大嵜 直人のブログ

別れによって傷ついたココロは、出会いで癒される。私が辿ったそんな物語を「書く」ことをライフワークにしています。

つれづれ

感情はどこに溜まるのか。

感情とは、特別なものでもなく、ただ浮かび、ただ消えていくもの。 それは、生理現象のようにただ繰り返されるもの。 それが生まれることを拒むことはできず、それを感じることでしか流していくことはできない。 ところが、過去にあまりに悲しかったり、辛か…

呼吸に対するイメージについて。

自分の呼吸に対するイメージングについて。 瞑想なり、あるいはストレッチなりをしていると、自分の呼吸に意識が向く。 自分の呼吸の長さであったり、深さであったり、あるいは乱れであったり、そうしたものを感じる時間。 そこに良いも悪いもなく、ただ 「…

音、雑感。

誰にでも、五感の中で鋭敏な感覚と、そうでない感覚がある、と以前書いたような記憶があるが、私にとって聴覚はどうなのだろう。 確実に鈍いと思われるのが「嗅覚」なのは、これまでの経験からして何となく分かるのだが、それ以外はどうなのだろう。 聴覚は…

ゆっくり、ゆっくりと、走る。

最近のランニングは、殊更にゆっくり、ゆっくりと走っている。 極力スピードを出さないように、ゆっくり、ゆっくり、一歩一歩、踏みしめるように。 スピードを出さないのは、もちろん要らぬ怪我などの防止のためもある。 けれどそれ以上に、スピードを出さな…

麻雀強者は相手の手から自分の手の行く末を知る。 ~自分を深く知るための小考

誰しもが自分自身のことを知りたいと思う。 自分の価値や才能もしかり、自分の正直な気持ちもしかり。 そのためには、瞑想などの静かな時間、あるいは運動などの身体を通して、自分との対話を深めていくことができよう。 自分という内面に深く潜っていくとい…

取りこぼしている幸せは、ないだろうか。

休診、か… 土曜日だから診察しているだろうと思って、朝一番で訪れた皮膚科は、入り口に「臨時休診」の札が掲げられていた。 病院も、世間にあわせて四連休らしい。 祝日が二日続いた後の土曜日だから、事前に確認しておくべきだったか。 前日から降り続く雨…

マイ・ライフワーク、暑中見舞い。

誰にも頼まれていなくても、それが一銭にもならなくても、なぜか続けてしまうもの。 そうライフワークを定義するのならば、「暑中見舞い」というのは私のライフワークかもしれない。 いつからか年賀状は自分から出さなくなってしまったが、暑中見舞いはなぜ…

ほんの小さな、「ふと」に従うこと。

例年以上に長引く梅雨も今日は中休みのようだったが、晴れ間は見えない。 分厚い雲が、空を覆っていた。 それは、訪れては過ぎ去っていく夏を、どこか惜しんでいるようだった。 気温はそれほどでもないが、湿気は高く蒸し暑い。 そんな朝の、道の混み具合は…

花は、納期に追われることなく。

昨晩、ご依頼頂いた文章を納品した。 納期、締切、時間的制約というものはプレッシャーにはなるが、何かを生み出す魔法のようにも感じる。 「納期のない仕事は、仕事ではない」とは、若い頃によく聞いた言葉だが、まあそれはそうなのだろう。 こと仕事やビジ…

瞬間と永遠について。

あれは小学生の高学年の頃だっただろうか。 母親と二人で山を登ったことがあった。 山頂と思わしき、見晴らしのいい場所で撮った写真が残っている。 その後、不惑も近くなって母の死と向き合う中で、どの山だったのか知りたくなり、それと思わしき山をいくつ…

それを止めるのではなく、それでもいいと受け容れること。

生きていく中で、何度も繰り返される問題というものがある。 その多くは人間関係に起因するものだが、そうした時に「なぜ、毎回こうした問題が起こるのだろう」と人は考える。 そうすると、問題に共通する自分の「パターン」とでも呼ぶべきものが見えてくる…

名古屋駅、ラジオ、野球中継慕情。

都心部、月末、金曜日、夕方、雨。 渋滞する要素をすべて詰め込んだようで、遅々として車は進まなかった。 地下鉄で行くこともできたが、コロナ禍の下で車移動が慣れてしまったせいか、そのまま車で行ってしまおうと思った。 人間の習慣というのは、大きいも…

何かを失うことへの怖れについて。

昨日のエントリーで、夏の寂寥感について書いた。 kappou-oosaki.hatenablog.jp すなわち、夏が孕む寂寥感というのは、「夏至を過ぎて、太陽の力(=生命力)が失われていくことへの根源的な怖れ」なのではないか、と。 そこからもう一歩、考えを進めてみる…

夕暮れを走る、夏至のころ。

ランニングを、ゆるく続けている。 走ること自体は好きなのだが、そこに至るまでの着替えや準備が億劫だということが、ようやく最近分かってきた。 なので、夏は着替えも楽で、私にとっては走ることを続けやすいのかもしれない。 走ること自体は、もやもやし…

脱稿の魔力。

依頼されていた文章を、昨日の夜に納品させて頂いた。 ここに書くのは、自分の好きなように書いているので、もうほとんど感じないのだが、やはり「依頼されて」書く文章を納品する際は、緊張する。 それはきっと、 相手によく思われたい、といういい子ちゃん…

紫陽花と天道虫。

梅雨の合間の空の下。 紫陽花の上を天道虫が歩く。 とことことこ。 とことことこ。 六本の足をしきりにもぞもぞと動かし、頭を振ってあっちへ、そしてこっちへと。 何かを探しているようにも、喜びに満ちた舞いを披露しているようにも見える。 一輪の紫陽花…

自分がエネルギーを向けたい先を、見つめ直す。

自分のエネルギーを、誰に向けたいか。 自分を否定していたり、自分の価値や魅力を認められないときほど、そのベクトルは自分と無関係な誰かや、あるいは自分に対して否定的な誰かに向いてしまう。 それは、国技館へ大相撲を観に来た客に、どうにかしてボイ…

スローランニング情景。

ゆっくりと、走る。 淡々と、粛々と。 自分が思っているよりも、うんと、ゆっくりと。 景色が流れるままに任せる。 陽が沈んでいく。 世界が黄金色に輝き、やがて色を失っていく。 ゆっくりと、走る。 = 瞑想とランニングは似ている。 それは、ただ流れてい…

自分を愛するとは、ショーケースに並んだ美しいケーキではなく、生地をこねて生クリームを絞る過程である。

自分を愛する、ということは、状態ではなくプロセスである。 それは正誤善悪の判断をつけるのではなく、すべてを受け入れ続ける、ということでもある。 例えるなら、前者は出来上がった美しいケーキをぴかぴかに磨かれたショーケースに並べること。 そして、…

水無月の紫陽花と、苦情についての追憶。

湿気が上がり、半袖のシャツすらも脱ぎたくなってくる6月。 ときに思い出す、顧客のことがある。 その顧客のもとを訪れた際も、紫陽花が色づき始めた頃だったように思う。 = クレーム、あるいは苦情に対して、「申し訳ございません」とお詫びに上がる仕事…

感情は選べないが、思考は選ぶことができる。けれども。

感情を海に例えるならば、思考はその海岸に建つ砂の城なのだろう。 前者は揺蕩うに任せるのみだが、後者は自ら選ぶことができる。 = 感情は日々、瞬間瞬間に湧き上がり、そして消えていく。 どんな感情もコントロールすることはできず、ただ過ぎ去るのを待…

仕事の質と、その人の人格はリンクするという思い込み。

ある仕事の質は、その人の人格に比例するという観念を、私は持っていることに最近気づいた。 それは、仕事でも当てはまるし、言葉、作品…その人からアウトプットされるもの全般に対して、そう思っている。 「いい作品は、いい人がつくる」、と。 行き着く先…

「私は無力である」ということの二義性について。

強い光が影を色濃くするように、ものごとには表と裏がある。 それは単純な二面性ではなく、「メビウスの輪」のような形を取る。 気付けば、もといた場所に戻ってくる。 = たとえば、「私は無力である」という想いがある。 ときに、そんな想いに駆られること…

新型コロナウィルスがもたらした行動様式と、罪悪感との相似について。

新型コロナウィルスが現れた後の世界では、罪悪感を癒し続けることが非常に大切なことように思う。 それはとりもなおさず、自分の中の愛を見つめ続けるということでもある。 = 新型コロナウィルスの感染拡大防止のため、いままで当たり前にできたことができ…

離れて見守る、という愛の表現の仕方。

人は、自分がかつて愛してもらったように、他人を愛そうとする。 そして他人に対して、同じような愛し方をするように要求する。 多くの場合、それは幼少期における親からの愛情表現に影響を受ける。 ところが、愛情の表現の仕方というのは、誰しもが同じでは…

本気になる、全力を尽くすことへの怖れ。

本気になれない症候群、というものがある。 本気になれば、自分の力はこんなものじゃない。 あるいは、本気になるのが怖い。 だから、本気にならない、全力を出さない。 耳の痛い話ではあるが、誰にでも思い当たるフシがあるのかもしれない。 本気になること…

愛と信頼について。

時に、万物清らかな清明。 日中は、春というよりも初夏を感じる汗ばむ陽気になってきた。 花が咲き、空は青さを増して澄み渡り、風に新緑の香りを感じる。 春が深まるにつれて空気は潤い、冬の間はなかなか見られなかった虹が出やすくなる時期。 七十二侯で…

痛みは幸福の閾値を下げる、されどその逆は真ならず。

痛みは幸福の閾値を下げる。 これは誰にでも経験があることだと思うのだが、ある種の「痛み」は「幸せ」を感じるハードルを下げるのだ。 たとえば、幼少期にひどい喘息を患った友人の一人は、「呼吸ができるだけで、幸せだと感じる」と言っていた。 あまりに…

絵葉書は、旅をするように。

kappou-oosaki.hatenablog.jp 昨日のエントリーの通り、手紙を書いている。 親しい人、たいせつな人、たいせつなお店、つながりのある方たちの笑顔を、思い浮かべながら。 丁寧に文字を書く、ということは、心を落ち着かせる効果もあるようだ。 与えることは…

こんなときこそ、手紙を。

ある制限が加えられると、いままでの自由が恋しくなると同時に、その制限を楽しむことが同時に起こる。 「手を使わない」という「制限」を楽しむ競技だった、フットボール。 そこに再度「手を使う」という自由を加えた、ラグビーのように。 19世紀前半、フ…