大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

誰かの凹んだ部分は、他の誰かが与えるところになる。

誰かの不得意なところは、誰かの得意なところ。

誰かの苦手なものは、誰かの大好物。

誰かの凹んだところは、誰かの愛するところ。

だから、不得意も苦手も凹みも直さなくていいし、

そんまんまで大丈夫。

無理に自分で直さない方が、周りのためになる。

むしろそれを晒した方が、愛されるようになる。

お尻の痛みを通じて、そんな体験をさせて頂いた。

昨日、SNSにこんな投稿をした。

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先週末あたりから尾てい骨の上に

大きな「できもの」ができて、

座っても痛い、寝ても痛いという

苦行モードに突入してしまった。

夜も横向きでしか寝れず、

寝返りを打つたびに痛みで起きるという苦行。

薬ももらったが、あまり効かず、。

切開することになるのかな・・・

普段何気なく暮らすことの有難さよ。

やはり何かを失ったときでないと、

人はそこにあるものの奇跡には

気付かないのかもしれない。

それにしてもお尻に薬を塗るとき、

人はなぜあんなにも間抜けな姿勢になるのだろう・・・

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2019.1.8

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すると、それを心配したり、一方でネタとして面白がってくたり、

いろんな方からコメントを頂いて、なんだかほっこりした。

そして今日、さらに別の方からメッセージを頂いた。

できものを予防するために気を付けた方がよい食事や、

果ては皮膚科の友人からアドバイスまで頂いた。

ありがたい限りだった。

世界は、優しい。

そんなことを感じさせられる一日になった。

そして何よりも、

誰かが凹んだ部分というのは、

他の誰かが愛情や優しさを入れられる部分だという体験だった。

誰かに愛情や優しさを「入れさせてあげる」部分と言ってもいいのかもしれない。

人と親しくなるためには二つの方法がある、と聞いたことがある。

一つは、「礼儀礼節を守ること」。

礼儀、礼節を守っていれば、相手からの信頼を得ることができる。

この人は大丈夫だ、と信用されるようになる。

それは当たり前のお話だけど、それだけだと相手との

距離を縮めることがなかなか難しい。

そこでもう一つの、次の方法。「弱みを晒すこと」。

これが苦手です、困ってます、助けてください・・・

何でも自分でやろうとする「自立」を深めていると、これを言うのが極度に難しい。 

自分のことは、すべて自分でやろうとする「自立」と呼ばれる心理は、

「依存」時代の傷の深さがつくる。

いままで全部親が面倒を見てくれていたのに、ある日からなぜか

「もう大きくなったんだから、自分のことは自分でやろうね」

と言われて、何だか見捨てられたように感じた。

いままで愛情をたくさんくれて、甘えさせてくれた彼女から、

青天の霹靂のように別れを切り出されて、もう誰も愛さないと決めた。

新しい職場で、「そんなことも分からないの?」とバカにされて、

悔しくて見返してやろうと頑張ろうと思った。

突然肉親がいなくなって、一人で新しい土地で働き始めるために、

誰にも頼れないから、何でも自分一人でやらないといけないと決めた。

自分以外の誰かから面倒を見てもらっていた「依存」を経て、

自分の足を地につけて歩く「自立」へと移ることで、

人は成長して強くなっていく。

そのおかげで、

一人で着替えられるようになったのかもしれないし、

自分でシャンプーができるようになったのかもしれないし、

一人の時間を楽しむことを覚えたのもしれないし、

仕事を圧倒的に早く覚えられたのかもしれない。

ところが、この「自立」が過ぎると、いろんな問題を引き起こす。

頼れない、孤立する、周りと競争してしまう、抱え込む・・・

いやいや、耳が痛い話ではあるのだが。

「私は絶対に間違ったこと言ってません。納得できません」

どこかの誰かが、よく上司に向かってそんなことを口にしていたな・・・

誰だろうな・・・

「自立」をこじらせると、

周りをコントロールしようとして衝突するわ、

そこにある愛情は受け取れないわ、

どれだけ頑張っても報われない気がするわ、

ずっと自分に無理を強いるので心身に影響をきたすわ・・・

と、いろんな問題を引き起こしやすくなるようだ。

そこで、「自立」を手放す、というステージがやってくる。

シーソーの端にある「依存」という場所から、

その反対の端のいったん「自立」という場所に歩いてみて、

ようやく真ん中のバランスが取れる点に戻ってくる。

人の心は、そんな成長プロセスをたどることが多い。

「困っています、助けてください」

「これが苦手なんです、やってくれませんか」

「私、全然大丈夫じゃない」

「とても寂しいから、側にいてほしい」

これらは「自立」に振れ過ぎた人にはキラーワードになる。

なぜなら、もう一度あの古傷を開くように思えるから。

けれど、「自立」をこじらせた人が出した勇気を、きっと世界は見逃さない。

かならず、それを見ていて助けてくれる人がいる。

人は誰かのために力を尽くしたい生き物だから。

誰かの凹んだ部分は、誰かのためになる。

「弱みを晒すこと」。

それは、人と親しくなるための究極の方法の一つかもしれない。

もちろん、そのためには「自立」というステージ(=礼儀、礼節を尽くすこと)を通る必要があるのだが。

その先には、暖かい世界が、かならずある。

そんなことを想いながら、私は間抜けなポーズでお尻に軟膏を塗るのだ。