大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

怒りの底には、別の感情が眠っている。

朝晩は多少涼しくなりましたが、まだ日中は陽射しが強いですね。

暑いときには温かいもの、辛いものがよいとは申せど、どうしてもエアコンに当たりすぎたり、冷たいもので身体を冷やしてしまいがちですね。

また残暑バテと申しますように、暑い盛りを越えた疲れがどうしても出て来がちなのがこの時期ですよね。

今日は、冷たいものをお出しするより、こちらの言葉をご用意いたしましょう。


 

私がまだ20代半ばだった頃のこと。

朝の早い時間に、緑の制服を着たテナントの女の子が、予約で承っていた15個のケーキのうちの1個を入れ忘れてしまいました、と。

「どんなお客さん?」

「スーツ着た3人で来られた男性のお客さん」

「連絡先、わかるかな?」

「はい、わかります」

私は女性からよりも男性からの苦情の方が苦手というのもあったが、直感的にイヤな予感がした。とりあえずその連絡先の携帯に電話してみた。

 

こちらから名乗った途端、まず「オドレ」という単語が飛び出てきた。そしてこれはどのドラマか映画の台詞かな?というくらい罵倒された。最後に、今すぐにもってこい、と。

暴言はよくないが、非は100%こちらにある。指定の住所まですぐにお持ちします、と答えた。

すぐに準備してタクシーに飛び乗った。しかし不思議なことに、訪問先を告げると乗車拒否された。この時点で察しないといけないのだが、社会的な経験も知識も薄かった私は焦って次のタクシーを捕まえ、方角だけを伝えて走ってもらった。

悪いことが重なるときは重なるもので、男性なのに地図が苦手な私のこと、逆の方角を指定して走り出したのに気付かないでいると、携帯が鳴った。

出ると、怒号が飛んだ。

 

「今どこにおるんや!」

 

場所を伝えると、本日二度目の罵倒用語講座上級編。放送禁止用語も盛りだくさんの中で、「あぁ、たいへんだ」とディズニーの黄色いクマさんのように、どこか他人事のように見ている自分がいた。どうやら焦りと怖れが過ぎると、人はブレーカーを飛ばすようだ。

永遠とも思える時間ののちに着いた指定の場所は、とてもおっきくて、壁が高くて、防犯カメラがついているおうちだった。玄関に、黒いスーツの男性がひとり立っていた。

「痛いのは、嫌だなぁ」

そんなことを思いながらタクシーを降り、じっとこちらを見る男性の方に歩いていった。惹き込まれそうな、とても深い、いい眼をされていた。

 

「ニイちゃん、気ぃつけなあかんで。ワシら面子を重んじるから、客人の菓子一つなくても大変なんや。若いもんが騒ぐのも、それやから堪忍したってな」

 

ひたすら恐縮してお詫びしてケーキをお渡ししてコトは終わった。

人は周りに怒りを発するとき、その裏には他人には触らせたくない痛みと怖れがある。あの罵倒講座の裏にも、きっと。

というようなことを書きたかったのだが、振り返ると無鉄砲極まりない。無知と若さは恐ろしい、というオチの方がおさまりがよさそうだ。

生きててよかった。

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2017.6.11


 

おや、やはりこの言の葉だいぶ凍えますね。

怖いですね、ホラーですね、のアニメのキャラクターの台詞が頭をよぎりますね。

・・・そうですね、仰るように無鉄砲さは笑い話として酒の肴にして頂ければ幸いですが、痛みと怖れが「怒り」を生むのは本当にそうかな、と思います。

 

「怒り」は二次感情だと言われることがあるように、それは本当の感情を隠すために使われることがあるようです。

今日の言の葉のお電話口の方で言えば、

客人への準備にミスをした私に怒りをぶつける

その奥には、当然上司に怒られたくない、恥をかきたくないという怖れがあるのかもしれません。

その怖れは、過去に客人のもてなしに失敗した、あるいはミスを怒られた、という痛みが引き起こすのかもしれません。

 

他人が怒っているところを見ることも、自分が怒りを感じることも、あまり気分のよいものではありませんし、私も「怒り」の感情が苦手です。

けれど、そんな「怒りの底にあるもの」に眼を向けることができると、「怒り」に対する見方も変わるのかもしれません。

 

今日は一人語りが過ぎました。

長くなってしまいましたが、怒ってないですか??

・・・そうですか、それはよかった。

どうぞ、ごゆっくりおすごしください。