大嵜 直人のブログ

別れによって傷ついたココロは、出会いで癒される。私が辿ったそんな物語を「書く」ことをライフワークにしています。

つれづれ

結局、体験だけが残る。

仙台の友人を訪ねて行ったことがあった。 仮にその友人をナカタとする。 あれは、たしか9月に入った長い夏休みの終わり際だったと思う。 学生だった当時、神奈川県に下宿していた私は、同郷で仙台に下宿していたナカタを訪ねて行った。 予定もなく、暇だった…

雨と音と記憶と。

雨が降ると、音がする。 傘を叩く音。 その音符。 木々の葉に触れる音。 そのざわめき。 土に吸い込まれていく音。 そのやわらかさ。 雨が降ると、音がする。 音がすると、思い出す。 = たとえば、ある音を聴くと、ある種の記憶がありありと思い出されたり…

嫉妬、女へん二つ。

「嫉妬」という漢字は、なぜ両方に女偏がつくのだろう。 女に、疾。 女に、石。 たとえば、「妊娠」は分かる。 広く見れば雌雄同体などの性質を持つ生き物もいるが、ヒト科においては女性にしかできない所業である。 「妊娠」が女偏二つなのは分かる。 だが…

自らの手を使って、身の回りに愛を差し向ける。

家の中は、自分の心理状態とリンクしているとはよく言われる。 深層意識の部分が癒されると、押し入れや物置の中を掃除したくなったりする。 あるいは、その逆も然りで、見えない部分を整理したり掃除したりすると、妙に気分がスッキリしたりする。 時に、自…

不調こそ、我が実力。

雨が上がったので、走りに出る。 濡れた路面に気を付けながら、ゆっくりとしたペースで走るも、どうも身体が重い。 頭の中の感覚との違いに戸惑い、なぜだろう。 体調が悪いわけではなく、睡眠不足でもなく、怪我をしているわけでもなく。 少し走ってから、…

コミュニケーションの効用は、遅れてやってくる。

少し遅くなって帰宅すると、テーブルの上にノートと書き置きがあった。 「一つ かいたよ みてね」 ピンクのノートは、以前娘と交換日記をしていたノートだった。 久しぶりに、娘は私宛に書いてくれたようだ。 ノートに記された娘の今日の一日を読みながら、…

ストレッチ日記 ~力を抜いたときに伸びる、では、力を抜くためには。

ストレッチをはじめて、2か月が過ぎた。 人間の習慣とは面白いもので、いったん習慣化してしまうと、やらないと気持ちが悪くなる。 朝起きて顔を洗ったり、歯を磨いたりすることも、同じようなものなのだろうか。 寝る前に、20~30分ほど、深く息を吸い、深…

惚れた腫れたの魔法が解けてからが、実は本番だ。

ときに、人は好きなことをしていると、なぜか褒められ感謝される出来事に出逢う。 ただ、何の打算も、犠牲も取引もなく。 ただ、それをしているだけで、周りが喜んで笑顔になってくれる。 ときに、そんなことがある。 何度か、そういった経験が重なる。 する…

不惑を過ぎてからの、身体との対話。

少しサボっていたランニングに出ようと、軽く準備運動としてストレッチをした。 ランニングに出るときの、いつものルーチンだ。 頭の後ろで右手を曲げて、肘を左手で引いたときだった。 明らかに、感覚が違っていた。 以前に比べて、肩の可動域が広がったよ…

雀蜂、そして、痛みと怖れについて。

赤トンボが舞っていた。 遠くで、ツクツクボウシが歌っていた。 川沿いを歩く、秋の夕暮れ。 音と、色。 そして、匂い。 季節を感じるのは、そんなところだろうか。 不意に、野太い羽音が、通り過ぎた。 前方を見遣ると、丸々とした黄色と黒の腹が見えた。 …

「哲学の道」の思い出に寄せて。

京都の名勝に、「哲学の道」がある。 戦前の日本哲学界の巨人、西田幾太郎氏が思索にふけりながら歩いたことから、その名が付けられたと聞く。 桜が咲き誇る春から、新緑、初夏、紅葉、そして雪の降り積もる冬と、四季折々の姿が美しい小径である。 私が訪れ…

記憶と感情の在りか。

記憶は、頭の中のどこか片隅にある。 感情は、心の中のどこかやわらかい場所にある。 本当に、そうだろうか。 時に、風に揺れる木の葉が記憶を預かっていても、不思議ではないような気もする。 時に、萎れた花弁に感情が宿っていても、それはそうだろうとも…

非同期コミュニケーションにおける自立と依存について。

かつて横山秀夫さんが、その小説の中で「電話はかけた方が絶対的に有利だ」と書いておられた。 全くその通りだと思う。 伝えたい内容を自分のタイミングで、相手にアプローチするのだから、当然の話だ。 けれど、ほぼすべての連絡がメールやチャットといった…

意味なんてなくても、伝える。

かつて、アンリ・マティスは、教え子にデッサンの講義をする際に、こんな風に伝えたと聞いた。 「人がメロンのことを話すとき『こんなに大きなメロンがあってね!』と空中に両腕で丸い線を描いてみせる。 そこに二つの線が、同時に現れる。 それらの線が囲む…

依存、自立、そして。

人の心の成長は、「依存→自立→相互依存」というプロセスをたどる。 これは、個人の心の成長においてもそうであるし、誰かや何かとの関係性においても、同じようなプロセスをたどる。 生まれ落ちたとき、何か新しいことを始めたとき、いままでと違う環境に身…

推しは推せるときに推せ。

「まあ、こういうのはやっぱりメンテナンスに労力がかかるんもんですよ。ほら、人間関係も、良好なものを続けようとすると、何かとコストがかかるじゃないですか」 サブスクリプションの課金モデルについての箇所に差し掛かったとき、その営業の担当者は軽く…

選択と結果、偶然と必然について。

振り向かなくても 何処かで愛していたはずさ 覚めないつづきを いいだけ苦しんでいたはずさ 僕のすべて 君のすべて 今日のすべて 今のすべて CHAGE and ASKAの「HEART」の歌い出しは、どこか語りかけるようだ。 そのワンフレーズ目は、聴く者に問いかける。 …

感情はどこに溜まるのか。

感情とは、特別なものでもなく、ただ浮かび、ただ消えていくもの。 それは、生理現象のようにただ繰り返されるもの。 それが生まれることを拒むことはできず、それを感じることでしか流していくことはできない。 ところが、過去にあまりに悲しかったり、辛か…

呼吸に対するイメージについて。

自分の呼吸に対するイメージングについて。 瞑想なり、あるいはストレッチなりをしていると、自分の呼吸に意識が向く。 自分の呼吸の長さであったり、深さであったり、あるいは乱れであったり、そうしたものを感じる時間。 そこに良いも悪いもなく、ただ 「…

音、雑感。

誰にでも、五感の中で鋭敏な感覚と、そうでない感覚がある、と以前書いたような記憶があるが、私にとって聴覚はどうなのだろう。 確実に鈍いと思われるのが「嗅覚」なのは、これまでの経験からして何となく分かるのだが、それ以外はどうなのだろう。 聴覚は…

ゆっくり、ゆっくりと、走る。

最近のランニングは、殊更にゆっくり、ゆっくりと走っている。 極力スピードを出さないように、ゆっくり、ゆっくり、一歩一歩、踏みしめるように。 スピードを出さないのは、もちろん要らぬ怪我などの防止のためもある。 けれどそれ以上に、スピードを出さな…

麻雀強者は相手の手から自分の手の行く末を知る。 ~自分を深く知るための小考

誰しもが自分自身のことを知りたいと思う。 自分の価値や才能もしかり、自分の正直な気持ちもしかり。 そのためには、瞑想などの静かな時間、あるいは運動などの身体を通して、自分との対話を深めていくことができよう。 自分という内面に深く潜っていくとい…

取りこぼしている幸せは、ないだろうか。

休診、か… 土曜日だから診察しているだろうと思って、朝一番で訪れた皮膚科は、入り口に「臨時休診」の札が掲げられていた。 病院も、世間にあわせて四連休らしい。 祝日が二日続いた後の土曜日だから、事前に確認しておくべきだったか。 前日から降り続く雨…

マイ・ライフワーク、暑中見舞い。

誰にも頼まれていなくても、それが一銭にもならなくても、なぜか続けてしまうもの。 そうライフワークを定義するのならば、「暑中見舞い」というのは私のライフワークかもしれない。 いつからか年賀状は自分から出さなくなってしまったが、暑中見舞いはなぜ…

ほんの小さな、「ふと」に従うこと。

例年以上に長引く梅雨も今日は中休みのようだったが、晴れ間は見えない。 分厚い雲が、空を覆っていた。 それは、訪れては過ぎ去っていく夏を、どこか惜しんでいるようだった。 気温はそれほどでもないが、湿気は高く蒸し暑い。 そんな朝の、道の混み具合は…

花は、納期に追われることなく。

昨晩、ご依頼頂いた文章を納品した。 納期、締切、時間的制約というものはプレッシャーにはなるが、何かを生み出す魔法のようにも感じる。 「納期のない仕事は、仕事ではない」とは、若い頃によく聞いた言葉だが、まあそれはそうなのだろう。 こと仕事やビジ…

瞬間と永遠について。

あれは小学生の高学年の頃だっただろうか。 母親と二人で山を登ったことがあった。 山頂と思わしき、見晴らしのいい場所で撮った写真が残っている。 その後、不惑も近くなって母の死と向き合う中で、どの山だったのか知りたくなり、それと思わしき山をいくつ…

それを止めるのではなく、それでもいいと受け容れること。

生きていく中で、何度も繰り返される問題というものがある。 その多くは人間関係に起因するものだが、そうした時に「なぜ、毎回こうした問題が起こるのだろう」と人は考える。 そうすると、問題に共通する自分の「パターン」とでも呼ぶべきものが見えてくる…

名古屋駅、ラジオ、野球中継慕情。

都心部、月末、金曜日、夕方、雨。 渋滞する要素をすべて詰め込んだようで、遅々として車は進まなかった。 地下鉄で行くこともできたが、コロナ禍の下で車移動が慣れてしまったせいか、そのまま車で行ってしまおうと思った。 人間の習慣というのは、大きいも…

何かを失うことへの怖れについて。

昨日のエントリーで、夏の寂寥感について書いた。 kappou-oosaki.hatenablog.jp すなわち、夏が孕む寂寥感というのは、「夏至を過ぎて、太陽の力(=生命力)が失われていくことへの根源的な怖れ」なのではないか、と。 そこからもう一歩、考えを進めてみる…