大嵜 直人のブログ

別れによって傷ついたココロは、出会いで癒される。私が辿ったそんな物語を「書く」に至るまでの、記録と変遷のブログ。

「それ」よりもだいじなもの ~東京・港区「泉岳寺」訪問記

上京した際に、赤穂義士が祀られている港区の「泉岳寺」を訪れた。

 

半年前にも訪れたのだが、そのときのエントリーはこちら。

 

kappou-oosaki.hatenablog.jp

6月上旬に訪れたその際は、小雨の降る曇天の空模様と相まって、四十七人の墓地に線香を手向け、手をあわせていると、とても悲しい心地がした記憶があった。

 

晩秋の空の下、その感じがどう変わっているのか、興味が湧いた。

 

 

せっかくの上京と思うと、いつも予定を詰め込み過ぎてしまう。

 

旅行を楽しむ秘訣の一つに、旅先で「いつもと同じことをする」ということを聞いたことがあるのだが、生来の貧乏性なのか、今のところその悟りの域まではたどり着けそうにない。

 

初めて訪れる土地を目にしたいし、

旅先の酒場の喧騒の中で郷土の料理を食べたいし、

これまで味わったことのない空気を味わいたいのだ。

 

そんな貧乏性の私は、いつもより寝坊して6時過ぎに目を覚ます。

顔を洗い歯を磨き、身支度をして15分。

 

6時半には眠りこける友人に無言の礼を述べて、マンションから出た。

 

白金高輪の街は、土曜日ののんびりとした空気に包まれていた。

 

11月下旬の東京の寒さを警戒していたが、想像していたほどではなかった。

 

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スマートフォンの地図を手に、ほどなくして泉岳寺の前に辿り着く。

 

ちょうど7時過ぎ。

静かな空気が流れている。

 

いつも不思議に思うのだが、なぜ、朝の空気というのは清浄なのだろう。

 

人々が活動する前で、空気がかき混ぜられていないからか。

車などが動き出す前で、排気ガスなどがないからなのか。

夜という闇が、すべてを洗って浄化しているからなのか。

 

考えても分からないが、私が早起きが好きな理由の一つだ。

 

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立派な構えの中門をくぐる。

 

以前の記憶とはちがって、穏やかな空気が流れていた。

 

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中門をくぐると、お寺の名の入った山門が見えてくる。

 

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本堂を望む。

境内は朝の清掃をされている方が数名いるくらいで、東京のど真ん中とは思えない静寂が広がっていた。

 

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今年は紅葉が遅いのか、11月も終わりだが色づき具合はもう少し。

 

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赤穂義士墓地の入口へ。

 

空気が変わる。

それでも、半年前に訪れた際のような、猛烈に悲しい感じは受けなかった。

 

線香を買って手向けたかったのだが、朝早かったこともあり、まだ販売していなかった。

 

仕方ないので、線香は無しで義士たちの墓に手を合わせる。

 

悲しい感じは、それほどしない。

 

一回りした後、少し歩き疲れたのでベンチに腰掛けて一休みする。

 

雲の多い晩秋の日だった。

 

半年前に訪れた際は、猛烈に悲しく、肌に粟が立つのを感じ、インスピレーションがたくさん湧いたのだが、それに比べると今回訪れた際は、ぼんやりと目の前に霞がかった感じだった。

 

それもまた経験のうちなのだろう。

 

四十七人は自らの「命」よりも、主君の汚名を雪ぐという「義」に生きた。

 

誰しもが大切だと思う「それ」よりも、彼らには大切なものがあったのだろう。

 

幸いなことに、私の生きるこの時代においては、文字通り「命」を賭けるという状況になることは、まずない。

 

では、現代を生きる私たちの誰もにとっても大切な「それ」とは、何だろう。

 

やはり、「お金」と「時間」になるのだろうか。

 

「それら」よりも大切なものがある人は、やはり輝いているように見える。

 

不思議と、還暦をとうに過ぎた知人のことを思い出していた。

 

定年で会社から身を引いたあと、しばらく土と戯れる生活をされていたが、その会社の社長から請われて復職すると仰っていた。

 

もう65過ぎて復帰とか恥ずかしいわ。

シイタケを育ててる方が楽しいんやけど・・・

 

と照れながら話していた。

 

お金に困っているわけでもない。

これから30年のキャリアを描けるわけでもない。

 

なんでですか?

と率直に聞いてみた。

 

社長には助けてもらった義理があるからなぁ。

 

ぽつりとそんなことを言っていた。

 

もう自分の人生を自分だけのために生きてもいいんじゃないですか?

それは犠牲からくる心理だから、報われないですよ?

義理に縛られるよりも、もっと自由に生きてもいいと思いますよ?

 

思わず喉から出そうなその余計なお世話のカタマリのようなセリフを、私はすんでのところで呑み込んだ。

 

それをやめたら、俺が俺でなくなるから。

 

そう言った知人の顔が、最も知人らしく見えたからだ。

静かな諦念とでも呼ぶべきのような、影と光が入り混じった顔。

 

執着しようが、

犠牲しようが、

無駄ななことだろうが、

徒労に終わろうが、

馬鹿なことだろうが、

損をしようが、

 

仕方ないもんな。

それが、その知人の生き方なんだから。

そして、その生き方が損かどうかは、結局のところ誰にも分からないのだ。

 

それなら、自分の生き方を貫いた方がいい。

 

知人の顔を思い浮かべながら、そんなことをぼんやりと考えていた。

 

見上げると、やはり雲が多かった。

 

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