僕には夢がなかった。
高級車に乗る、いい土地に住む、星付きのレストランで旨いものを食べる、いい仕立てのスーツに身を包む、ビジネスで成功する、美しい女性と一緒に・・・
男の子にはそんなようなわかりやすい夢や目標が必要で、その達成のために頑張ることが男性としての器を広げてくれる、とはよく言われる。
けれども、僕には昔から夢がなかった。
進路も大して考えずに、姉貴のあとを追って進学しただけだった。
さすがに就職はいろいろ考えて、一人故郷に母を残していたこともあってUターン就職したが、自分に合った職種など深く考えもしなかった。
今まで興味も持っていなかった職種に就職してハードワークを重ねたが、あまりに居心地が良くなってしまった。
けれど親密感への怖れから野良猫っぷりを発揮して、これまた全く異なる業種に職を変えて、今に至る。
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さる師走の日に受けたあるワークショップで、10億円を出資されたら何に使いますか?という質問があった。
金銭的な制約を外したときに出てくる、その人の「ほんとうの夢=ライフワーク」を炙り出すためのその質問に、私は1ヵ月考えた末に最後まで答えることができなかった。
具体的にその使い道を語れる友人たちが羨ましくて仕方がなく、夢がないことへの劣等感に猛烈に苛まれた。
固有名詞の入った具体的な友人たちの夢に比べて、締め切り直前にようやく絞り出した私の、
「会いたい人に会う、
行きたい場所に行く、
食べたいものを食べる、
感じたいと思った芸術を感じる」
という抽象の極みのような、夢とも見えないようなそれは、押し入れから出てきた昔のアルバムか何かを包んでいた新聞紙のように、ひどく色褪せて見えた。
その色褪せた新聞紙のくしゃくしゃに包んだ中には、何にも入っていない気がした。
夢を実現させる方法とか、目標を達成する方法とか、望むものを引き寄せる方法は世にはあふれているけど、そもそも夢がなければ実現のしようがないじゃないか。
二十歳過ぎで両親との強烈な別離を経験してから、半ば人生を諦めているようにも思っていたが、もっと前からそうだったようだ。
僕は、夢に破れるどころか、
夢そのものが、ない男だったんだ。
夢のない、つまらない男。
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それが、どうだろう。
一昨日の「故人を想う、ということについて。」、昨日の「やがて闇へと還る旅」についてのエントリーを書いた。
書いているときに浮かんだのは、両親との別離と感謝、そして自分の闇すらも愛することを教えてくれた人たちへの感謝だった。
こういう内面を晒すのは、勇気が要る。
けれども、ほんとうに素敵な感想をたくさん頂いた。
生粋の受け取り下手の私だが、さすがに全力で受け取りたいと思うくらい、素敵な感想を頂いた。
「今日のブログも、とても素敵でした」
「今日のブログも泣きました」
「素晴らしい文章をありがとうございます」
「いつも本当にありがとう」
「じーんじーんじーん」
「本当に心に響く文書、ありがとうございます」
「じーんときました~」
「心にしみる言葉がたくさん。ありがとうございます」
僕の書いた言葉で、こんなに多くの人が共感したり、涙したり、なにかを感じてくれている。
これって、夢みたいなものじゃないのか?
諦める夢がない?破れるような具体的な夢もない?
いったい、どこへ行ったんだろうね、その気持ち。
たいせつな友人たちの夢を物差しにして、卑屈になっていた自分は、いったい何だったんだろう。
「夢は諦めなければ叶う」なんてことではない。
そもそもが、僕には諦める夢がなかった。
じゃあ夢を持たなかったらいいんだろうか?
夢への執着を手放したら叶うんだろうか?
いや、たぶんそうじゃない。
結局のところ、普遍的な法則などない、ということなのかもしれない。
明日何が起こるかなんて、誰にも分からない。
自分が望んだとおりにはいかないし、期待は裏切られるし、どうせコントロールできることなんてたかが知れている。
執着しようが、追い求めようが、諦めようが、そもそも夢が無かろうが、
なるようにしかならないのだろう。
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そういえば振り返ってみると、夢はなかったけど、憧れはあった。
はじめて行ったコンサート、CHAGE&ASKAのリサイタル。
何度も何度もCDで聴いたASKAさんの生の歌声は、圧倒的に上手かった。
20歳のときに、友人に誘われて聴きに行ったコンサート。
世界最高のヴァイオリニスト、マキシム・ヴェンゲーロフさんのソロリサイタル。
背筋がゾクゾクしっぱなしだった。
空気の震え一つで、多くの人の魂を震わす名人芸たち。
浅田次郎さんの傑作たち、「天国までの100マイル」、「プリズン・ホテル」、「壬生義士伝」、「角筈にて」・・・
あんなにも涙が流れるものなのかと思った。
北方謙三さんの歴史小説、「三国志」、「破軍の星」、「水滸伝」。
格好いい男が格好よく死んでいくその様に、こんな風に生きて、死にたいと思った。
白い紙に印刷されたインクだけで、こんなにも人の心を動かすことができるものかと思った。
キラキラとスポットライト浴びて演奏する彼らや、人の心を揺らす物語を紡ぐ彼らには、憧れた。
けれど、彼らのようになろうとしたわけでもないし、彼らのやっていることを夢にしようとしたわけでもない。
ただ、僕は毎日書いていただけだ。
そうしたら、ここに運ばれたんだ。
人の心に何かの風を当てて、奥底にあった澱のようなものを優しく震わす。
それは確かに、彼らのやっていたことと、何ら変わりのないことだった。
人数の多さも感動の深さも比べようもないけれど、比べる必要もないのかもしれない。
僕はASKAさんでもヴェンゲーロフさんでも浅田さんでも謙三さんでもなく、大嵜直人なのだから。
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僕には夢がなかった。
けれど、気づいてみたら夢が叶ったようなところにいた。
もともと叶っているんだから、夢がなかったのかもしれない。
夢があってもなくても、どちらでもいいような気がする。
ただ、僕は書き続けようと思う。
今日も、明日も、明後日も。
いつか土に還るその日まで。
あたらめて、素敵な感想を頂いた方に、心から御礼申し上げます。
ほんとうにありがとう。