今日は久しぶりに書評を。
「いつも『時間がない』あなたに -欠乏の行動経済学」
センディル・ムッライナタン&エルダー・シャフィール共著
ハヤカワノンフィクション文庫
SNSで知ったこの本。
「欠乏」というものを科学するという「行動経済学」の一冊だった。
「行動経済学」というと難しそうに聞こえるが、実例が豊富にあげられており、読みやすかった。
タイトルに惹かれて(ドキッとして)読みはじめたのだが、「時間」だけでなく他のことにおいても非常に示唆に満ちていた。
たとえば「お金」、「ダイエット」、「愛情」・・・
いつも時間に追われて、思うように物事が片づけられない、
収入はあるのに、なぜか借金をかさねてしまう、
ダイエットをしようとたびたび取り組むが、長続きしない、
パートナーがいるのに、愛情を感じられない・・・
非常に耳が痛い話ではあるが、こうしたことの原因は、その人の資質によるものではなく、金銭や時間の「欠乏」が人の処理能力や判断能力に大きく影響している、と本書は言う。
1.「集中ボーナス」
締め切りが近いと、人は集中してそれに取り組む。
今の私がまさにそうだ。
家族が起き出す前にこのブログを書き終えねばならぬ。
仕事においても、夏休みの宿題においても同じで、締め切りが近くなればなるほど、人は「火事場の馬鹿力」ではないが、集中してパフォーマンスを上げる。
時間の欠乏が集中力を高める効果を、本書では「集中ボーナス」と呼ぶ。
本書ではさまざまな実例から、この「集中ボーナス」が「時間」だけに限らず、モノやお金といった他の資源が欠乏した場合でも、同じように起こるとしている。
「時間」、「お金」、「モノ」、それに加えて私は「愛情」などもここに入るのではないかと感じる。
時間がないとき、人は集中してレポートや仕事を進めることができるし、
同じように、月末のやりくりが厳しいとき、人はお金の使い方に集中する。
はたまた、愛情が欠乏していると感じるとき、それを得ようとすることに集中する。
このように人は「欠乏」を埋めるために「集中ボーナス」の恩恵に預かることが多い。
2.トンネリング
「欠乏」がもたらすのは、「集中ボーナス」という恩恵だけではない。
「集中ボーナス」は同時に、本書が「トンネリング」と呼んでいるマイナスの効用をももたらす。
それは、名前の通り「それ以外のものが見えない、視野狭窄の状態」になってしまうことを指す。
トンネルの中では、周りの状況を見ることができず、出口の光しか見えない。
忙しい人たちは、しばしば同じように高い利率で時間を借りる。期限が迫っているプロジェクトのために、多忙な人はほかの仕事を先送りすることによって時間を借りる。そして借りた時間にもたいてい「手数料」がかかる。仕事を先送りにすると、やり終えるのにかかる時間が増えるのだ。納税申告書を配達証明郵便で送るのは数分ですむ仕事だが、期限最終日には郵便局に長蛇の列ができる。差し迫る締め切りのせいで、取材の手書きメモをワープロで清書するのを後回しにすると、あとでメモを解読しなくてはならず、取材が記憶に新しかったときよりも時間がかかる。そして給料日ローンの借り手と同じように、多忙な人は負債を借り換える。昨日から今日に伸ばしたことのせいで、今日やろうとしていたことを先送りにしなくてはならない。最終的に片づく前に、何度も後回しにされる仕事がいくつあるのだろう?そうなる理由は似たりよったり。次にやろうとしたときに前より時間がたくさんあるわけではないのだ。
借金と欠乏は手に手を取って進んでいく。
第5章 借金と近視眼 p.160・161
こうして集中してブログを書いている間は、今日のスケジュールに想い巡らせることはできないし、朝の気持ちのいい時間に散歩をすることもできない。
「集中ボーナス」と「トンネリング」はトレード・オフの関係にある、というわけだ。
本書では「トンネリング」をサーカスの「ジャグリング」に例えているが、上手いたとえだと思う。
何個ものボールをお手玉して、次々に落ちてくるボールをキャッチすることに集中している状態。
そんな状態では他のことを処理しようと思っても、不可能なのだ。
処理能力と判断能力が、その一点のみに集中されてしまい、俯瞰する視点や長期的な視点を持てない状態。
それを本書は「トンネリング」と呼ぶ。
本書の中では、インドのチェンナイにあるコヤンベドゥ市場における露天商の例が挙げられている。
多くの露天商は、日々安くない金利で借金をして品物の仕入れをする。
著者が計算したところ、一日の粗利のわずか5パーセントを貯蓄に回し、翌日の仕入れに回すことができれば、わずか50日で借金を返済し終えることができるのだそうだ。
それにもかかわらず、多くの露天商は日々同じように借金をして仕入れを続ける。
日々のお金の欠乏によって引き起こされる「トンネリング」によって、長期的な判断能力が失われている、と述べる。
あるいは、人とのコミュニケーションを渇望している「孤独」を強く感じている状態では、逆説的に人とうまくコミュニケーションが取れない、といった実例も挙げられている。
自分の「孤独」を埋めようとしゃべりすぎたり、あるいはその逆も然りである。
渇望しているほど恋人ができないのは、そうしたことからも説明がつくのかもしれない。
人の判断能力と処理能力を奪う「トンネリング」。
これこそ「欠乏」の引き起こす恐ろしい側面なのだそうだ。
少し違った例で言えば、例えば「愛情」。
執着している彼氏からの愛情が得られなくて(または自分の求めるかたちの愛情が得られなくて)トンネリングを起こしている状態だと、自分がいかに尊い愛情を与えてきたのか、自覚することは難しい。
また、自分がいかに素晴らしい魅力にあふれた女性だということに気づくことすらも、難しいだろう。
これも、かたちを変えた「トンネリング」の例だと言えよう。
3.スラック
次々に処理するべきボールが落ちてくるジャグリングのような「トンネリング」の状態から抜け出すには、「スラック」が必要だと著者は述べる。
「スラック」とは、ゆとりや遊び、余剰と呼ばれるものである。
本書の中で紹介されている「スラック」の例が二つ。
旅行鞄が小さいから、「これを詰めるためには、これを出さないといけない・・・」というような悩みが発生するのであって、大きな鞄であればその問題は発生しない。
考えてみれば、至極当たり前の話ではあるが、私たちの身近な例で言えば、どうにかして小さな旅行鞄に荷物を詰め込もうとして労力を割いていることのいかに多いことか。
もう一つは、ミズーリ州にある救急病院。
ここでは、32の手術室で年間約3万件の外科手術が行われる。
しかし救急外来など予期せぬ急患の増加の影響で、手術室のスケジュールが組むのが年々困難になり、「手術室待ち」による医師の残業が問題になっていた。
その問題を解決した方法は、「手術室を常にひとつ使わずに空けておく」ことだった。
忙しい病院から手術室のベッドを一つ取り上げるという、現場から猛反対された解決策は、意外なことに1年後には病院が受け容れられる手術が5.1パーセントも上昇し、時間外で行われる手術は45パーセントも減少したという。
余剰が、大切。
考えてみれば、あたり前すぎる話なのかもしれないが、個人でも組織でも、効果的に「スラック」を持つことは、仕組みづくりが必要なのかもしれない。
人間が一日に使うことのできる判断力や、処理能力は有限である。
少し「スラック」とは話が異なるかもしれないが、かのスティーブ・ジョブズが毎日同じ服を着ていたのも、自分にとって重要ではないことに判断力や処理能力を使わないためのものだったと伝えられている。
サーカスのジャグリングのような恐ろしい「トンネリング」の状態を防ぐため、「スラック」を持つには日々の生活の中に何を採り入れていけばいいのだろうか。
「時間」については、決まった時間を「空きベッド」として取っておくことや、あるいは「瞑想」のように「何もしない時間」を習慣化することはどうだろうか。
それでは、「お金」や「愛情」では・・・?
なかなか「集中ボーナス」、「トンネリング」、「スラック」の議論は示唆に満ちており、興味深い一冊だった。