大嵜 直人のブログ

別れによって傷ついたココロは、出会いで癒される。私が辿ったそんな物語を「書く」に至るまでの、記録と変遷のブログ。

立秋の日と夏の虫たちに、この世界の完璧なシステムを想うこと

いらっしゃいませ、「言の葉割烹おおさき」へようこそお越しくださいました。
店主のおおさきです。

 

今日は立秋ですね。
昨日も名古屋は39℃という体温以上の気温が続いている中で、「暦の上では秋」と言われても、なかなか実感ができないものです。

 

それでも、近所の桜並木で息子とセミ捕りをしていると、もう夏の終わりを告げる「ツクツクボウシ」の鳴き声が聞こえたり、


友人は実家に帰ったら、その夜に鈴虫の声を聞いたりと、


一日一日と夏は終わりに近づき、秋は近づいてきているようです。

 

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どんなに暑い夏の日が続いても、ゆっくりと太陽の出ている時間は短くなってきていたり、


あるいはどんなに厳しい寒さの日が続いても、徐々に徐々に日の出の時間は早くなっていきます。

 

夏至冬至という節気が、立秋や立春の前にあるというのも、よくできたものだな、と思うのです。

 

私たちの目に見えないだけで、季節の移ろいというのは、まるで誰かの組んだ完璧なシステムのもとに動いているようです。

 

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この夏は息子とたくさん虫捕りに出かけました。

 

近所の公園や川沿いのセミ捕りや、

 

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クワガタを朝早くから捕まえに行ったり、

 

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お陰さまで、小さいころに近所の公園や野原を駆け回った記憶を、たくさん想い出すことができました。

 

さいころ夢中になって追いかけた、この虫たちを見ていると思うのです。


彼らは誰かに教えてもらったわけでもないのに、時が満ちるとその姿を変えて、飛び立っていく。

 

セミは怪獣映画のような外観の幼虫から、羽根を持って大空を飛びまわる。

 

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カブトムシやクワガタは芋虫のような幼虫から、あんなに強く大きな身体に変わります。


アゲハチョウやモンシロチョウも、芋虫からさなぎを経て、飛び立ちます。

 

それは、彼らの身体に仕込まれた完全なるプログラムのようです。

 

そう考えると、この世の全ては「変わっていくこと」こそが、その本質にあるように思うのです。

 

変わっていく、それは言い換えれば、大きな流れに乗っている、ということ。

 

息子の大好きな彼らは、そのプログラムなのかシステムなのか、あるいは命の流れなのか、はたまた愛と呼ぶべきものなのか、分かりませんが、そうしたものに疑いを持つことなく、委ねているのです。

 

最適なタイミングで、最適な場所で、最適な形に変わっていく。

 

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彼らはそれを信じて疑わないように見えます。
きっと、変わろう、どうにかして地上に出よう、空を飛ぼう、とは考えていないように見えるのです。

 

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翻って考えるに、私たちが「何かを変えよう」、「何かを成し遂げよう」、「何かを達成しよう」と考えるとき、その意気込み自体が、すでに自然な流れから外れているのかもしれません。

 

そんなことをしなくても、最善で最適なタイミングで、この世界と私は変わっていくのですから。

 

その意気込みの裏にあるのは、自分が動かなかったら何もうまくいかない、という「動かない私が持つ」怖れ。

 

「動かないこと」「動けないこと」自体が、すでに不自然なのです。


流れる川の中で必死に踏ん張って立っているかのように、「動かないこと」「変わらないこと」にエネルギーを使ってしまっている。

 

そして、そんなエネルギーを使ってしまっている状態で「動こう、動こう」としてみたり、「動けない」ことを責めてしまったりするスパイラルに入ってしまいがちです。

 

この世界が動いて流れて変わっていくことが本質なのに、「動けない」「変わらない」自分でいることには意味があります。

 

「動けない」、「変わらない」ことで、

 

自分が怖がっている何かを、

 

あるいは奥底に沈めた自分の分身のような感情を、

 

あるいは出してはいけないと思った何かを、

 

はたまた絶対に愛されないはずの自分を、

 

後生大事に握りしめているのかもしれません。

 

動こうと意識をするよりは、それが何なのかを見つけてあげると、またこの世界の完璧なるシステムの流れに乗れるのかもしれません。

 

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受精卵が着床し、細胞を分裂させ、胚をつくり、身体のいろんな器官をつくり、人はこの世に生を受けます。

 

わずか40cm~50cmにしか満たなかった身長は、十数年でその何倍にもなります。

 

生まれた当時は寝返りすら打てなかった身体は、いつしかいろんな動きができるようになります。

 

もう記憶の彼方に飛んでいるかもしれませんが、誰しもがそんなプロセスをたどっているのです。


それ自体が、この世界の完璧なシステムの中にいることの証明なのでしょう。

 

さりとて、私の息子の愛する虫たちのように、この世界の完璧なシステムを無条件で信じることは、人にとってなかなか難しいようです。
人が思考を持ったがゆえの副作用なのかもしれません。

 

けれども、もしうだるような暑さの中にも、秋の声を感じることができるのであれば、

どんな周りの状況においても、私たちが世界から完璧に愛されていることも、同じように感じられるのかもしれません。

 

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大丈夫。

きっと、大丈夫。

 

安心して深呼吸して大丈夫だから。

 

動かなくても、動けなくても、
変わらなくても、変われなくても、

 

どんなあなたも世界は愛している。

 

ふっと力が抜けたとき、それはあなたの目の前に現れ、あなたを導いてくれる。

 

今日も世界は美しい。

 

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