【言の葉割烹おおさき】へようこそ

人との別離で傷ついたココロは、人との出会いで癒される。私の辿ったそんな体験を、言葉にしてみたいのです。

見えぬものこそ。

いらっしゃいませ、「言の葉割烹おおさき」へようこそお越しくださいました。
店主のおおさきです。

 

今日は少し北海道から戻ってきてから感じる雑感を。

 

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ここのところ北海道の旅レポを上げさせて頂いておりますが、クリスタルボウルであったり、雄大な神社であったり、自分のさまざまな感情であったりと、「目に見えないもの」にたくさん触れることができた気がします。

 

「目に見えないもの」と書くと、ちょっとオカルトであったり超常現象であったりといった語感がするのですが、私たちの身の回りにはたくさんの「目に見えないもの」があります。

 

このブログをご覧になられているであろうスマートフォンやパソコンも、「目に見えない」電波や電気の信号でつながっています。

 

「目に見えない」空気がなければ、人も動物も5分と生きていられません。

 

電子レンジは「目に見えない」電磁波でものを温めますし、やかんでお湯を沸かそうとしてツマミをひねると出てくるガスも「目に見えません」。

 

もう忙しくて、時間がない!という台詞をよく聞きますが、時間も「目に見えません」。

 

私のスマホケースを閉じるボタンも「目に見えない」磁力のおかげで片手で簡単に閉じられます。

 

けれど、私たちはそれらを「ある」ものとして扱っています。

 

「目に見えるもの」と「目に見えないもの」。

ともすると私たちは「目に見えるもの」に意識をとらわれがちになるのですが、「目に見えないもの」に意識を向けることも大切なように思うのです。

 

私たち現代人は視覚情報に大きく影響されるというお話も聞いたことがありますが、文字通り「目に見えるもの」のみに目が行ってしまうと、どうしても見方が偏ってしまいます。

 

よく易経などで「陰極まりて陽となし、陽極まりて陰となす」というような陰陽の法則が語られますが、陰と陽は表裏一体とするなら、その一方だけを見ることはコインの表面だけを見ていることのように思います。

 

光と影。昼と夜。男と女。老いと若さ。晴れと雨。夏と冬。

この世界には、両極が存在しています。

 

長く降り続いた梅雨空と、その合間に見える夏の陽射し。
大好きな仲間と一緒に過ごす幸せと、一人になったときの寂しさ。
一人の人間というちっぽけな存在と、無限の可能性を持つ大きな存在。
愛しているのだけれど、それが故に燃え上がる憎しみの苦しさ。

 

全ては陰陽、コインの裏表。

裏表があってこそ、一枚のコインです。

 

そして、北海道から戻ってきて私が感じるのは、「陰」こそがすべての根本のようだと思うのです。


すなわち、「陽、目に見えるもの」ではなくて、「陰、目に見えないもの」。

 

以前、本田晃一さんの書評の中で、「一番ダメな自分を認めることが、最強の自己肯定」というようなことを書きました。


自分の「闇」すなわち「陰」の部分を知り、それを認めてあげることで、より純粋な「自分」に還ることができるようになる、ということかもしれません。

 

私の好きな「エヴァンゲリオン」のTVアニメ版で、シンジ君が取り込まれた第12使徒レリエル」の本体は、空中に浮かぶゼブラ色の球体ではなく「影」の部分でした。

 

写真を現像するもとになるフィルムの多くは、「ネガ」ですね。

 

ネガティブな感情を感じることに蓋をしてしまうと、ポジティブな感情もまた感じづらくなります。

 

つまり「陰」、「見えないもの」こそが、ものごとの本体、本質。

 

「陰」、「見えないもの」を整えると、「陽」に反映される。


フィルムのネガが変われば、現像される写真も変わるように。

 

「陰」と聞くと、怖い気もしますが、自分の純粋な状態を知るということに他なりません。

 

それは、最も見たくない自分の闇を受け入れる、ということ。


声なき声に、耳を澄ませる、ということ。


風の香りの移ろいに、何かの変化を感じる、ということ。


ずっと隠していた自分のやわらかな本音に、そっと触れる、ということ。

 

「陰」が整えば、「陽」も整う。
「陰」が増せば、「陽」も増す。

 

きっとそうした陰陽の法則は、変わらない摂理なのでしょう。

 

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なかなかこうした感覚的でないお話をするのは、難しいものですね。

 

お客さまの手にされているスマートフォンが「目に見えないもの」で成り立って動いているように、きっと「目に見えないもの」は当たり前にあるのでしょう。

 

それを電波と読んでみても、愛と呼んでみても、神さまと呼んでみても、闇と呼んでみても、運命と読んでみても、全ては同じことのように思うのです。


今日もお越しくださいまして、ありがとうございました。
どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。

 

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