大嵜 直人のブログ

別れによって傷ついたココロは、出会いで癒される。私が辿ったそんな物語を「書く」ことをライフワークにしています。

新時代。 ~2020年ジャパンカップ 回顧

2020年11月29日。

 

感染症禍の下、東京五輪は延期となり、人と会うことも、競馬場に足を運ぶことも、歓声を送ることもままならぬ。

 

誰の記憶にも残るであろうその年に、日本競馬は一つの頂点を迎えた。

 

史上初となる、三冠馬3頭による激突。

 

史上最多のGⅠ8勝・アーモンドアイ、無敗の三冠馬・コントレイル、同じく無敗の牝馬三冠・デアリングタクト。

 

アーモンドアイがラスト・ランとして参戦を決めてから、レースが来るまでの時間は至福であり、そしてまた怖いものでもあった。

 

夢を叶えたり、本当に惚れた人にその想いを告げるのが、とても怖いように。

 

ゲートが開き、勝者が決まってしまうことに、怖れの感情を抱くのは、久しぶりのことだった。

 

ずっと、この時間が続けばいい。

 

ジャパンカップ・ウィークを迎えて、日を追うごとにそんな感情を抱いたファンも多かったのだろう。

 

 

1着、アーモンドアイ。

 

絶好のスタートから、キセキ・浜中騎手の大逃げに惑わされることなく5番手を追走、満を持して追い出す横綱競馬で圧勝。

 

この距離と、そして荒れた内枠からの発走ながら、ポジションを取りに行った、ルメール騎手の胆力、勇気は見事しか言う他ない。

 

最強の挑戦者を退け、GⅠ9勝という金字塔を打ち立て、引退レースを飾った。

 

一昨年、 同じくジャパンカップをスーパーレコードで駆け抜けた姿を観戦できたのは、僥倖としか言いようがない。

 

その走りに、涙が出た。

 

2着、コントレイル。

 

おそらく、臨戦過程が最も厳しかったのが、この馬だったのだろう。

 

淀の3,000mを目いっぱいに走った消耗は、どれほどのものだったのだろう。

 

それでも、道中はアーモンドアイの一段後ろをスムーズに追走していた。

 

最後の直線、あの外からの伸び脚は、観る者の魂を揺さぶった。

 

3着、デアリングタクト。

 

これまでのレースよりも、前目にポジションを取りに行った松山騎手の勇気を称えたい。

 

コントレイルに先に仕掛けられ、内から追い出す形になるロスがありながら、最後まで伸びていたのは、精神力の強さ、気高さを感じさせる。

 

負けてなお強しの走りだった。

 

三者三様の過程がありながら、この3頭で決まったのが、何よりも美しかった。

 

三者三様の想いがありながら、参戦を決めてくれたのが、ファンとして何より嬉しかった。

 

このジャパンカップを「世紀の一戦」にしてくれた関係者には、感謝しかない。

 

 

馬連330円。

三連複300円。

 

馬連より安い三連複が、なんとも美しいではないか。

 

アーモンドアイ=コントレイルより、

アーモンドアイ=コントレイル=デアリングタクトの配当が安い。

 

3頭にそれだけの価値を見ていた、ということだ。

 

新時代。

 

誕生した九冠馬・アーモンドアイは、風と共に去る。

 

繁殖初年度は、デアリングタクトの父である、エピファネイアを交配される見通しだという。

 

どんな産駒をターフに送り出してくれるのか、その時を待ちたい。

 

新時代。

 

無敗の三冠馬2頭は、一敗地に塗れた。

 

だが、敗北を知る強さは、必ず「使命」を帯びる。

 

シンボリルドルフが、ディープインパクトが、オルフェーヴルが、そうであったように。

 

紡がれてきた歴史がそれを証明している。

 

新時代。

 

今日この日のジャパンカップを伝説にするのは、コントレイルであり、デアリングタクトである。

 

そして、さらに彼らに続く優駿たちだ。

 

そして、今日この日を語り継ぐのは、ファンである我々の役目でもある。

 

「ここから、そしてこの日から、世界史の新しい時代が始まる」

 

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ

Johann Wolfgang von Geothe

 

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2020年ジャパンカップの朝の空。

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細部を見つめるとき、全体とつながる。

時に小雪

 

七十二候では、「朔風払葉、きたかぜこのはをはらう」。

 

「朔風」と書いて、「きたかぜ」。

 

冬らしい冷たい北風が強まり、木々の葉を払ってしまうころ。

 

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ほんの半年ほど前には、薄いピンクの花弁が空を彩っていた桜並木も、その枝をあらわにして。

 

青々と茂った新緑の季節、蝉の声とともに盛夏を迎え、やがてその葉たちは黄色に、橙色に、静かに色づいていく。

 

そして、北風に散らされていく。

 

その葉が道々を埋めていくさまは、秋の終わりを感じさせる。

 

冬が、訪れる。

 

それは、身を切るような風の冷たさを思い起こすが、それとともに温かさを想起させるのは、なぜだろう。

 

鍋の煮える音。

二度寝の布団の温さ。

小さな陽だまりの心地よさ。

おなかに入れたホッカイロの温度。

 

人は、ある極にいると、反対の極をも感じられるものだ。

 

痛みも、寂しさも、悲しみも。

 

同じようなものかもしれない。

 

どうにかしようとは思わず、ただ、そのままに。

 

北風に葉を払われた木々の枝を、見つめるように。

 

ほんの小さな小さな細部を見つめるとき、人は全体とつながる。

 

大いなる、全体と。

 

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いいじゃないか、こころが喜ぶのなら。

はじめは、息子に頼まれただけだった。

 

「トモダチがたくさんもってるから、ぼくもほしい」

 

じゃあ、買いに行こうか、ということでスーパーに買いに行った。

 

カルビープロ野球チップスである。

 

ポテトチップスに、プロ野球選手のカードが2枚ついている、昔からあるアレである。

 

初めて買った袋に、「キラキラ」のカードが出て、息子はいたくお気に召された。

 

しかし、収集や所有に興味が薄い息子のこと、すぐに飽きていった。

 

何のことはない、気づけば私の方がカード収集に精を出すようになっていた。

 

ことあるごとに、スーパーやお菓子屋に寄り、一袋買ってきては、開封の儀を執り行うようになっていた。

 

「おとう、また買ってきたの?」

 

と息子は呆れているが、そのたびに

 

「ん?ポテトチップス、食べないの?」

 

と返すと、「そりゃ、食べるけど…」という不毛なやり取りをしている。

 

しかし、残念なことに、カードの所有権は息子にあるようで、集めたカードはまとめて息子が保管している。

 

私は、お伺いを立てて、そのコレクションを見せていただくのだ。

 

 

男の子は収集癖があると言われるが、それにまして、ストレングスファインダーの資質第3位に「収集心」を持つ私のことである。

 

幼いころより、いろんなものを集めてきた。

 

消しゴム、ガンダムのカード、ファイナルファンタジーのカード、漫画・雑誌、CD、ビックリマンシール

 

集めて何かあるわけでもないが、ただ集める過程が楽しく、そして集まったコレクションをしげしげと眺めているのが、楽しかったのだろう。

 

本棚に収まるわけもなく、段ボールに詰め込んでいた漫画は、引っ越しを機に売ってしまった。

 

かろうじて、CDはまだ残っているが、あんなに集めたカードたちは、どこへ行ってしまったのだろう。

 

いま見たら、懐かしさで感慨深く眺められるのだろうか。

 

 

自分の本当にやりたいこと、ライフワークを探すとき、幼いころに熱中したことにヒントがある、と言われる。

 

わけもなく、ハマったこと、熱中したこと。

 

なぜかわからないが、心惹かれて、好きだったもの。

 

そんなものが、誰にでもあるのだろう。

 

もし、それが、いまできるとしたら。

 

それをやってみるというのは、素敵なことだ。

 

何の意味もなくても、呆れられても、誰にも認められなくても、無駄の極みのように見えても。

 

いいじゃないか。

 

こころが、喜ぶのなら。

 

という言い訳をしながら、私は今日もチップスを買いに行くのだ。

 

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ある日の釣果。サイン入りのキラキラがまぶしい。

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マスクで相手の表情が分からない中、話しをするのってほんとストレスなんです、と彼女は言った。

「はぁ…なんだかなぁ…」

 

「どうした、買ってきたビックリマンチョコを開けてみたら、全部ダブりだったみたいな顔して」

 

「なんですか、それ」

 

「いや、昔、ビックリマンチョコってのがあってな…」

 

「知ってますよ、今でもなんか別のキャラクターでコンビニで売ってるじゃないですか」

 

「あぁ、それをな、少ない小遣いを握りしめて駄菓子屋に買いに行くんだよ。そんでな、ワクワクして自転車ぶっ飛ばして、家に帰るんだよ」

 

「…」

 

「そんで、一人開封の儀をするわけだ。たくさん買った分、何か背徳感のようなものと同時にさ」

 

「…」

 

「けれど、開けれど開けれど、ダブり、ダブり、ダブり」

 

「何ですか、ダブりって」

 

「知らないのか、自分がすでに持ってるカードだよ。『頼む!』って願いながら、最後の一つを開けるも、それもダブり…そのときの、どんより感っていったら」

 

「どんだけ買ってるんですか…」

 

「残ったチョコを食べるときの、切なさよ。甘いはずのチョコが、涙で塩辛く感じてさ」

 

「知らないですよ、また買えばいいじゃないですか」

 

「いや、全盛期は全然買えなかったんだよ。駄菓子屋、スーパー、どこでも入荷すると即完売でさ…だから、ショックも大きくてなぁ」

 

「いや、そういうコレクターズ・スピリット、全くないんで…理解できないです」

 

「まあ、いまでもよくあるじゃん?ほら、ユニクロがマスク売ったり、某デザイナーとコラボしたりするすると、店に行列ができて、ECサイトのサーバーがダウンする、みたいな」

 

「そう!マスクですよ、どうでもいい話で、忘れるところでした。

 

「どうでもいいって…」

 

「いや、どうでもいいでしょ、ダブりとか。それより聞いてくださいよ。さっきまでお客さんとのリモート打合せに参加させられたんですよ」

 

「ほう」

 

「アタシ、裏方がいいのに、リモートなら参加できるだろ、直接話した方が早いからって言われて」

 

「へえ。まあ、いいんじゃない」

 

「そんで、会議室からつないだんですよ。そしたら、参加者みんなマスクしてるの」

 

「へえ」

 

「なんでリモートなのにマスクしてるんですか?意味なくないですか?」

 

「まあ、つなぐ場所によっては、周りに人がいたのかもしれないし」

 

「えー、リモートでつなぐ意味なくないですか?」

 

「まあ、打合せをするって目的は達してるわけだから。マスクして打合せするの、イヤなの?」

 

「嫌ですよ。だって、ただでさえ画面越しなのに、マスクしてると表情分からなくないですか?」

 

「ああ、そうだなぁ」

 

「いや、ほら、アタシ、まわりの空気に敏感な方だから、それだけに、表情とか分からないとしんどくて」

 

「まわりの空気とかに敏感な人は、聞いて聞いて!のマシンガントークはあんまりしないと思うぞ(そうだよねぇ、それは大変だよねぇ、ほんと)」

 

「ちょっと、ぎゃく、逆!思ってることと言ってることが!」

 

「ああ、すまんすまん…でも、確かにリモートで、口元も隠されるとつらいよね」

 

「そうなんです、ほんと。なんで口元が見えないと、なんか不安になるんですかね」

 

「『目は口ほどにものを言う』って言うけど、口元って大事だよなぁ。口角が上がってるか、下がってるか、それだけでも全然違うもんな」

 

「ほんと、マスクが当たり前になっちゃって、相手の表情が分からない中、話しをしたりするのって、ほんとストレスです」

 

「ああ、なんか、それが当たり前になっちゃってるよな…悲しいことに」

 

「いつまで続くんですかね、この罰ゲーム」

 

「んーなかなか、すぐには難しいよな、コロ助もまた元気になってるし」

 

「え―…」

 

「表情が分かるマスク、だれか開発しないかな」

 

「透明のマスクとか?」

 

「あぁ、いいな、それ。サランラップでも巻いておいたら?」

 

「そうそう、こうやって、こうやって、ぐるぐるっとね……って、息できないですよ!」

 

「ああ、すまんすまん。でも、なんか嫌だよね、表情を隠してコミュニケーションするのってさ」

 

「ほんと、つらたん。。。」

 

「まあ、すぐにってのも難しいかもしれないけど、またいつか相手の表情を見ながらコミュニケーションを取れる世の中になってほしいよね」

 

「ほんと。まあ、表情を見なくても別に構わない人もいますけど」

 

「え?なに?誰?」

 

「いや、いつもぼんやりして無表情な、あなたのことです(さあ、誰でしょう?)」

 

「おい、ぎゃく、逆!」

 

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ふと肌に触れる冷たさに、ふるさとを想うこと。

たとえば、ふとした風景に故郷を思い出すことがある。

 

私は生まれた土地に、川という名がついた大きな池があり、その周りぐるっと囲む公園があった。

 

幼い頃、そこによく連れて行ってもらったこともあるのだろう。

 

その公園の松並木の雰囲気を、よく覚えている。

 

そして、その雰囲気によく似た松並木の風景を通ると、どこか、故郷を思い出す。

 

それは、松並木に限らないのかもしれない。

 

地方都市の故郷の、何でもない街の風景。

 

それは、ビルの高さや、工場の壁面、あるいは接骨院の看板かもしれないが、そんなものが織りなす雰囲気があって。

 

ときに、初めて訪れる街を歩くときに、その雰囲気に似たものを感じることがある。

 

見知らぬ街に。

 

あるはずもない、故郷を想う。

 

 

たとえば、ふと肌に触れる気温の変化に、故郷を思い出すことがある。

 

私の生まれた故郷の近くに、伊吹山という山があった。

 

冬の晴れた日などは、白い傘を被ったその伊吹山が、よく見えた。

 

けれど、冬になるとその伊吹山からは、ものすごく冷たいからっ風が、いつも吹いていた。

 

それを「伊吹おろし」と、地元の年配者は呼んでいた。

 

なぜか手袋をよく無くす私は、通学路で、その冷たい風に、いつもかじかむ手をすり合わせていた。

 

冬の晴れた空の下、冷たい風が吹く。

 

時に、その冷たさに、私は故郷を想う。

 

いま、そこにありもしない、ふるさとを。

 

もう、戻れないふるさとを想う。

 

 

たとえば、ふと耳にしたメロディに、ふるさとを想うことがある。

 

兎追いし かの山

小鮒釣りし かの川

夢は今も めぐりて

忘れがたき 故郷

 

その「ふるさと」を想うとき、それは自分の故郷ではない「ふるさと」を想っている。

 

青々とした稲が広がる田んぼの中、あぜ道が続いて。

 

その脇には小川が流れていて、見ればメダカが泳ぎ、タニシが歩き。

 

遥か彼方の山々には、カラスが飛んでいく。

 

茅葺き屋根の家の縁台には、わるそうなねこが丸まっていて。

 

そんな観念的な「ふるさと」など、もうどこにもなくなっているはずなのに。

 

どこか、日本人のアイデンティティのような「ふるさと像」が、ある。

 

それは、どこにもないけれど、どこにも在る。

 

こころざしをはたして いつの日にか帰らん

山はあおき故郷 水は清き故郷

 

いつか、そこに帰る日まで。

 

 

時に、ふるさと。

 

それは、地名の響きとともに思い出されるものかもしれない。

 

けれど、地名は記号でしかなくて。

 

どこか、空気の冷たさ、松並木、あるいは看板の灯り。

 

そんなものの中に、ふるさとは生きている。

 

それは、ふとした刹那に。

 

私たちを導いてくれる。

 

いつの日か、土に還るまで。

 

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秋冷の「こころの小径」を歩く ~愛知県名古屋市「熱田神宮」参拝記

「秋晴れ」の言葉が似合うくらい、よく晴れていた。

 

それでも、霜月下旬ともなれば、やはり空気は冷たい。

 

その冷たさと、日差しとのギャップが、どこか心地よかった。

 

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いつもよりも、少し遅い時間での参拝。

 

境内の雰囲気も、また少し違って。

 

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毎年1月5日の「初えびす」が有名な、上知我麻神社。

 

商売繁盛・家内安全を願い、日付が変わる真夜中から多くの人が熊手を求める姿は、この熱田の正月の風物詩だ。

 

今年は、どうなるのだろう。

 

人が集まることが禁じられるご時世、また別の形になるのだろうか。

 

それでも、人々の願いはきっと変わらず続いていく。

 

ただ、目に見える形が変わるだけなのかもしれない。

 

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その近くの、別宮八剣宮。

 

ひんやりとした空気が、心地よく。

 

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もう小雪ながら、境内に咲いている花も。

 

寒空に、とても合っていて美しく。

 

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本宮まで歩いているうちに、雲一つなく晴れていた。

 

雨の神社もまた趣深いが、晴れた朝の境内の心地よさは格別だ。

 

昨今はマスクをする機会が増え、どうしても呼吸が浅くなっているような気がする。

 

けれど、境内を歩いていると、自然と呼吸が深くなるようで。

 

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本宮横から入る、「こころの小径」。

 

今日は、ここが歩きたかった。

 

午前9時~午後4時までしか開門しないため、なかなかその時間に来れなかった。

 

その奥には、「一之御前神社(いちのみさきじんじゃ)」の社がある。

 

神宮の御祭神である熱田大神(=草薙神剣を御神体としてよせられる、天照大御神)の荒魂をお祀りしているとされ、撮影禁止などの注意事項が多いことからも、神域なのだろう。

 

玉砂利の音に耳を傾け、こころしずかに歩く時間。

 

名古屋の真ん中で、このような場所があることが、実に不思議だ。

 

森を一歩出れば、多くの車が走る喧噪の街なのに、別世界にいるようで。

 

秋冷が、心地よかった。

 

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大きなご神木にも、手を合わせて。

 

 

深呼吸を重ねる。

 

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帰りの参道で、思いがけず冬の花

 

花びらが落ちているところを見ると、山茶花だろうか。

 

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冬にはこの赤が、よく似合う。

 

めぐる季節とともに。

 

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日差しの色が、いつの間にか冬の色に。

 

冬の花は、その中で咲く。

 

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小雪、それでも花は咲く。

昨日から二十四節気の一つ、「小雪」に入った。

 

北風の冷たさが日々はっきりと感じられ、その字の通りきたぐにでは雪がちらつくころ。

 

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まだ寒さはこれからだが、それでも暦は進んでいく。

 

七十二侯では「虹蔵不見・にじかくれてみえず」、曇り空が多くなり、日差しも弱まるため、虹を見ることが少なくなるという。

 

そういえば、晴れていたかと思えば、いつの間にか雲が広がって、寒空になっていることが増えたように思う。

 

季節のめぐりは、殊更に正確だ。

 

 

そんな「小雪」の時候だが、歩いていると思いのほか、咲いている花に目が行く。

 

木の葉は落ち、モノトーンの世界だと思っていたが、そうでもないようだ。

 

「それ」を探して道を歩いていると、「ある」ものだ。

 

それは、春のような暖色の花であったり。

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路地に咲いていた、黄色の花束のようであったり。

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気高く咲いている花であったり。 

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あるいは、優しく包み込むように咲いていたりする。

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冬は生命が息絶える季節、というのは、一面ではそうかもしれない。

 

息子の飼っていたカブトムシも、残念ながら最後の一匹が力尽きたように。

 

けれど、そこに咲く花も、ある。

 

歳を重ねると、季節の味わいが深くなる。

 

前に、この時期にはこんな花が咲いていた、とか。

 

こんな色の空や、あんな形の雲を、この時期に見た、とか。

 

そんな折々の美が、その時々に訪れた土地や、出会った人、あるいは何気なく話したことなどと一緒に、思い出される。

 

今日見た花たちも、またいつか、小雪の時期に思い出すのだろうか。

 

そう思うと、この目の前を流れていく季節の時間とともに、通奏低音のように流れていく永遠という時間に、想いを馳せたくなる。

 

時に小雪、それでも花は咲く。

 

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