大嵜 直人のブログ

別れによって傷ついたココロは、出会いで癒される。私が辿ったそんな物語を「書く」に至るまでの、記録と変遷のブログ。

その睡蓮を前にして 〜名古屋市美術館「至上の印象派 ビュールレ・コレクション」訪問記

先日、名古屋市美術館で開催中の特別展「ビュールレコレクション展」に行ってきましたので、その訪問記を。

 

日曜日の開館と同時を狙って、地下鉄の伏見駅を降りて白川公園へ。

 

伏見から白川公園への道は、多くの家族連れや若い人たちでいっぱいだった。

 

まだまだ暑い名古屋のこと、隣接している名古屋市科学館プラネタリウムと「名探偵コナン」とコラボした特別展に行くのかもしれない。

 

白川公園に着くと、気持ちのいい空気が流れていた。

 

f:id:kappou_oosaki:20180903211035j:plain

 

この木漏れ日の光が、また心地よい。

水と花のある風景は、いい。

 

f:id:kappou_oosaki:20180903212035j:plain

 

昔、よく来ていたことを思い出す。

 

f:id:kappou_oosaki:20180903212043j:plain

 

「ビュールレ」とはドイツ生まれの実業家の名前で、彼が収集したコレクションの展覧会とのこと。

 

ポスターにもなっているのが、ルノワールの「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢(可愛いイレーヌ)」、セザンヌの「赤いチョッキの少年」。


訪問の記念に美少女とパチリ。

 

f:id:kappou_oosaki:20180903211029j:plain


9時半の開館とほぼ同時に入館したものの、日曜日ということもあり、最初の列から長い列ができていた。

 

人寂しがり屋だけれども、一人が好き、という天邪鬼な私は、あまりたくさん人がいると落ち着いて見られないので、そそくさと好きな絵を探しに先へ進む。

 

ルノワールセザンヌを見て進むと、最後にあった。

 

今回のもう一つの目玉、モネの「睡蓮の池、緑の反映」。

 

f:id:kappou_oosaki:20180903212027j:plain

 

しかも、最後の絵なので、まだ誰もいない。

そして、その前には休憩用のソファが。

 

不思議なことに、ここのところ美術館などを訪れると、気に入った作品の前に必ずソファがある。

 

まるで、「まあ、ゆっくりしていきなよ」とでも言わんばかりに。

 

せっかくなので、そのソファに腰掛けて、じっくりとモネを眺めていた。

 

他のお客さんはまだほとんどここまで来ておらず、このキャンバスを静かに眺めることができた。

 

私は言葉の力を信じているけれど、こうした時間は、言葉にすることが本当に難しい。

 

そのときのイメージを言葉にしてみる。

 

=================

 

どこかの別荘で目覚めた早朝。

9月の軽井沢のように空気が心地よい。

 

その静謐な空気を吸いながら、小径を散歩する。


木漏れ日の匂いと、緑のグラデーション。

苔のような草を踏む足の感触と、鳥の小さな声。

 

少し歩いていくと、腰まである草が生い茂っている。


水のにおいのする方に向かって、それをかき分けていく。


顔のあたりまで来ている草をかき分けると、その池があった。

 

世界の全ての色を集めて、ほんの少しずつ塗っていったかのような景色。

 

睡蓮の花。

 

私は近くの樹の根に、少し腰を下ろして眺めてみる。

 

水面に映る花と緑の色は、どれも境界が曖昧だ。


はっきりと主張する花の形でさえも、しばらく眺めていると全体の中の一部分のゆらぎのように見えてくる。

 

全体は一であり、一は全体だった。

 

私はしばし目を閉じてみた。

 

なぜか故郷の近くの蓮根畑が思い浮かんだ。
あの蓮が生い茂っていた池は、いまはどうなっているだろうか。

 

初夏に見事な白い花を咲かせる、あの蓮根畑。
今年もたくさんの花が咲いたのだろうか。

 

そんなことを思い出しながら、人の気配を感じた私は目を開いた。

 

f:id:kappou_oosaki:20180903212154j:plain

 

睡蓮の花は、変わらずその静謐さを水面にたたえていた。

 

=================

 

瞑想のような、空想のような、心地よい時間。

 

悠久の時の流れの中で、モネもまたそんな時間を睡蓮の前で過ごしたのだろうか。

 

そんなことを思いながら、そろそろ腰を上げようかと私は思ったが、私の足はソファに根が生えたようだった。

 

やがて人垣ができて、睡蓮のキャンバスを眺めることができなくなっても、私は名残惜しくてそのまま座っていた。