大嵜 直人のブログ

別れによって傷ついたココロは、出会いで癒される。私が辿ったそんな物語を「書く」ことをライフワークにしています。

卯月の雨は悲しげなれど、祈りを誘い。

月が変わり、年度が変わった。

 

卯月である。

 

週末からぐずついた空模様は、昼過ぎからまた降り出した。

 

雷乃発声、かみなりすなわちこえをはっす。

 

季節の変わり目は、大気が不安定で雷が鳴ったり、あるいは雪や雹が降ったりもする。

 

卯月、雨、雷。

 

「花散らしの雨」の言葉の通り、咲き始めた桜の花も、少し散ってしまうのだろうか。

 

 

春の訪れの雨は、大地を潤し、植物を育てる恵みの雨でもある。

 

それなのに、どこか悲しげだ。

 

悲しいという感情は、私にとって何かが失われることと結びついている。

 

もう見ることのできない故郷の街の景観、

過ぎ去っていった夏の暑さ、

今生では会うことのできない人たち、

あるいは、もう二度と訪れない、この瞬間。

 

そうしたものは、悲しみと結びつきやすい。

 

そして、悲しみの奥には、その失われたものたちとのつながり、そして、それらへの愛が眠っている。

 

古来において、「愛しさ」とは「かなしさ」と読まれていたように。

 

悲しみと愛は、相似形をしている。

 

けれど、

 

今日のこの春の雨に感じる悲しさは、またそれとも違うような気もした。

 

 

よく晴れた空は、視線を上に向けて、大きく息を吸いたくなる。

 

上を向くと、口角が下がり、自然を笑顔になる。

 

雨が降ると、視線を地に向けて、雨音に耳を澄ませたくなる。

 

下を向くと、目を閉じて、手を合わせたくなる。

 

祈るとき、人は目に見えないもの、大いなるもの、自らの力の及ばないものに、手を合わせる。

 

「愛しさ」が「かなしさ」であるのならば。

 

そうした祈りの対象への「愛しさ」は、「かなしさ」と読めるのかもしれない。

 

卯月の雨は、悲しく。

 

卯月の雨は、どこか祈りを誘っているように思えた。

 

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歩くこと、書くこと、生きること。

文章が上手くなる、とは、どういうことだろう。

 

たとえば、「この横断歩道を歩いて渡ってください」という指示は、理解できる。

 

理解できるし、「歩く」ことができる人は、その指示を実行することができるだろう。

 

ところが、「この横断歩道を『上手く』歩いて渡ってください」という指示ならば、どうだろう。

 

「上手く歩く」とは、なんぞや?と、混乱する。

 

歩くことができる人もいれば、当然、できない人もいる。

 

けれど、上手く歩く、とは、どういうことだろう。

 

歩く姿が、堂々としている人もいる。

猫背で歩く人もいる。

モデルのキャットウォークのように歩く人もいる。

スタスタと小股で歩く人もいれば、

あるいは、大きな歩幅でドスドスと歩く人もいる。

 

見る人によっては、そこに美醜はあるのかもしれない。

 

けれど、どの歩く姿も、「その人」の歩く姿である。

 

その人のこれまでの歩みが、想いが、その姿に出る。

 

その姿に、「上手い」も「下手」もない。

 

ただ、その人であるだけ。

 

その歩く姿に滲み出るものこそが、

 

個性

 

と、呼ばれるものなのかもしれない。

 

歩くことと、書くことは似ている。

 

それは、生きることとも同義であるようにも思うが、どうだろうか。

 

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雑巾がけ、あるいは五体投地。

小学校の頃、掃除の時間があった。

 

あれは、たしか給食の時間の後だったような気がするが、もしかしたら午後の授業が終わった後だったかもしれない。

 

机と椅子を後ろに下げる役目、ほうきをかける役目、黒板を掃除する役など、いろんな役割があった。

 

その中で、みんなに不人気だったのが「雑巾がけ」のように覚えている。

 

誰かがこぼした牛乳を拭いた雑巾が混じっていたせいか、掃除道具入れの雑巾は

、どれも汚くて臭かった。

 

水で濡らして絞ると、そのクサイ匂いが増幅して、使うと手にその匂いが映るのだ。

 

石鹸で洗っても洗っても取れない、その匂いとともに、午後の授業を受ける時のテンションの低さを思い出す。

 

アメリカの小学校は、掃除の時間がないらしいよ」

 

友人がどこかで聞いてきたのであろう情報を聞いて、羨ましく思ったものである。

 

 

掃除の基本は、拭き掃除だよ

 

なぜか心に残っているその台詞を、誰から聞いたのか私は思い出せない。

 

祖母だったのか、それとも小学校の先生だったのか、あるいは。

 

翻って考えてみるに、小学校のように雑巾を使って床を拭く、ということをしなくなって久しい。

 

いつもは掃除機と、クリーニングシートを柄の先に付ける道具で、済ませてしまう。

 

大掃除以外では、雑巾を使うことはめったになくなってしまった。

 

それでも、やはり拭き掃除は、掃除の基本だとは感じる。

 

洗濯機なり、食器棚、あるいは冷蔵庫、カーテンレール、照明の傘…拭き掃除をするということは、それらのものに「触れる」ということだ。

 

そして「触れる」ということは、「意識を向ける」ということでもある。

 

「手当て」という言葉が、「怪我や病気を処置する」という意味を持つように、人が何かに「触れる」ということの力は計り知れない。

 

拭き掃除とは、ただそこにある見慣れた景色に、命を吹き込む。

 

掃除の基本は、拭き掃除。

 

拭き掃除のたびに、私はその言葉を思いだす。

 

 

そんなこんなではあるが、昨日、久しぶりに自宅の床を雑巾がけした。

 

膝と両手を床につける、懐かしさを覚える体勢。

 

いつもと目線が違うと、世界はこうも違うのか、と驚く。

 

無心になる、地に手をつける時間。

 

地につけると言えば、「地に足をつける」という言葉をよく聞く。

 

自分の根っこを大切にすることだ。

 

何ごとも根っこが不安定だと、幹は太くならないし、花も咲けない。

 

グラウンディング、という言葉とも言い換えられる。

 

自分の根っこがどこにあるのか、意識をすること。

 

それは、地に手をつけるという身体的な動きでも、感じられるのかもしれない。

 

 

地に手をつける動作といえば、「五体投地」が想起される。

 

仏教において、最も丁寧な礼拝の作法とされる、「五体投地」。

 

額、両手、両膝という「五体」を、「知に投げ出す」姿勢を取る、一連の礼拝である。

 

チベット仏教の僧侶の巡礼が有名だが、日本においても多くの宗派が得度や儀礼の際に用られる。

 

両膝をつき、額を地につけ、両手を投げ出す。

 

その際、両の手は掌を天に向ける。

 

己の身体を投げ出し、御仏の差し出すものは、何でも受け取ります、という宣言。

 

それは大いなるものに自らを委ねるという、究極のサレンダーであり、また地に手をつけるという自らの根源に還る行為でもある。

 

 

雑巾がけ。

 

あるいは、五体投地

 

不安なときや、心が揺れるときは、地に足…に加えて、手をつけてみる。

 

目線をぐっと下げてみて、無力で、矮小で、どうしようもなく、ただ祈り願うことしかできない私が、そこにいる。

 

それを直視し、受け入れる。

 

そのとき、人は初めて、できることしかできないことを知る。

 

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4LDKがつくりたい。

「よんえるでぃーけーがつくりたい」

 

週末の夕方、息子がそう訴えてくる。

 

ほう、そうきたか。

 

先般、すったもんだしながらマンションを建設してからも、地下鉄の駅で配っているマンション・賃貸住宅の無料広告雑誌をしげしげとながめている息子が、そう言いだすのは至極自然な流れと言えた。

 

今回も、どうやって作るのかはわからないが、息子は作りたいのだ。

 

そして、これまでの経験則上、その「つくりたい欲求」は、お茶を濁すことはできない。

 

どうしても、つくりたいのだ。

 

 

とはいえ、午後からブチ込まれた建設計画に、私は難色を示す。

 

きょうは、いまから買い物行って、あれしてと、これしないといけないから…いままで、さんざん遊んだだろう?あしたにしよう?

 

理で諭そうとする私に、息子は「ヘルメットを被らないで自転車乗る作戦」で反抗を示す。

 

無理解、対立、口論、無関心、和解、譲歩、駆け引き、復讐、愛…人間関係の一通りのプロセスを歩んで、結局のところいつも通り、私が折れる。

 

理は情熱には勝てないのだ。

 

重い腰を上げ、その「4LDK」の竣工をはじめる。

 

前回のマンションは、どれくらい時間がかかったんだっけ…ノッポさん、本当にヘルプに来てくれないかな…と遠い目になりながら。

 

突貫日程などおかまいなしに、工程ごとに厳しいチェックとクレームが入る。

 

厳しい施工主だ。

 

 

今回の進歩は、施工主から設計図が出てきたことだ。

 

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見よ、この完全なる4LDK。

 

この図面の通りに、工事を進めねばならぬ。

 

納期、工材、工数、技術…足りないものを数えはじめれば、両の手では足りない。

 

されど、諦めることなどできはしない。

 

すでに、工事は始まっているのだ。

 

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紆余曲折を経て、完成したのがこの建築。

 

施工主の希望で、今回は平屋の一軒家となった。

 

さすがに納期が間に合わず、翌日の完成・引き渡しになってしまい、大クレームを頂いたが、それもまた今となっては懐かしく思える。

 

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入り口と窓ガラスには、前回のマンションで作成した際の工法を踏襲。

 

サランラップで窓ガラスを再現し、そして上下にレールを付けて可動式にしている。

 

施工主から窓枠の歪みにクレームが入り、何度も作成し直したのも工期を遅らせた一因ではあるが、何とか納品することができた。

 

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天井を外すと、こう。

 

紛うことなき、4LDKだ。誰がどう見ても、4LDKだ。4LDKということにしておこう。

 

気の早い入居者たちのために、じゅうたんやカーテンを完備させて頂いた。

 

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ダイニングテーブルは質感にこだわった逸品。

 

これは施工主自ら作成して頂いた。

 

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キッチン、そしてリビングにソファ、人数分の椅子など。

 

施工主の細部に渡る指示に応えるつくり。

 

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昨今、海外調達を進める企業が多い中、トイレも自前で作成。

 

おかげで、部材の納入待ちで引き渡しができないといった問題もなく、納期を詰めることができた。
 

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前回と同じように、夜の灯りを付けてみる。

 

やわらかな、ランタンの光。

 

カーテンのおかげで、さらにやわらかな生活光を再現することができた。

 

満足げにその光を眺める息子。

 

やりたいことに、わがままであれ。

 

好きなことに、愚直であれ。

 

理に、流され過ぎることなかれ。

 

そして、童心を、忘るることなかれ。

 

小さな施工主からの教えを、私は再度反芻する。

 

カッターナイフとハサミを使い過ぎたせいだろう、ひりひりと指が痛かった。

 

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やって来るもの、過ぎ去っていくもの、いま目の前にあるもの。

近所の川沿いの桜並木を歩く。

 

先週末に、今年初めて咲いた桜を見たが、もう陽当たりのいい場所では満開に近い。

 

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前日の夜には少し強めの雨が降っていた。

 

この日も曇りと雨の予報で、なかなか青空をバックに撮れないのがもどかしい。

 

それでも、この淡いピンクの色調に、今年も出会えたことを喜ぶ。

 

「花見」といえば、条件反射的に「桜の花」の下を思い浮かべるように、やはり「花」といえば桜なのだろう。 

 

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健気に、木の幹から花を咲かせるものたちもいる。

 

こうしたものも、枝の先に咲くものも、不思議とどの花も、桜は下を向いて咲いていることに気づく。

 

太陽に向かって上を向くのではなく、どの花も下を向いていることが、不思議だ。

 

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そう思っていると、上に向いて咲くものを見つけた。 

 

めずらしく木ではなく、草むらに咲く桜。

 

桜の木の切り株から、生えてきた枝から咲いているようだ。

 

花は誇らず。

 

いつもと変わらず、

春がやって来る。

陽が昇る。

桜が咲く。

 

桜が散る。

陽が沈む。

いつもと変わらず、

春が過ぎ去っていく。

 

目の前のものは、移ろいゆく。

 

けれど、いま、この目の前にあるものは、変わらない。

 

それは、「いま」という刹那は、永遠あるいは不滅と同義だからだ。

 

桜を、花を、季節を見つめることは、それを教えてくれる。

 

どこにも行かなくていい。

 

ただ、ここでくつろいでいなさい、と。

 

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昨晩の花散らしの雨に打たれたのか、せっかく咲いたであろう一輪の花が落ちていた。

 

手に取って、活けてみる。

 

部屋の中にも、春が訪れたようだ。

 

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どうやったら苦手な相手をやり過ごすことができますかね、と彼女は言った。

「はぁ…(チラッ)」

 

「… … …(しーん)」

 

「ふぅ……(チラッ)…はぁ…(チラッ)」

 

「… … …(しーん)」

 

「もう!『かまってくださいオーラ』を醸してるんですから、ちゃんとかまってくださいよ!」

 

「なんだなんだ、朝イチから…始業前くらい、ゆっくり瞑想させてくれよ」

 

「いやいや、瞑想というか熟睡してただけでしょうが…それより、聞いてくださいよ」

 

「あぁ、どうした」

 

「アタシ、毎朝会社の前のコンビニに寄るんです」

 

「ほうほう」

 

「そこで、カフェラテを買うのがアタシの日課なんですけど」

 

「あぁ、いつも飲んでるね」

 

「どうにもそのコンビニの店員が苦手で」

 

「まぁ、あるよね。だって、にんげんだもの

 

「ええ、にんげんだもの…って、そりゃあそうなんですけど、それ言っちゃったら全部解決しちゃうじゃないですか」

 

「まあねぇ…で、具体的に何が苦手なの?」

 

「アタシ、低血圧なんで、朝は苦手なんです。そりゃあもう、毎日決死の覚悟で起きてるくらい」

 

「そうか、朝が苦手なのか。低血圧は辛いよな」

 

「ええ、おまけに毎晩AmazonプライムNetflixが寝かせてくれなくて」

 

「それは低血圧というより、単に寝不足なのでは…」

 

「いや、きっと低血圧です!だって、ダルいんですから!…で、そんな朝はゾンビみたいなアタシなんですけど、そのコンビニの店員は朝からめっちゃテンション高くて」

 

「ほう、それはすごいな」

 

「アタシ、朝は一言もしゃべりたくないんですけど、なぜかその店員に顔を覚えられてるみたいで、めっちゃ挨拶プラスアルファの会話をされるんです」

 

「一言もしゃべりたくないって言ってるわりには、よくしゃべるもんだなぁ。これだから女の言葉は信用ならねぇ(それはそれは、朝のテンションが低いところに来られると大変だよね)」

 

「ちょっとちょっと、逆です、逆!セリフと心の中のつぶやきが!」

 

「おぉ、すまんすまん、つい…でも、顔覚えられて挨拶プラスアルファの会話って、めっちゃ愛されているよな。男の店員さん?」

 

「いえ、女性です。少し年齢高めの」

 

「いいじゃん。愛されてるってことで」

 

「えー、苦手というか、めんどくさいんですよ」

 

「じゃあ、行かなきゃいいじゃん」

 

「だって、行かないとカフェラテ買えないじゃないですか」

 

「家の近くとかのコンビニで買っていけば?」

 

「ぬるくなっちゃうんで、イヤです。それに、何かその店員が苦手で、行く店を変えるのはなんか負けたような気がしていやなんです」

 

「別に負けたっていいじゃないの。にんげんだもの

 

「だから、それを言ったら何でもよくなっちゃいます」

 

「まあなぁ…分からんでもないけど、競争から降りると楽になるかもね」

 

「それはまた今度でいいです。なんか、苦手な相手をやり過ごす方法ってないですかね?」

 

「まあ、避けられるのなら、避けるのが一番だよね。苦手な相手にわざわざ会いに行ったり、時間を使うのはほんとにムダだと思うから」

 

「そりゃ、わかりますけど…でも、どうしても会わないといけない場合、どうします?苦手なお客さんとかって、いないですか?」

 

「いるよ、そりゃ。いるいる。だって、にんげんだもの

 

「…しつこいです。そういうお客さんに会うとき、どうしてるんですか?」

 

「あぁ、これは結構シンプルでさ。『この人のいいところは、何だろう。この人の魅力って、なんだろう』って視点で、その相手を見てみるのさ」

 

「美点凝視…ですか。なんか、ありきたり」

 

「おぉ、よく知ってるな。でも、真実はシンプルなんだよ、きっと」

 

「そうなのかもしれないですけど…」

 

「やってみたこと、ある?」

 

「いや…なんか、難しいですよね。わざわざ、苦手な人のいいところを見つけようとするなんて」

 

「そうなんだよ。でも、そういうときは秘策がある」

 

「え、何ですか、秘策って」

 

「その苦手な人に会うことが分かってるなら、会う前に『自分のいいところって、何だろう。自分のステキなところって、なんだろう』って自問してみるの」

 

「へぇ。それで変わるもんなんですか」

 

「変わる。これは断言する。ただし、そこで『あぁ、やっぱりそんなものあるわけないわ』ってなっちゃったらダメね。『かならず、ある』って前提で自問してみるの」

 

「ほぇ~、そんなもんですか」

 

「そんなもん。そうするとね、自分の中に見るその魅力を、相手に投影するから、苦手だと思ってた人に会っても、あんまり気にならなくなる。そんで、『あ、こんなとこがこの人のいいところかな』って気づいたりする。そうすると、憎めなくなるよね、苦手な相手も」

 

「へぇ…やっぱり、亀の甲より年の劫ですかね」

 

「あたりまえだろ、もっと褒め称えよ、俺様を(いや、そんなことないよ、まだまだ修行が足りないよ)」

 

「えぇ…逆、また逆になってる!でも、それくらいでちょうどいいのかも」

 

「そうかね。どうもありがとう」

 

「いえ、こちらこそ。 伊達に長く営業してないですから」

 

「そうですねぇ…これで営業成績が伴っていればねぇ…(やっぱり、経験があるって、すごいですね!)」

 

「おい、逆、ぎゃく!!!」

 

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こころは玉置山に飛んで。

その写真を見てしまったら、もう取るもの手につかなくなった。

 

SNSで、たいせつな友人の方が、玉置山の画像をアップしたのを見てしまった。

 

私のこころは、そぞろに。

 

一年前に訪れた、あの玉置山へと飛んで行ってしまった。

 

kappou-oosaki.hatenablog.jp

 

 

人間関係において起こる問題の多くは、往々にして自分と他者との境界線があいまいになることから生じる。

 

そして多くのそれは、相手の心や気持ちへ共感する力が強い人、すなわち「やさしい人」ほど、そうなりやすい。

 

多くは父親や母親との癒着関係を、職場の上司、パートナー、友人といった様々な距離の関係に、投影する。

 

相手の感情を、自分の感情以上に、敏感に感じ取ってしまう。

 

相手の気分や感情に一喜一憂し、忖度することを重ねていくうちに、いつしか相手の感情が自分の感情とイコールになってしまう。

 

自己と他者との境界線が、溶けてしまって、どこまでが自分の感情か、分からなくなる。

 

二人分の感情を抱え、自分の感情を押し殺し、頭の中では常に相手のことを考えてしまう。

 

それはそれは、しんどいし、疲れる状態だ。

 

癒着、とも呼ばれる状態。

 

 

その状態を抜け出すための処方箋は、冒頭の逆をすることだ。

 

すなわち、自分と他者との境界線を、もう一度引き直す、ということ。

 

わたしはわたし、上司は上司。

わたしはわたし、妻は妻。

わたしはわたし、父親は父親。

 

わたしはわたし、あなたはあなた。

 

と。

 

どんなにその相手が機嫌が悪くても、自分には関係がない。

彼がこの先どうなっても、私の人生とは関係がない。

母にどう思われようとも、私は私の道を往く。

 

ある意味で、冷たくドライと思えるかもしれない、それらの態度が、癒着を解くキーストーンになりうる。

 

かくいう私も、半年ほど呪詛のように、そうした言葉をつぶやいていた時期がある。

 

わたしはわたし、あなたはあなた。

わたしはわたし、あなたはあなた。

わたしはわたし、あなたはあなた。

 

…と。

 

結局のところ、相手に対してほんとうに「やさしく」なろうと思うのならば、自分が自分でいること以外に、何もできないのだろう。

 

他人の感情を背負うことなど、誰にもできはしないではないか。

 

だとしたら、自分が自分でいるほかない。

 

ならば、境界線を明確に引き、自らの内なる感情にこそ目を向けるべきだ。

 

それこそが、相手に対しての優しさだ。

 

 

と、ここまでが前段として。

 

はたして、わたしたちは、さきほど引いたその境界線の通りに分断されているのだろうか。

 

よく晴れた春の空を見ていると、そうでもないような気もする。

 

おなじそらのした、

誰かが桜を愛で、誰かは美味しそうなどら焼きを食べ、誰かは玉置山を登っている。

 

その誰かは、わたしなのだ。

 

わたしが桜を愛で、わたしががどら焼きを食べ、わたしが玉置山を登っている。

 

裏の裏は、表。

 

真実に見えることの裏側もまた、真実なのだろう。

 

わたしはあなた、あなたはわたし。

 

わたしはあなた、あなたはわたし。

 

これだけ青くて広い空の下、きっと、つながっている。

 

これだけ青くて深い海の底、きっと、つながっている。

 

 

一年ほど前に、十津川村、そして玉置山を訪れた。

 

あのエメラルドグリーンの川の色。

 

神気が立ち昇るような靄。

 

時折、背筋が凍りそうになる山道の運転。

 

玉置神社に咲くシャクナゲの赤。

 

そして、この世のすべての知っているような、神代杉。

 

三重県を縦断して南下し、熊野路からぐるっと北上した旅。

 

ハードワーカーらしく、午前3時半に家を出る強行スケジュールも、いい思い出である。

 

行ってよかったと思う。 

 

今日のその友人の方は、その逆巻きに、奈良県から南下していったそうだ。

 

きっと、わたしのこころも、あの玉置山にいたのだろう。 

 

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一年前と同じように、今日の玉置山も晴れていたようだ。

 

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