淡い水色、飴色の葉、燃えるような葉脈。ときに秋は群青色と飴色に似て。今日も世界は美しい。
時の流れに耐えうるというのは、名作のみが持ちうる資質なのだろう。私が好きなエピソードに寄せて、いかに手塚治虫先生が人間という存在を深く、普遍的な視点で見ていたのかということについて綴ってみたい。
書くために、諸々のことを整える。なにごとも、始めてみないと分からないものだ。
変わらないものなど何もないけれど、ただ、その瞬間瞬間にこそ愛は宿るのかもしれない。愛とは、いま、ここ、あるがまま。
ほんとうに、私は今回もこの画面を黒くできるのだろうか。たまらなく、怖い。たまらなく、怖い。それにしても、今回の怖さは別格だ。
空を見上げるとき、人はひとりになれる。ひとり見上げる空は、どんな空も美しい。「ひとり」とは、孤立ではなく、孤独だ。孤立とは物理的であり、孤独はつながりを育む。
世に人は無数にいれども、私が「名前」を呼ぶとき、その対象はただ一人でしかない。名前を呼ぶことで、私は世界のどろどろとした混沌のスープの中に浮かぶその対象に、手を差しのべ、意味を与え、引き揚げる。それは、愛された記憶を呼び覚ます。