大嵜 直人のブログ

別れによって傷ついたココロは、出会いで癒される。私が辿ったそんな物語を「書く」に至るまでの、記録と変遷のブログ。

絶海にあらず。

かのスティーブ・ジョブズは、

伝説となったスタンフォード大学

卒業式の式辞のなかで、

「3つの重要なこと」を述べた。

 

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一つは、「点と点を繋ぐこと」

一つは、「愛と喪失」

一つは、「死について」

 

誰の人生においても重要な意味を持つであろう、

その三つの物語のなかで、

ジョブズが「最初に」選んだのは、

「点と点を繋ぐ」という物語だった。

 

そこに、ジョブズが伝えたかったことが

集約されているように思うのだ。

 

Again, you can't connect the dots looking forward

you can only connect them looking backwards.

So you have to trust that the dots will somehow connect in your future.

You have to trust in something — your gut, destiny, life, karma, whatever.

 

繰り返しですが、

将来をあらかじめ見据えて、

点と点をつなぎあわせることなどできません。

できるのは、後からつなぎ合わせることだけです。

だから、我々はいまやっていることが

いずれ人生のどこかでつながって

実を結ぶだろうと信じるしかない。

運命、カルマ…、何にせよ我々は何かを信じないと

やっていけないのです。

 

「ハングリーであれ。愚か者であれ」 ジョブズ氏スピーチ全訳 :日本経済新聞より抜粋

 

私たちができるのは、

後から点と点をつなぎあわせること

「だけ」なのだ、と。

 

未来を見据えて、

点と点をつなぎあわせることは、

「できない」のだ、と。

 

スマートフォンで世界を変えた男が、

これから輝かしい未来を踏み出そうとする

スタンフォード大の卒業生に向けて、

「一番最初に」語ったのが、それだったのだ。

 

大切なことは、後からしか分からない、と。

 

 

あのときは絶望を感じたけれども、

今となってみればそれがあったからこそ

成長できたことや、

 

信じられない僥倖だと思っていたけれど、

そこが坂を下るサインだったこと・・・

 

塞翁が馬のように、

さまざまな点と点をつないだ

糸の綾、つながり、もつれで、

この世界はできている。

 

もちろん、そのとき自分のいる地点で、

つなげない点もあれば、

つないだと思っても実は別の点と

つながる点だったということも、

いくらでもある。

 

私欲を肥やす蘇我氏

「誅した」はずの「大化の改新」は、

いつしか「乙巳の変」という

クーデターとして扱われるようになった。

 

足利尊氏と楠正成は不倶戴天の

恥ずべき逆賊なのだろうか。

それとも義を通した忠臣なのだろうか。

 

時代が変わり、見方が変われば、

つなぐ点はいくらでも変わりうる。

 

 

ものごとは、ただ起き、ただ在る。

 

ただそこに在るだけで、完璧な出来事であり、

完璧な存在。

それぞれが、それぞれの因果応報のなかで、

生きている。

 

それに人は感情を乗せて、

否定したり肯定する。

 

自分の受け入れられない価値観を持つ他人を

否定したりコントロールしようとして、

私はドツボによく嵌る。

 

対人関係の真理は、

この14文字に集約される。

 

「あなたはあなた、わたしはわたし。」

 

異なる世界と因果律で生きている他人を、

私がどう裁くというのか。

 

できるのは、私が私をどう扱うか、

という1点に尽きる。

そして、人は自分自身を扱う方法で、

他人と社会から扱われる。

 

その黄金則から導かれる定理たち。

 

「誰かがどう思おうとも、ただ、それだけ。

 私の本質とは何ら関係ない」

 

「相手が愛しているかどうかは関係ない。

 大切なのは、自分が愛しているかどうかだ」

 

「誰かに居場所や価値を

    認めてもらうことよりも、

 自分がそこに居たいかどうか」

 

「他人から必要とされたり、愛されたり、

    価値を認められるよりも、

 何よりも自分が自分を大切に扱うことだ」

 

・・・できれば、そうしたかった。

そんなふうに、強くなりたかった。

 

他人とは関係なく、

確固たる自分を確立したかった。

 

けれども、それは、

絶海に浮かぶ孤島で、狼煙の一本もあげず

自給自足をしている遭難者のようだった。

 

  

「ほんとうに私でよかったんですか?」

「私といて、楽しいですか?」

「私はここにいてもいいですか?」

 

関わる人に対して、意識的にも無意識的にも

私はその思いをずっと抱えていた。

 

それが聞けなかったからこそ、

それが分からなかったからこそ、

 

換言するなら、

自己価値や自己肯定感と呼ばれるものが、

極度に低かったからこそ、

 

私は心の内面を見つめ学ぶことに惹かれた。

 

「僕はここにいてもいいですか?」

 

それはほんとうに恐ろしい質問であり、

禁断の狼煙だった。

もしそれを否定されたら、一生この絶海の

孤島で暮らさないといけない。

 

実際に狼煙をあげて、

誰にも見つからないという禁忌を

犯すくらいなら、

 

「もしタイミングよく使えたら、

誰か見つけてくれるかもしれない」

という想いとともに救難信号を

使わずに取っておく方が、

 

希望は持てるものだ。

 

たとえそれが、

偽りの希望であったとしても。

 

 

それは偽りであるが、ある意味で正しい。

 

なぜなら、心に空いた穴は決して他人には

埋められないからだ。

 

割れたグラスにいくら水を注いでも

漏れだすように、

自分の心に空いた風穴は

自分で埋めるしかない。

 

「私が自分の価値を見ていれば、

    誰にどう思われてもいい」

 

「ほんとうに愛しているのであれば、

    相手の反応は気にならないはずだ」

 

「自分を愛するのは、自分しかいない」

 

「自分の周りの人は、自分の鏡」

 

そう言っていれば、もし

「必要ない」

「価値はない」

「愛していない」と言われたとしても、

傷つかなくて済むから。

 

けれど、

ほんとのところは、そうじゃなかった。

 

ほんとのほんとのところは、

珍しいものを見つけた3歳児の掌中の珠を、

よく見つけたね、すごいね

と褒められたかったし、認められたかった。

 

犠牲して心身すり減らしてやってきたことを、

ありがとう、よくやってくれたね

と感謝されたかった。

 

紅蓮の憎悪の炎を越えて愛そうとした分だけ、

一緒にいられて何より幸せだったよ

と愛されたかった。

 

「ほんとうに私でよかったんですか?」

「私といて、楽しいですか?」

「私はここにいてもいいですか?」

 

それを素直に言うことは、

とても勇気の要る強いことなのかもしれない。

 

 

もう一人で強くあろうとしなくても

いいのかもしれない。

 

もしかしたら、

狼煙は実際には一つだけではない。

 

もしかしたら、

絶海ではないのかもしれない。

 

もしかしたら、

海の底は、離れた島々と

つながっているのかもしれない。

 

そして、もしかしたら、

その狼煙は誰にも気づかれないかもしれない。

 

それでも、

その狼煙は点になるのだろう。

 

その点が、後からどの点につながるかなんて、

ジョブズの言うように、

誰にも分からないのだ。

 

私たちができるのは、

後から点と点をつなぎあわせること

「だけ」なのだ、と。

 

未来を見据えて、

点と点をつなぎあわせることは、

「できない」のだ、と。

 

ただ、

その点が在るだけ。

 

されど、

その点は絶海にあらず。

  

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