まだ本格的な夏も訪れていないのに夏至か、という思いは、半年後の冬至の際には懐かしく思い出されるのかもしれない。ただ、流れていくことを受け入れるだけだ。それは、今日という日の空の色を、味わい尽くすことと似ているのかもしれない。
とことことこ。梅雨の合間の空の下。紫陽花の上を天道虫が歩く。ただ一つの紫陽花の上を、唯一無二の天道虫が歩く。背中の七つの星が、陽の光に照らされて輝く。
たとえば、伝えたいことがあったとして。どうしても表現したい、何がしかの世界の襞があったとして。それを誰に向けるのか。
桜の花弁は、愛にも似ていた。それを摘んでしまえば、眺めていたものではなくなる。それを自分のものにしてしまえば、とたんに色褪せる。
マスク生活が当たり前になると、どうしても嗅覚がおかしくなる。五感の中で特別な感覚である嗅覚が塞がれるというのは、あまりよろしくないのだろう。ときには、マスクを外して思い切り深呼吸を。ときには、季節の香りを胸いっぱいに詰め込んで。
エリー。不意に口ずさんでいたのは、あの頃の私だった。フロントガラスの向こうでは、梅雨時期らしくない入道雲が見えた。
一雨ごとに、ほのかに暖色を増していくようで。梅の実を眺めるのは、この時期の貴重な楽しみである。その雨は、梅の実を色づける。