大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

誰が書いているのか分からないが、人生は完璧なプロットだ。

週末の日曜日。

息子に急き立てられて車を走らせた先は、幼い頃に母親の車で訪れた公園だった。

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港沿いの大きな国道を走らせ、北へ曲がる。

私を乗せた私の車は、きっとその反対方向から来たのだろう。

それが合流する交差点で左折すると、見覚えのある大きな用水路の門が左手に見えてくる。

あのときは、幼馴染も一緒に車に乗っていたような気もする。

今の私と同じように、母親もまた仕事の休みの日に来たのだろうか。

いかんせん、小さい頃の記憶の薄い私のこと、そのときの季節すら思い出せない。

確かなのは、いまが木々が色づき始めた11月ということだけなのかもしれない。

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息子と娘とアイスクリームを舐めながら思う。

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あの三十数年前も、今日と同じように抜けるような青空の下で、同じように妙に固いアイスクリームを食べて笑っていたのだろうか。

愛された記憶の欠片を、また一つ集めることができてふと落涙する。

人生という物語は、難解な伏線だらけだ。

ただ、そのときは意味が分からなくても、いつか必ず回収できる時が訪れる。

誰が書いているのか分からないが、完璧なプロットだ。

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