大嵜 直人のブログ

別れによって傷ついたココロは、出会いで癒される。私が辿ったそんな物語を「書く」ことをライフワークにしています。

ツルさんと休まず仕事をした2カ月半。

春先のぼんやりとしたこの暖かさが、今日は鬱陶しかった。

 

秋のような空気の透明感はなく、それでいて初夏のような日差しに蒸された車内は、汗ばむくらいの気温になっていた。

 

行き道からずっと痛かった右の後頭部あたりが、また一段と熱を持ったように痛んだ。

 

雨が降る前になると、この手の頭痛がすることが私にはよくあるのだが、今日は気圧が下がっている感じもしない。

 

ぼんやりとしていて、それでいて頭の痛くなるこの感じは、4月の春先あたりによく感じるように思う。

 

やはり、春先というのは、生き物にとって心身ともに不安的な時期なのだろうと思う。

 

今日も今日とて、難しい交渉になった。

 

さて、どうしたものかと痛む頭を抱えてみるが、妙案が思い浮かぶわけでもない。

 

手持ちのカードに制限のあるゼロサムゲームに、関係者すべてが納得する答えを見いだすのは、難しい。

 

どうやっても納得しない者が出るのなら、あとは「落としどころ」だけなのだろう。

 

私は考えるのを止めた。

 

ハンドルを握る手に日差しが当たり、手の甲がじりじりと灼けた。

 

春というよりも、もう初夏だな、と思う。

 

ナビに案内された通りに従っていると、見覚えのある道に出た。

 

幹線道路が高架で合流する、特徴的な風景。

 

不意に、ツルさんの顔が思い浮かんだ。

 

ツルさん、元気にしているだろうか。

 

 

15年ほど前、私はある港の近くの物流センターにいた。

 

お中元の伝票発行と包装業務をその物流センターに集約しており、その管理業務の担当者として。

 

折しも大掛かりな新しいシステムが導入されてから初めての繁忙期で、誰もが手探りの中での業務だった。

 

伝票発行と管理、商品発注、包装業務の手配、社内外からの問い合わせ対応、アルバイトの方の勤怠管理。

 

いま振り返れば、そんな業務の名前が付くのだろうが、社会人としての経験も薄い中で、私は完全に一人で抱え込んでワーカホリックになった。

 

毎朝、バスに揺られてその陸の孤島のような物流センターに通う。

 

その通り道が、あの特徴的な幹線道路が交差する高架だった。

 

そのバスに乗っている時間だけが、電話も問い合わせもない、気の抜ける時間だったように覚えている。

 

毎日の発注の締め切り時間に追われていると、いつも食堂の開いている時間を逃した。

 

最終のバスを逃すと、悲惨だった。

 

陸の孤島から地下鉄の駅まで、延々と歩かなくてはならなかったからだ。

 

結局、5月の終わりの中元の準備から、お盆前の受注終了まで、2カ月半ほど休めなかった。

 

休めなかったのか、休まなかったのかと言えば、やはり「休まなかった」のだろう。

 

一緒に派遣されたもう一人の担当者は、手際よくアルバイトの方と仕事を分担して、「いつでも仕事変わるし引き継ぐから、休めよ」と言ってくれた。

 

けれども、私は休まなかった。

 

休まないことで、自分の価値を証明するために。

 

その証明したかったものとは、

「自分の仕事は、無給でもサービス残業でもいいです。それくらいの価値しかありません」

という誤った自己意識だったのかもしれない。

 

働き方改革云々の前に、結局そのマインドに陥ると、人はどれだけでも進んで奴隷になる。

 

 

当時、包装業務を委託していた先に、某大手運送会社があった。

 

なんでも物流センターの長と、相手方の倉庫部門の所長が、社会人野球でつながっていたらしく、その縁で仕事をお願いしていたと聞いた。

 

その所長の名字から、私は彼を「ツルさん」と呼んでいた。

 

当時で50代後半くらいだったように思う。

 

元野球選手らしく堂々とした体躯に、日焼けした浅黒い肌。

 

ワイシャツを着ても、その胸板の厚さは隠しきれないようだった。

 

そんな風貌とはうらはらに、腰の低い人だった。 

 

優しい、眼をしていた。

 

毎日夕方になると、伝票と包装する商品を引き取りに、アタッシュケースを片手に、

 

「どうもーこんちはー」

 

という低い声の挨拶とともに、物流センターを訪れてきた。

 

さすがに夕方にもなると電池の切れてきていた私を相手に、世間話とも仕事の話ともつかないような与太話をして、伝票を大事そうにアタッシュケースに仕舞って自社の倉庫に持ち帰っていった。

 

二十代前半のいっぱいいっぱいになっている若造にも、礼儀礼節を失わない人だった。

 

社内営業に疲れた私にとって、ツルさんは数少ない味方のように感じていたように思う。

 

 

ツルさんもまた、休まなかった。

 

覚えているだけで、私がいる日にツルさんが伝票を取りに来なかった日は、なかった。

 

「ツルさん、ちゃんと休んでくださいよ」

 

「いや、私はいいんですよ。それより大嵜さんも休まないとダメですよ。まだまだ先は長いですから」

 

そんな会話を、いつもしていた。

 

考えてみれば2ヶ月半以上も1日たりとも休んでいなかったのに、ツルさんには不思議と「悲壮感」や「やらされている感」がなかった。

 

その立派な風貌が、そう見えさせていたのかもしれない。

 

ブラック企業」や「労働生産性」といったワードが叫ばれ、機械やAIが人間の仕事を代替しだした現在から見ると、茶番のような仕事だったのかもしれない。

 

それでも、毎日プリンターから吐き出される伝票と発注書がうず高く積まれた山の中を、私は必死でもがいていた。

 

時折、ツルさんという船がやってきては、去っていった。

 

 

一度、ツルさんが勤める倉庫を訪れた。

 

トラブルか何かがあってだったように記憶しているが、たまには外に出たかったのかもしれない。

 

当時、完全なるペーパードライバーだった私は、陸の孤島から地下鉄とバスを乗り継いで、暑い夏の最中にその倉庫を訪問した。

 

ツルさんとともに出迎えてくれた女性の方もまた、優しい眼をしていた。

 

ツルさんが苦手だという細かい事務作業を、こなしているそうだった。

 

その話しぶりに、ツルさんの仕事の上での右腕なのだろうと思った。

 

陣中見舞いに、と持っていった菓子折りに、恐縮されていた。

 

「毎日、このお菓子のセットを包装してるんです」

 

そう言えば、何も考えずに買っていったその菓子折りは、いつも大量の包装をお願いしている商品だった。

 

「あぁ、さすがに別のお菓子にすればよかったですかね」

 

「いえ、みんなでどんなお菓子なのかな、って話してたところだったんで、嬉しいです」

 

そんなもんか、と思いながら、これでよかったんだ、と思い直した。

 

自社の倉庫で見るツルさんは、いつもにまして大きく見えた。

 

何で来たんですか?という問いに、地下鉄とバスと歩きで、と答えると、このクソ暑いのに、と笑っていた。

 

結局、ツルさんは自分の車で私を物流センターまで送ってくれた。

 

それは申し訳ない、と何度も断ったが、半ば無理矢理乗せられて、手間をかけさせてしまったと車中で小さくなっていた。

 

ツルさんは、「すいません、煙草吸いますね」と言って、紫煙をくゆらせていた。

 

半袖のシャツから、日に灼けた逞しい腕が覗いていた。

 

その後、ツルさんとはその年の歳暮も仕事をしたが、翌年は私が物流センターの担当から外れた。

 

翌年からはツルさんの勤めていた運送会社も、その包装業務の委託を受けなくなった、と後から聞いた。

 

 

なぜ、あんなにも休まなかったのだろう、と思う。

 

自分に価値を認められないと、自分を犠牲にしてその価値を証明しようとする。

 

ワーカホリックは、その典型なのだろう。

 

当時、両親を突然亡くした衝撃と、誰もいない土地で一人暮らしをする寂しさを抱えていた私が、そのアンダーグラウンドに嵌っていたのは確かなのだろう。

 

こんな自分には、無給・無休で働くような環境がふさわしい。

 

けれど、これだけ犠牲をして働いているのだから、誰か私の価値を認めて欲しい。

 

そんな私のセルフイメージの通りに、休まなかったのだろう。

 

 

その幹線道路を通り過ぎて行った。

 

西日のつくる建物の影に入る度、日が長くなったなと思う。

 

ツルさんに会いたいな、と思った。

 

ありがたいことに、私には仕事の関係が終わっても、その後も何がしかのお付き合いを続けて頂ける方もいらっしゃるのだが、ツルさんとは不思議とその後お会いすることはなかった。

 

私の携帯の発信履歴を埋め尽くしていたツルさんの番号も、私がよく携帯を水没させたり紛失したりする間に、失くしてしまった。

 

あれから15年ほど経ったが、いまツルさんは何をしているのだろう、と思った。

 

あんなにも休まなかったのは、私がワーカホリックで犠牲もしていたのかもしれない。

 

けれど、毎日やって来るツルさんが、好きだったんだろうな、とも思う。

 

「どうもーこんちはー」

 

というツルさんの声を聴きに、毎日毎日、通っていたのだろうと思った。

 

もし私がそうだとするなら、ツルさんもまたそうだったのだろうか。

 

そうであったら、いいな、と思った。

 

いまさら確認しようにも、しようがない与太話ではあるのだが。

 

車窓からは、西日のつくる影の中で、沿道のツツジが咲いているのが見えた。

 

頭痛は、まだ引かなかった。 

 

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小さな自分とキャッチボールをして寂しさが癒された春の日。

朝から少し雲が出ていたが、雲の合間からは日差しが覗いている。

 

手帳を見ていると、万物清らかな「清明」から、穀物に実りの雨をもたらす「穀雨」に節気は移っていることに気づく。

 

少し前まで冬物のコートを着込むほどに冷え込んでいたのに、季節が変わるのはあっという間だ。

 

陽気に誘われて、近所の公園へ息子と遊びに行く。

 

一度公園に着いたのだが、「やきゅうがしたい」と仰せつかったため、もう一度家と公園を往復する。

 

 

なだらかな斜面になっている広場で、数メートルの間をはさんでキャッチボールを始めた。

 

私は下から、息子はピッチャーの真似をして上から投げる。

 

「胸をめがけて投げるんだぞ」

 

「ずっとボールを見ていたら、捕れるから」

 

周りには、フラフープやバトミントン、犬の散歩を楽しむ人たちの声が聞こえる。

 

「惜しいぞ」

 

「ナイスボール」

 

時折吹く風の音が、耳を優しく叩く。

 

「あぁ、低かったか、ごめん」

 

「いいボールだ」

 

グローブにボールが収まる音が、心地よかった。

 

いつしか会話は消えて、私は童心に還っていた。

 

 

息子と同じ小学校の頃、私はずっと一人で壁当てをしていた。kappou-oosaki.hatenablog.jp

 

故・星野仙一監督率いる中日ドラゴンズが優勝したのが昭和63年らしいから、私が小学2年生の年ということになる。

 

150キロの剛速球・小松辰雄さん

時代を担うショートストップ立浪和義さん

切り込み隊長・彦野利勝さん

三冠王落合博満さん

恐怖の5番・宇野勝さん

仁村徹さん、薫さんの仁村兄弟

代打の切り札、音重鎮さん

躍る守護神・郭源治さん・・・

 

夢中になって、憧れれの選手たちの活躍を見ていた。

 

なぜ、あんなにも夢中になったのだろう。

 

何度か父親に連れて行ってもらったナゴヤ球場のライトスタンドは、楽しかった。

 

父親が仕事のツテで、内野のいい席のチケットをもらってきても、

「メガホン叩いて応援歌が歌える外野がいい!」

と言って、父を困惑させていた。

  

勝った試合の後は、先発で出た選手の応援歌を一通り演奏していたのだが、その時間がたまらなく好きだった。

 

もちろん、序盤で大量失点をしてしまい、ワンサイドゲームになってしまうようなこともあった。

 

そういう時は、つまらなそうに5回くらいで帰ろうとする父を、必死に試合終了まで引き留めた。

 

球場へは、車で行ったこともあったし、父の愛した赤い電車で行ったこともあった。

 

帰りはたいてい、疲れて起きていられず眠ってしまうのだが、その眠りは、なぜかいつも心地よかった。

 

愛されていたのだろう、といまになって思う。

 

 

もっと、父とキャッチボールをしたかったのかもしれない。

 

父は、休日も仕事にでかけることも度々あった。

 

友だちも少なく、一人で壁当てをするのが日課になっていたが、それは寂しさの裏返しだったのだろうか。

 

「一緒にキャッチボールしたいな」

 

小さな私は、そう言いたかったのかもしれない。

 

疲れた父に遠慮していたのだろうか。

 

それとも、姉だったり母だったり、他の家族との関係からなのだろうか。

 

なぜそれが言えなかったのは、よく分からない。

 

けれど、いま言えるのは、もっとキャッチボールをしたかったのかもしれない、ということだ。

 

 

ボールがグローブに収まる音だけが響く。

 

時折、息子も私もボールを後ろに逸らし、その度に走ってボールを追いかける。

 

汗が滲んでくる。

 

二人で、ずっと白いボールを眺めている。

 

時を、忘れる。

 

いったい、私は誰とキャッチボールをしているのだろうと不思議な感じがした。

 

あぁ、そうか。

 

寂しかった小さな私と、なのかもしれないな。

 

ボールを投げるとき、ボールを受け取ることが同時に起こる。

 

話すとは、聞くこと。

与えることは、受け取ること。

教えることは、学ぶこと。

伝えることは、伝えられること。

アウトプットは、インプット。

愛することは、愛させてもらうこと。

癒すことは、癒されること。

 

全ては、同じ円の中の話しなんだ。

 

小さな息子にボールを投げる。

小さな私がボールを受け取る。

 

小さな私がボールを投げる。

大人の私がボールを受け取る。

 

寂しかったら、また遊ぼうって、言おうな。

 

また、いつでもやろうぜ、キャッチボール。

 

息子の望みを叶えたと思っていたら、

望みを叶えられていたのは私の方だった。

 

花粉の季節もピークは過ぎたのに、どうも涙腺が緩くなる、そんな春の日だった。

 

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葉桜が好きだ。

葉桜が、好きだ。

 

満開の桜もいいけれど、葉桜が好きだ。

 

今年は4月に入っても寒さが戻ってきたことで、桜が咲いている期間は長かったように感じた。

 

けれど、散り始めたピンクの桜と新緑の緑が一緒の画面で見られる時間が、少なかったように思う。

 

やはり散り始めると、あの無数のピンクの花びらは潔く一瞬で散っていくようだ。

 

それでも、今日は近所の公園で春の忘れものを見つけた。

 

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葉桜。

 

長い冬を越えて淡いピンクの色を世界に与える季節と、

 

生命力を最も感じる緑と風の季節。

 

始まりと、終わりが集う場所。

 

それがずっと私の心をとらえて離さないのは、なぜだろう。

 

最中や渦中よりも、その境界線。

 

何かが起こる前と、起こった後。

 

その境目にこそ、神は宿る。

 

夜、眠りにつく瞬間。

太陽が、地平線にその姿を隠す瞬間。

何かに向かって、歩き出す瞬間。

美味しいランチが、始まる瞬間。

朝、目覚める瞬間。

行く、と決める瞬間。

瞑想を終えて、目を開ける瞬間。

土に還る、その瞬間。

 

その刹那の、どちらでもない瞬間。

 

それこそが、いま、ここ、なのかもしれない。

 

その瞬間を、愛でようと思う。

 

葉桜が、好きだ。

 

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アタシ、また今日も遅刻ギリギリだったんですよ、もう毎日で疲れちゃいますよ。と彼女は言った。

「アタシ、また今日も遅刻ギリギリだったんんですよ、もう毎日で疲れちゃいますよ」

 

「だからそんなに寝癖がついてるのか」

 

「ついてないです!…でも、ほんとに今日は起きた瞬間、ダメかと思いましたよ。何でアラームが止まってるんでしょうね」

 

「そりゃ、自分で止めたんだろうよ」

 

「止めた記憶全くないんですよーでも昨日の夜に何かいじった記憶もないし。何なんでしょうね、これ。ほんとに」

 

「うん?意識的にせよ、無意識的にせよ、そのギリギリを感じたいんじゃない?」

 

「いやいやいや、そんなことないです。普通に間に合うように来たいんですよ」

 

「いや、やっぱりさ、ピーチ姫はさらわれないといけないしさ。そうしないとゲームが始まらないっていうか」

 

「は?ピーチ姫って何ですか?それ?」

 

「あぁ、ごめんごめん、ええと、そうだな、その机の上にあるお菓子の缶があるじゃん?好きやん?」

 

「はぁ、このディズニーのチョコクランチの缶ですか?この前の週末にまた行ってきましたけど、それが何か?」

 

「いや、どのアトラクションもさ、水がかかったり、ジェットコースターの速さにドキドキしたり、お化け屋敷で怖い思いしたり、みんな自ら進んでするわけでしょ?そんで、アトラクションが終わって、『あー、無事に帰ってきた』ってホッとするわけじゃん?その感情の振れ幅が、生きてるって感じなんだと思うよ」

 

「いや、アタシはパレードとイッツアスモールワールドが好きなんですけど…」

 

「あ、そう…それなら長島スパーランドのホワイトドラゴンでもいいや」

 

「はぁ…」

 

「ま、まぁ、『あぁ、間に合った』っていう感情を味わいたいから、自らギリギリになるように無意識的にいろいろ仕掛けてるって考えると、なんか面白くない?」

 

「えー?そんなのイヤですよ、だってもし遅刻しちゃったら、怒られるじゃないですかぁ」

 

「遅刻したらしたで、『遅刻したときの感情を感じたかった』とも思えるよね」

 

「えー、それはもっとイヤです…」

 

「遅刻しても、怒られても、恥ずかしくても、それでも結局大丈夫だった、ってことを再確認したいのかもね」

 

「でも、遅刻が続いたら全然大丈夫じゃない…」

 

「そうかな?」

 

「そうです!」

 

「じゃあ、ほんとに遅刻しちゃうときは、その思い込みを外したいときなのかもしれないね」

 

「えー、そうなんですかねー?」

 

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。目に見えないし、誰にも証明できないことだもの、ほんとのところは分からないよね」

 

「まあ、そうですね」

 

「でも自分が選んでいる、と考えると、なかなか遅刻も味わい深いよね」

 

「いや、全然味わい深くないです!やっぱり遅刻はイヤです!」

 

「まあ、そうだよね」

 

「今日は確実にアラームを設定して寝ます!」

 

「せやね。でも明日は日曜日やね」

 

「あ、やっぱり設定しないで寝ます」

 

「うん、それが一番気持ちいいのかもね」

 

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その花を咲かせるもの、あの空の色を変えるもの、季節をめぐらすもの。

今年は4月に入っても寒の戻りがあったおかげか、桜が長く楽しめましたね

 

という会話をつい先日までしていたような気がするのだが、気づけば季節は新緑に向かっていく。

 

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行く道で咲き誇る花の色鮮やかさに目を見張ったり、

 

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冬の間は見られなかった植物が顔を出していたり、

 

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空の色と緑のいろが、皐月のそれに変わっていてはっとしたり、

 

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木々の枝の間からは、植物の新芽が出てきていたり、

 

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その時を待つ蕾が、いつの間にか準備されていたりする。

 

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季節のめぐりというのは、いつも完璧な姿を私たちに教えてくれる。

 

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今朝、今年初めて咲いたツツジを見かけた。

 

1年ぶりの再会に、顔がほころぶ。

 

日々、世界は奇跡を見せてくれる。 

 

その花を咲かせるもの、

 

あの陽を昇らせるもの、

 

その風を吹かせるもの、

 

あの空の色を変えるもの、

 

その月の表情を変えるもの、

 

季節を、めぐらせるもの。

 

それらがあるということは、神さまなのか仏さまなのか分からないが、偉大なものからの愛が惜しみなくこの地上に届いているとは言えないだろうか。

 

今日も、世界は美しい。

 

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傷を癒すものとは、何なのか。

kappou-oosaki.hatenablog.jp

 

昨日のこちらのエントリーに、「傷を癒すものとは、なんなのか」という質問をいただいたので、今日はそれについて書いてみようと思う。

 

結論を先に書くなら、やはり「感情を感じること」に尽きるのだと感じる。

 

 

昨日のエントリーで、「愛する」という難しさが「過去に受けた傷」からきていると書いた。

 

「愛する」ということは、愛されなかった、尊重されなかった、必要とされなかった、ないがしろにされた・・・という過去の傷に触れるから、無意識的にブレーキを踏んでしまう。

 

パートナーとの関係であれば、過去のパートナーから愛されなかったという傷の痛み。 

親子関係であれば、自分の母親・父親から大切にされなかった、必要としていた愛を与えられなかったという傷の痛み。

 

愛するということは、時にその傷に触れることになる。

 

これは相手との関係性が近くなるにしたがって、深くコアな傷が疼くのだ。

 

ある程度距離のある同僚や友人には、素直に自分の気持ちや想いを伝えられても、祖父母やきょうだい、父親、母親、パートナーや子どもと関係性が近くなるほどに、素直に伝えられないばかりか、相手からの愛も素直に受け取れなくなる。

 

私自身の話をするならば、両親との突然の別離を立て続けに経験して、「親しい人は、突然私のもとからいなくなる」という傷を負った。

 

それによって、心理的にある程度距離のある同僚や友人との関係は問題なく付き合えるのだが、そこから距離が近づくにしたがって、心の壁をつくってしまうのだ。

 

そうした傷が生み出す心の作用に気づくのに15,6年もかかったわけだが、それだけ深く傷ついていたとも言える。

 

 

自分の抱えている傷を自覚したときから、癒しは始まる。

 

得難い人との縁があったりもしてきた中で、何をしてきたのかなぁ、といま振り返ってみると、それは「感情を感じる」ということに尽きるように思う。

 

多くの場合、心の傷に蓋をしていると、何らかの感情を「切る」ことになる。

 

あまりにショックなことや、自分にとって悲しいこと、悔しいことがあると、人の心は感情を感じる許容量を超えないように、ブレーカーを飛ばすように感情を切る。

 

私の場合で言えば、「突然両親がいなくなって悲しい、寂しい」という感情がオーバーフローしないように、その感情を切るわけだ。

 

ただ、これは人の心の非常に興味深い部分なのだが、「悲しい」「寂しい」といったネガティブな感情だけを切ることはできないようなのだ。

 

ネガティブな感情を切ると、同時にその対になる「嬉しい」「楽しい」といったポジティブな感情も徐々に感じられなくなってくる。

 

そうしていくうちに、時間を重ねるごとに外の世界に対して無感動、無関心になっていく。

 

何を見ても心が動くことはなく、徐々に徐々に心は死んでいく。

 

目の前に広がるのはモノトーンの世界で、淡々と一日を黒く塗りつぶすだけの毎日がどこまでも続くようになる。

 

 

そのどこまでも続く無機質な偽りの道を壊すには、封じ込めてしまった感情を感じることが鍵になる。

 

心の世界では「時間」という概念がないらしく、そのとき感じられなかった感情は、時間が経ったとしても、感じ尽くすことができる。

 

逆に言えば、未消化の感情は感じ尽さない限り、いつまでも心の奥底でくすぶり続け、やがて腐臭を放つようになり、先に述べたような「心の傷」として対人関係に大きな影響を及ぼすようになる、ということでもある。

 

過去に傷ついて痛かった思い。

ひとりぼっちになって寂しかった思い。

誰かに裏切られて呆然とした思い。

愛されなかったという悲しい思い。

 

そうした感情を感じ尽くすことができると、それは昇華していき、ポジティブな感情も感じられるようになる。

 

ひどく傷ついて痛かったけど、いまこの瞬間は大丈夫なんだ。

ひとりぼっちになったと思っていたけど、そっと見守ってくれていた人がいた。

裏切られたと思ったけど、その人もまた傷ついていたんだ。

愛されなかったと思い込んでいたけど、実は彼なりに深く愛してくれていたのかもしれない・・・そんなふうに。

 

これが、「傷を癒す」ということなのだと思うのだ。

 

 

さて、ではその「過去の封じ込めてしまった感情を感じる」ためには、どうしたらいいのだろうか?

 

それは、逆説的なのだが「いま」の感情に答えがある。

 

「過去」に消化し切れなかったけれど、「いま」消化できるようになった感情は、灰汁のように出てくるのだ。

 

だから、子どもに対してうまく愛情を伝えられないときの胸の痛み、パートナーに理解されないと感じるときのどうしようもない寂しさ、こうした感情を無視することなく、ゆっくりと、丁寧にすくってみるのだ。

 

それは、過去の何らかの痛みや傷とつながっている。

 

効果的なのは、ノートにいまの感情を書き出すこと。

 

ノートに書くと、感情が表に出てきやすい。

 

いまも私はそれをして、感情を感じてみることをよくやる。

 

もちろん、渦中はしんどい。

 

けれど、それには必ず終わりがやってきて、「ほっ」と何かが抜けるときがくる。

 

心が、軽くなる。

 

世界に、色が戻ってくる。

 

それが、「傷を癒す」ということなのではないかと、いま私は思う。

 

 

「傷を癒す」とは、「感情を感じる」こと。

 

質問にお答えする中で、私の中でも整理ができたように思います。

 

また、他にご質問などございましたら、コメント欄か下記連絡先までお願いいたします。 

  

ご質問いただき、ありがとうございました。

 

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「愛する」という、刃。

「愛する」ということは、時に残酷だ。

 

誰かに愛を伝えることは、ときに自分の心の傷をえぐられる。

 

もっとも深い愛が、もっとも深く心の奥底に沈めた傷をえぐる刃になる。

 

その傷を癒すのも、また愛なのだが。

 

 

関係が近くなるほどに、他人は自分を寸分違わず写し出すプロジェクターになる

 

見知らぬ他人から始まり、

知り合い、

同僚や友人、

親類、

兄弟姉妹・おじいちゃんおばあちゃん、

父親、

母親。

 

そして最も近しい関係である子どもやパートナーまで来ると、最も素晴らしく偉大な自分と、最も醜悪で暗愚な自分の落差に愕然とする。

 

多くの恋愛関係は、お互いに理想の自分のイメージを相手に投影して始まる。

 

ところが関係性が近く親密になるにつれて、相手が自分の投影したイメージ通りではないことに気づく。

 

「出逢ったときはこんな女とは思わなかったのに」

「出逢ったころはもっとステキな男だったのに」

 

お互いがお互いに肯定的なイメージを投影していた関係は、時間の積み重ねとともに容易に正反対のイメージを投影するようになる。

 

お互いがお互いを好いた・惚れた理由とまったく同じ理由で、お互いがお互いを忌み嫌うようになる。

 

そうして相手との関係が悪くなり、お決まりの関係性のデッドゾーンに足を踏み入れ、どうしようもなくなって、仕方なく自らの内面に目を向けだすと、パートナーの不満や愚痴は単に自己紹介なのだと気づくようになる。

 

生理的な嫌悪感を覚える、

梅雨時期のハエのように鬱陶しい、

絶対に間違っている、

どうしようもなく腹立たしい、

人としてどうかと思う、

あの不倶戴天の相手の中に、

 

私自身を観る。

 

「あぁ、こんなにも醜い自分がいたのか」、と愕然とする。

 

 

自らの分身ともいえる「子ども」に対しても、同じことが言える。

 

多くの親が、安らかに眠る子ども寝顔に「天使の面影」を見ると同時に、泣き叫び床に転がり癇癪を起こす子どもに「荒ぶる鬼神」を見る。

 

どちらも、自分自身の双極のイメージを投影しているに過ぎないのだが。

 

急いでいるときに限って言うことを聞かない、

周りに人がいるときに限って騒ぐ、

片づけたそばから散らかす、

大事なものほど盛大に汚す・・・

 

まあ、こちらの見なかったことにしていた感情を白日の下に晒すことに関して、子どもは天才だ。

 

どれだけ隠そうとしていても、肚の底に溜め込んでいた怒りや悲しみ、寂しさ、無価値観、罪悪感といった感情をテンコ盛りで感じさせてくれる。

 

以前にこちらのエントリーで書いたが、 

kappou-oosaki.hatenablog.jp

 

私自身も、子どもと接する中で、ずっと心の奥底に閉じ込めていた「自らの心の闇」の扉を開いてもらってきた。

 

どうしようもなく愛おしいという尊い感情と、

どうしようもない憎しみという醜い感情と。

 

関係性が近くなればなるほど、その双極の感情の振れ幅に揺れる。

 

 

どうしようもなく愛おしいと、パートナーに愛を伝えたい。

産まれてきてくれてありがとうと、子どもに愛を伝えたい。

 

誰しもが持つであろうそうした根源的な想いを、素直に伝えるのは本当に難しい。

 

なぜか。

 

自分の奥底にいる、「愛されなかったかわいそうな私」という過去の傷に刺さるからだ。

 

そんなにも愛を伝えるの?

 

この私は、まったく愛されなかったのに?

 

え?なんで?なんで?

 

だから、大切な人に「愛を伝える」というその行為は、同時に恐ろしく鋭利な刃となって、自分の内面にいるその「愛されなかったかわいそうな私」を傷つける。

 

だから、「愛されなかったかわいそうな私」は、伝えようとした愛を全力で否定して止めようとする。

 

やめて!やめて!

 

愛すると、愛されなかった私の傷に触れるから、

 

お願いだからやめて!

 

コミュニケーションとは敏感なもので、外に出した言葉よりも、内に秘めた想いや前提といったものが伝わるものだ。

 

結果、「愛している」という温かな想いと、「あなたよりも大切な人がいるから受け取らないで」という凍えるような悲しい想いの両方が伝わる。

 

愛していると言われているのに、心底悲しそうな表情が見えたり、

愛されているのか、憎まれているのか分からなくなったりする。

 

相手は、何を受け取っていいのか分からず、混乱する。

 

受容と拒絶、愛と憎しみ、嬉しさと悲しさが同時に伝わってしまう。

 

かくも、「愛する」ということは難しい。

 

「愛する」ということが、同時に癒されていない自分を刺す刃になるのだから。

 

 

ということは。

 

伝えようとする愛が深くなればなるほど、同じだけ自らの心の深淵の光の届かない闇に潜ることになる。

 

その深い螺旋階段を降りるのには、終わりがない。

 

自分を癒すことは一生続く。

 

ただ、「まあ自分の愛はこんなもんかな」と言って階段の途中で降りることをやめてしまう人もいれば、「もっと愛を伝えたい」と感情の荒波に飲み込まれながら、螺旋階段を駆け下りる人もいる。

 

どちらがいいとか、悪いとかいう話ではない。

 

それはその人それぞれの生き方であり、生き様なのだ。

 

どんな感情の荒波も、過去の恋愛の傷も、親子関係の問題も、人生の中の失敗も挫折も、パートナーシップの蹉跌も、「いまから愛を伝える」ための過程に過ぎない。

 

もしも、その刃が自分に向くことすら怖れず、「愛する」ことをやめないとしたら。

 

それって、すげえことなんだぜ。

 

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