大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

映画:「プーと大人になった僕」に寄せて ~それは、風船よりも大切なものなの?

ディズニー映画「プーと大人になった僕」を観たので、その映画評を。

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大人になったクリストファー・ロビンが、子どもの頃一緒に遊んだプーさんとゆかいな仲間たちにひょんなことから再会するお話し。

ネタバレを含みますので、まだ見られていない方はご注意を。

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「くまのプーさん」というと、ディズニーアニメのあの愛くるしい姿がまず思い浮かぶが、原作のA.A.ミルンの絵本のプーさんもまた味わい深い。

A.A.ミルン原作の絵本はとても示唆に満ちていて、大人が読んでもいろんなことを気づかされる。

以前、軽井沢への旅情に寄せて、そんな記事を書いた。

続・旅情に寄せて - 大嵜 直人のブログ

A.A.ミルンの絵本の最終話「プー横丁にたった家」は、学校に通うようになり、子ども時代の無邪気な空想の世界で遊べなくなったクリストファー・ロビンが、プーたちとお別れをする場面が描かれる。

ロビンはプーにこう言う。

「ぼくが一番したいことは、何もしないことだ」

と話すロビンに対して、「どうやって何もしないの?」とプーは尋ねる。

「そうだね、ちょっとそれをしに出かけようとしているときに誰かが、『何をするの、クリストファー・ロビン?』と声をかけて、『いや、べつに何も。』と言って、それをしに行く。」

「ああ、分かった。」

「今ぼくたちがしていることが、『それ』みたいな感じだよ。」

「ああ、分かった。ただ出かけていって、聞こえないものに耳を傾けて、煩わせないということだね。」

「ああ、プー。」

このロビンとプーとのやりとりはまるで禅問答のようだが、「童心」「ワクワク」「無心」ということを教えてくれる。

ズオウやヒイタチといった勘違いから生まれた空想上の動物を怖がったり追いかけたりしてみたり、あるいは川に木の枝を投げ込んで誰の棒が一番早く流れるか競争してみたり。

成長して大人になりさまざまな知識を身につけ、自立していくかわりに、私たちはこうした「何もしない時間」を忘れてしまう。

「ぼく、もう何もしないでなんか、いられなくなっちゃったんだ」

別れ際、ロビンはプーにそう言う。

感傷的で美しい別れの場面。

映画「プーと大人になった僕」は、その場面から始まる。

やがて寄宿舎に入り、肉親との離別があり、兵役を経て愛する妻と娘の待つ家庭を持ったクリストファー・ロビンはワーカホリックに仕事をするようになっていた。

やりたくもない仕事を押し付けられ、家族と約束していた週末のバカンスも行けなくなり、それでも家族を守ろうと頑張ることをやめられないロビン。

妻に「あなた、もう何年も笑っていないわ」と言われ、

「いま、我慢しておけば、将来きっと楽ができるんだ」と返すも、

「あなたの人生は今日いまここなのよ」と見事に撃墜されるロックマン・ロビン。

このあたり、まるでロビンが他人ごとのように思えず、見ていて胸がグサグサとやられたのは、内緒である。

プーさんと戯れていたあんな可愛い少年・ロビンも、成長するとロックマンのワーカホリックになるとは・・・やはり男は誰もが一度は通る道なのだろうか。

それはさておき、そんな仕事に追われる一人きりの週末、ロビンは数十年ぶりにプーに出会う・・・というストーリー。

大人になってから再開したプーは相変わらずのらりくらりとしており、仕事で追い詰められているロビンはいら立ちを隠せないでいるが、「森の仲間がいなくなっちゃったんだ。一緒に探してほしいんだ」というお願いごとを聞いていくうちに、ロビンは忘れていたものを思い出していく。

このあたり、お願いごとは試されごと、という言葉が脳裏をよぎる。

ぬいぐるみなのかCGなのか分からないが、愛らしすぎる動きのプーの発する含蓄のある言葉が心に響く。

週明けまでに仕上げないといけない仕事に追われ、全く余裕のない怒りっぽいロビンに対し、プーはこう言う。

「それは、風船よりも大切なものなの?」

あの愛らしい瞳のクマが発するこの言葉の破壊力は、すさまじい。

そう、「やらなきゃいけない」「こうするべきだ」という、大人になって身につけた理性や常識は、「ああせえ、こうせえ」とやかましく私たちの頭の中で響く。

けれども、ほんとうのところ、プーの言う「風船」(心が躍りワクワクするもの、童心に還れるもの)よりも大切なものなど、実はありはしないのではないか。

迷ったとき、頭を抱えたとき、困ったとき・・・

あの愛らしいクマの発する言葉を自分に問いかけてみようと思う。

「それは、風船よりも大切なものなの?」、と。

きっと答えは、もうすでに出ているはずだ。

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さて、この映画でもう一つ、とても示唆に富んだ場面がある。

ロビンとプーが再会する場面だ。

何十年ぶりに会うプーに対して、ロビンは「こんなにも変わってしまったのに、よくわかったな」と驚く。

プーは数十年前と変わらずのさのさとした動きをしながらも、ロビンをまっすぐ見つめ、確信を持って答える。

「わかるさ。だってきみはきみだもの。」

プーにとっては、少年時代に一緒に空想の中で遊んだロビンも、超絶ロックマンでワーカホリックになってしまったロビンも、同じ「きみ」だというのだ。

きっとプーは、目に映る姿かたちや、耳に聞こえる言葉だけを見ているのではない。

その人が持つ光を、どんなときでも見ているのだ。

その輝きは、人がどんな状態であれ少しも失われることはない。

目に見える表層の部分ではなくて、その人の持つ本来の魅力、才能、資質・・・そうした根源的な光の部分にフォーカスする。

人として最も尊い行為の一つを、軽々とこなす黄色いクマ。

なんてやつだ。

トボけた顔して、本当にあなどれないクマだ。 

やはり、「くまのプーさん」はいい。

忘れがちな大切なことを、思い出させてくれる。

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