大嵜 直人のブログ

人との別離で傷ついたココロは、人との出会いで癒される。私の辿ったそんな体験を、言葉にしてみたいのです。

もしも、起こっていることが全て最善だとしたら、という仮定

いらっしゃいませ、「言の葉割烹おおさき」へようこそお越しくださいました。
店主のおおさきです。

 

「~~だったら」という仮定でもとごとを考えることは、歩く道の幅を太くしてくれると思うのです。

 

何らかの「仮定」をする、ということは「前提」を疑う、ということです。

 

こうした「前提」を壊してくれるのは自分以外の人であることも多いのですが、「仮定」を考えてみることで少しずつ「前提」を変えていくこともできるようです。


もしも、

 

起こっていることが、全て最善なことだとしたら。

 

この身を引き裂くような別離が、与えてくれたものがあるとしたら。

 

私は、何をしても愛される存在だったとしたら。

 

生きていることにさしたる意味もなく、無駄に過ごしていいとしたら。

 

福の神に見守られていて、お金に好かれているとしたら。

 

あの親を、自ら選んで生まれてきたとしたら。

 

ずっとやりたかったあのことが、実現できたとしたら。

 

苦労せず簡単に幸せになっていいとしたら。

 

ずっと今まで、この世界から愛されてきたとしたら。


どんな私になっているのでしょうか。

 

それをイメージできるのであれば、きっとそれは現実になります。

 

そして「仮定」を持つことは、現実をその方向に動かしていく、ということに他なりません。

 

人は、自らができることしかイメージできないのですから。

 

いろんな仮定を持つことは、人生を歩く幅を太くし、豊かにしてくれるようです。

 

f:id:kappou_oosaki:20180804071104j:plain

美しい夕暮れ。

 

もしも、明日が人生最高の一日になるとしたら。

そんな「仮定」も楽しいですね。