さて、断酒7日目である。
立冬を臨む霜月の小雨の降る橋の上で「断酒」という史上最大の手放しを決意すること。 - 大嵜 直人のブログ
今日もブログを書いてアウトプットをして、金曜日の夜という魔の時間帯を乗り切ろうと思う。
すでに1週間継続していると思うと、なかなか趣深い。
これまで飲まない飲み会の新鮮さ、飲み会の後の帰り道でブログが書ける、二日酔いがないなどの数々の恩恵があったが、これから現れる恩恵にもまた目を向けていきたい。
今日考えたいのが、二日酔いと自己否定の関係性について、である。
もちろん飲むと美味しいし、気分がいいからお酒を飲んでいたのではあるが、そんなにお酒が強い方ではなかったので、気分よくやりすぎると翌日二日酔いで死亡してしまう。
そしてここのところ自分の中の心理を深堀していくと、そこには巧妙な自己否定が乗っていたような気がするのである。
=
自己否定をもっとも強く感じるとき、それは他人から自分の個性やアイデンティティを否定されたときのように思う。
そして、自分の個性やアイデンティティを否定することほど強い自己否定もないように思うのだ。
少し具体的に言うと、私はずっと根が真面目だと言われてきた。
全ての個性や性格は長所にも短所にもなるが、「真面目」と書くと長所に見えるし、「堅物」「ルーティン人間」と書くと短所に見える。
要は、ものの見方なのだ。
ピラミッドは横から見れば三角に見えるし、上から見れば資格に見える。
ただ、それだけの話しだ。
私の話しに戻ると、時間を守る、毎日同じことを積み上げる、継続する、ということが苦にならない。
このブログも何だかんだ言って、毎日更新して1年3ヶ月になろうとしている。
よく言えば真面目だし、悪く言えばツマラナイ人間なのだろう。
そのどちらもが正しいし、ただそういう性質だ、というだけの話しである。
それは、高校教師の母親とサラリーマンの父親という、ある意味で真面目で、ある意味で杓子定規な家庭で育ったことも影響しているのかもしれないし、そもそも私がもって生まれた天性のものなのかもしれない。
おそらくは、両方なのだろう。
そうした個性、というか性質を、ずっと私はある意味で否定してきたように思う。
その原因が何なのか、ここのところ内省をしているのだが、やはり小学校時代から思春期にかけて、学校生活の中で他人の目を気にしだしたことが大きように思う。
「スクール・カースト」という言葉があるが、私が小学校や中学校のころのクラスの人気者(モテる男の子)はといえば、
足が速い
面白い話ができる
情報屋
スポーツができる
ちょっと不真面目
このあたりの資質を持っている子たちだった。
ご想像にもれず、私が持っている資質とは程遠い。
足は遅いし、口下手だし(姉がいるのに女の子と話すのが苦手だった)、コミュニティが狭いので情報は遅いし、球技はどれもだめだし、
そして真面目だった。
どこかで、その最後の資質を、「こんなもの持ってても人気者になれない(直訳すると、モテない、なのだが)」とクシャクシャにして部屋の隅に放り投げてきたようなのだ。
どこかで、「こんな(真面目な)自分ではダメだ、みんなに受け入れられない、愛されない」と思い込んできたのかもしれない。
真面目な自分を否定し、不真面目な自分をつくりあげて演じることで、本来の自分のセンターとは離れていったのかもしれない。
二日酔い、というのはそうした意味では格好の「不真面目な自分」を演じる仮面になる。
気持ちよく飲んで終わりにすればいいところを、自分の限界もわかっているのに、ついつい止められずに飲み続けて、翌日「やちまった」と後悔して、不真面目さを演じる。
言い換えれば、不真面目さを演じて、後悔したいから、飲みすぎていたのかもしれない。
真面目でいいじゃないか。
別に、つまらない男でいいじゃないか。
それが自分なんだから、無理してピカレスクを演じることはないじゃないか。
それが自分なんだから、全肯定しようぜ。
そんなことを最近つとに思うのだ。
=
これは、男女関係でフラれた側が辿るプロセスに似ている。
フラれてショックを受けると、誰しも「こんな自分じゃダメなんだ、誰にも愛されない」と、今までの自分を否定する。
ダイエットするなり、明るく振る舞ったり、仕事に没頭したり、生活を改めようとしたり、いろんなことに取り組む。
しかし、往々にしてその取り組みはうまくいかないか、続かないかのどちらかになる。
自己否定という燃料で飛んでいるようなものだからだ。
その燃料はいつか尽きて、身体を壊すか燃え尽き症候群に陥る。
そこで、ようやく自分を肯定することに気づくのだ。
「あれ、今までさんざん否定してきたけど、今までの自分で十分なんじゃないの?だって、これが私なんだもの、それで嫌われたら本望だな」
最高の自己肯定は、最低の自分に花マルをつけること。
大切な人にフラれる最低な自分、最高。
そう思えたなら、次のパートナーができようともできなくても、十分幸せに歩いていける。
そして不思議なことに、そういう状態の人ほど、ぴったりのパートナーを見つけるのだ。
=
少し話が逸れたが、私が断酒を静かに決めたのは、お酒による二日酔いの自己否定を必要としなくなった、とも言えるように思うのだ。
つまんなくて本望。
それが自分だから。
真面目でよかった。
それが自分だから。
心の深いところで、世界に一人しかいない稀有な自分の特性に、マルを出して進もうと思えたから、断酒を決めたのかもしれない。
そんなつれづれを想う、静かな金曜日の夜だった。