんだらとりあえず巻く。その繰り返し。」
・・・だし巻きの神あまの教えは偉大だった。あの黄金色のだし巻きに、ほんの少し近づいた気がする。気がするだけでも、いいよね。
もっとふわふわで、噛むとだしがあふれ出る美味しいだし巻きを巻けるようになりたい。
それにしても、不細工だろうがヘタクソだろうが恥ずかしかろうが怖かろうが、世界に自分を晒し出してみると、必要なアドバイスや助けを引き寄せるから不思議だ。
ヘタだなぁって笑われたり否定されたりしたらイヤだ、というネガティヴな思い込みを越えて与えるのは、なかなかに勇気がいる。けれど、与えるベクトルが大きければ、反作用で返ってくる恩恵も大きい。きっと自然の摂理。
そうやって、毎日何かを与えて受け取って学んで変わっていけるのは、本当に素敵なことだ。
2017.7.11
随分とマシになったと思いませんか?
・・・え?いやいや、画像加工ではありません。
できないこと、欠点だと思っているところ、ダメなところ。
自分でそう思っている点は、晒し出すほどに周りから助けを得られ、愛されます。
自分のできることを周りに与えられることは、大きな喜びになります。たとえば誰かが困ってヘルプを求めていたとして、それが自分が得意なことで役に立てるなら、とっても嬉しくなりません?
自分ができない何かは、誰かのできる何か、なんですよね。
凹凸の漢字のデザインと同じです。
欠点やできないと思っている点は、晒すほどに愛される。
そして、もう一歩踏み込んでみると、その欠点、できない、これがなければなぁ、と思っている点こそに、その人の天才的な才能が隠れていることが多いように思います。
自分の欠点やできないと思っている点を、よく人は直そうとします。
以前にも似たようなことをお話ししましたが、欠点を直さないとダメだ、周りから認められない、愛されないという古傷や思い込み、ルールがあると、その傾向は強くなりますね。
往々にして、そうした努力は大きな成果を挙げることはあまりありません。
そうすると人は長所にフォーカスして、それを伸ばそうとします。できないことよりも、できることに力を注いだ方が楽しいですし、変化も感じやすいですから。
この段階でも素晴らしいのですが、もう一歩踏み込んでいくと、弱みを晒し出して才能と為す段階があります。
欠点やできないこと、直さないといけないと思っていることを、とことん突き詰めて晒してしまう。すると、その人の才能を補完する天才性が浮かび上がってきます。
神経質でこだわり過ぎてしまう欠点は、誰にも真似できない職人芸の作品を生み出すかもしれません。
マネジメントができないという悩みは、突き抜けると強力なリーダーシップに化けるかもしれません。
人見知りで自分の殻にこもりがちだという問題は、独創的な世界観を持つ小説や絵画などの創作活動で活きるのかもしれません。
弱み、欠点、これさえなかったら全てうまくいくのに、と自分で思っている点こそに、必ずその人の天才的な才能が隠れている。だから、欠点は直すものでもなくて、隠すものでもない。晒し出すことで愛され、突き詰めることで稀有な才能に転じる。
いま私は、欠点についてそんな風に考えています。
・・・え?そのだし巻きの神さまですか?
今日は少し長くなって遅くなりましたので、また明日、その神さまについて書きたいと思います。
どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。